匠雅音の家族についてのブックレビュー    家族の起源−父性の登場|山極寿一

家族の起源  父性の登場 お奨度:

著者:山極寿一(やまぎわ じゅいち)−−東京大学出版会、1994年 ¥2、200−

著者の略歴−1952年東京に生れる。1975年京都大学理学部卒業。1980年京都大学大学院理学研究科修了。現在:京都大学霊長類研究所助手。著書:『ゴリラ』(1987年、平凡社)『ゴリラとヒトの間』(1993年、講談社)『屋久島の野生ニホンザル』(共著、1986年、東海大学出版会)。現住所:犬山市塔野地大畔京大職員宿舎

 類人猿と人類の共通の先祖から、人類直系の先祖に至る進化をたどる、という目的意識に支えられながら、家族の起源をさぐるのが本書の主題である。
家族は必ずしも血縁集団ではないし、同居している人間だけを家族と呼ぶのでもない。
長いあいだ離れていても、家族は家族として意識されている。
人間は家族を作り、どんな社会にも家族はある。
TAKUMI アマゾンで購入
家族の起源

 動物の社会を研究した者にとって、人間の家族はじつに不思議な社会単位である。 動物家族という言葉があるが、一見人間の夫婦家族に似ている鳥やキツネなどの小 集団は私たちの家族とおなじものではない。人間に類縁関係の近い類人猿にも、家 族とよべる社会単位は存在しない。このため、ここ数十年日本の霊長類学者たちは 家族の起源をホミニゼーション(ヒト化)研究の中心テーマにすえてきた。私たちが知っ ている社会と遠い祖先の社会とのあいだには、質的に大きなギャップがある。人類が 類人猿と共通な祖先から分かれたのだとしたら、祖型人類の社会は現在の類人猿の 社会との共通性を多く保有していたはずである。異なる類人猿間の比較からその祖先 型が類推できるように、人類社会の祖先型も類人猿との比較から描きだせないだろうか。

と、はじめにで言うように、本書は主としてゴリラや猿たちの生態観察をとおした家族論である。

 類人猿には発情期があるが、人間の雌にはそれがない。
発情期の消失が、人間社会に独特な家族を作り上げた、と筆者は考える。
マードックに従えば、性、経済、生殖、教育の機能を果たすのは家族であり、発情期の消失によって、人間は類人猿とは違う存在になったに違いない。

 本書は動物の例から話を始める。群を作る動物でも、人間の家族のような機能はない。
しかし、彼等もインセスト(近親相姦)を回避する仕組みをもっているという。
近親間の交尾回避は、血の認知によるものではなく、母親と子供のあいだに見られる保護・非保護という関係の認知による。
それはゴリラで確認できる。
また、思春期を共に過ごした個体同士は、交尾をしない。
これは親しさによる交尾の回避だろう、と本書は言う。

 動物にも雌雄があり、性別によって違った母親役割や父親役割が見られる。
子供の世話は、多くの場合に母親の役割だが、母親がいなかったりすると、父親も子供の面倒をよく見る。
また母親がいない場合には、、血縁のない雄猿も、はぐれ子供の面倒をよく見るという。

広告
 ゴリラの雄は、雌の約2倍の体重があるほどに、雌雄の違いある。
初期の人類は、特定の雌雄が長期的な配偶関係を持つ社会から、ゴリラのように性的二型を発達させるように進化してきた。
人類の父親も、授乳以外のすべての母性行動をおこなうが、父親との接触は少ない。
しかしそれでも、どの社会でも子供たちは父親を認知し、両親を通して家族の系譜に帰属する。

 動物の父性は、雌が特定の雄を父親と認知することから生まれる。
しかし、人間の父性は違うという。

 人類は、なわばりを解消し同性同士の連帯を強めて、個人がいくつもの集団に属せるような可塑的な社会を目指したはずである。このため、父性は同居と近接によってではなく、約束あるいは契約によって保証されねばならなかった。これが人類的な父性の始まりである。やがて父性は配偶者間の認知から集団全体の認知へと発展し、父親の存在を介して世代は構造化される。世代は横の広がりをつくり、インセストは縦の広がりをつくる。これらは集団の規則として徹底され、集団は複雑に分節化して親族と外婚の枠組みが形成される。その変化が必然的に家族の登場を促すことになったのである。P148

 定住を始めた人類は、男から食物を分けてもらうために、女が性的に進化したというエレン・フィッシャーなどの説を、筆者は退ける。

 初期の人類が共食を習慣にすることによって、多様な異性の組合せが生じたにちがいない。これは乱交的な性交渉を助長し、多くのトラブルを引きおこす原因になった。そこで人類は、食の共有を性交渉の独占が認められる関係と、性交渉がおこりようがない関係に限定せぎるを得なくなった。すなわち、同性同士、配偶関係にある男女、親子という関係である。現在の人類にも「共食家族」という言葉があるように、家族は食事の場から性の性格を払拭しようという試みのうえに成立している。そして、食事が文化の産物であるように、家族の基本的性格を定め、家族の横造を決定したのは文化的な存在である社会学的父親の登場だった。P167

 家族の起源は、母系社会を祖型とするものでもなく、乱交的な男女関係から出発したものでもない。
父と息子の世代が分離し、インセストの回避と外婚制の導入は、人間社会の行動力を飛躍的に高めた。
しかし、生物的な基盤をもたない父親の立場を強化しようとしたので、多くの文化は男性に有利にできている、と筆者は言う。
そして、次のように言って、本書を結んでいる。

 科学技術の台頭はより新しい知識を子どもたちに習得させ、経験に基づく社会技術をおとしめて世代の溝を埋めてしまった。息子は父親の世代にたやすく侵入でき、成長した娘は母親を自分と同等な女としてながめる。交通手段の発達によって人びとの交流は加速度的に増加し、もはやインセスト・タブーや外婚という慣習は無意味になりつつある。社会学的父性が死滅するのも時間の問題かもしれない。しかしそれは、父親と同時に社会学的母親の消滅も意味している。人類ははたしてその混沌に耐えられるだろうか。P185

 社会学的父性の死滅を、近代の父殺しと読み替えれば、すでに父は死んでいる。
父の死が、科学を切り開いたのだ。
そして、父殺しは必然的に母殺しを伴うので、社会学的母親の死滅も当然である。
筆者が最後に、人類ははたしてその混沌に耐えられるだろうか、と疑問を呈する。
自然科学者であればなお、自然の仕組みに逆らうことが、どれほどの困難事であるか知っているだろう。
当然の疑問である。しかし、自然から離れた人類は、父も母も殺して、観念の旅にでてしまったのである。
広告
  感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる