匠雅音の家族についてのブックレビュー    レスビアンの歴史|リリアン・フェダマン

レスビアンの歴史 お奨め度:

著者:リリアン・フェダマン−筑摩書房、1996年 ¥4、700−

著者の略歴−1950年代後半に労働者階級のレスビアンとしてカムアウトする。ヨーロッパにおけるレスビアンの歴史を扱った前作「男の愛を超えて−ルネッサンスから現在までの女性間のロマンティックな友情と愛」で全米図書舘協会賞受賞。その研究をふまえて、アメリカにおけるここ100年のレスビアンの歴史を描いた本書は、ピユーリッツアー賞候補ともなり、アメリカにおけるレスビアン・ゲイ研究に対する最高の権戌であるラムダ・ブック賞を受賞した。フェダマンは現在、カリフォルニア州立大学フレズノー校で、文学とレスビアン・スタディを教えている。
 男性の同性愛というと、少年愛だったギリシャまで飛んでしまう例が多いが、
女性の同性愛は最近の事例がおおい。
だいたい少年愛としての同性愛と、ゲイとはまったく違うものである。
だから、筆者が近代に限定するのは、当を得た設定である。

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 ゲイの話題は、もはや普通に語られる。
同性愛のなかでも、男性同士のそれと区別して、
女性の同性愛をレスビアンと呼ぶことがある。
しかし最近では、同じくらいの年齢や立場の成人が愛しあうのは、ゲイと総称するようになりつつある。
女性のゲイを、本書はレスビアンと呼んでいるが、
1991年に出版されたこと、そして昔の歴史を考えれば、
女性の同性愛をレスビアンと呼んでも不思議はない。

 たいていの女は、社会に逆らうことなく、常識にのっとった行動を取るよう教えこまれる。 そのため、ロマン溢れる女性愛は世紀の変わり目を境に死に頼していった(もっとも、複雑な現代社会において、 かくも素朴な関係はいずれ滅びる運命だったろうが)。女どうしの親 愛関係はすっかり影をひそめ、その後長いあいだその可能性は閉ざ されたままだった。同じベッドで眠る、手をつなぐ、永遠の愛を誓う、 甘い言葉で手紙を書きあうなど、大人の女たちの何よりの愉しみだっ た甘美な触れあいに対して、女自身が自意識過剰となり、そういった 表現はしだいになくなっていった。過去20年間の女性運動の成果もあって、いまは女性愛の息吹が いくらか蘇ってきてはいるものの、歴史は二度と繰り返さない。20世 紀末の女性愛はもう以前のような性的純潔のベールに包まれてはい ないのである。P6

 本書はその(レスビアン)変遷の歴史であり、20世紀のアメリカに おける女性愛の進化をたどることを主眼とする。制度としての<ロマン ティックな友情>は、アメリカ史上初めて中産階級の女性の経済的自立が可能となった19世紀末において、その頂点に達した。また、 女の職域が拡大したのとほぼ同時期に性科学理論が一般に広まったのもけっして偶然ではない。この本は、その理論がどのように世間に浸透 していったかにも関心を向けた。なんら経済的基盤を持たないロマン ティックな友情が、あっさり結婚に道を譲っていた頃に比べ、女どうしの関係がより永続的で「真剣なつきあい」として社会的脅威となったとき、 性科学理論は女どうしの絆の強まりを浸食する役目を果たした、というのが私の持論である。P8

 本書を読み進むと、「レスビアンは生まれながらの特性であり今も昔もレスビアンはずっと存在しつづける」と主張する「同性愛=生得論者」と、 「社会的存在としての『レスビアン』が登場するためにはある種の社会条 件が必要である」と主張する「同性愛=社会的横築論者が登場するが、今回の研究の結果、私は後者の意見に賛同する。ホルモン「異常」や遺 伝子レベルで異質な特徴をもって生まれた者もいるには違いないが、統計的にはわずかであり、信頼性の高い研究では、こうした「異常」はレス ビアンには非常に少ないことが確認されている。 P10

 基本的には、まったく同意である。
おそらく男性のゲイも同じであろう。
ゲイとストレートには、遺伝子的な違いはなく、ある種の社会条件がそうさせるのだと思う。
女性の経済的な自立にも、筆者は注目しているが、当然の視点であろう。
筆者はこの仮説に基づいて、
膨大な資料と、17〜86才まで186人のインタビューによって構成されている。

 女性同士の関係であっても、女性特有の関係をつくることはできない。
女性の愛憎関係であっても、
長い歴史とたくさんの事例がある異性愛にならっている。
相手の性が同じでも、人間の愛情表現には、それほどの違いはない。
工業社会が隆盛をきわめた時代には、肉体労働者が尊ばれたように、
女性のなかでももてたのは肉体労働者だった、という。

 70年代には職工などのブルーカラーになることが美徳とされていたが、その観念も80年代には消えていった。70年代から電気工として働いていたノラは、80年代の末には「もっと尊敬に値するような職業」に就きたいと思うようになったという。というのも、レスビアン・フェミニストは運動の絶頂期には職工に一目置いていたくせに、80年代になると「私の稼ぎのほうが倍も多いのに、差別的なことを言うようになったんですもの、つくづく嫌気がさした」からだ。このように70年代を経験したレスビアンにとって、階級意識は劇的な変化を遂げたのだった。 P340

 教条主義的な運動が破綻し、女性たちもPC(政治的に正しい)行為に幻滅していった。
こうしたなかで、レスビアンと男性ゲイは、連帯を深めていく。
その成果もあって、レスビアンたちは柔軟な姿勢を獲得してくる。

 筆者もいうように、セクシャリティ、とりわけ性的なカテゴリーが、
「性欲」とは無関係な要素によって決定されている。
つまり、情報社会になって、思考が現実から切り離されたのを反映し、
人間関係も生理的な事実から切り離されたということだ。

 観念が欲するように行動する。
それが情報社会の行動様式であり、経済的な自立を果たした人間は自分の好みで行動できる。
だから、同性を愛しても良くなったのである。
それは男も女も関係なく、どちらの性にとっても事情は同じである。
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参考:
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006
礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987
プラトン「饗宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002
東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985

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