著者の略歴−1939年生まれ。社会人類学者。県立長崎シーボルト大学(国際情報学部)教授 人間の欲望は、その人間が生活している社会によって規制されている。 それは性的な世界においても同様である。 性器を結合する性交それ自体は、どんな社会であっても同じであっても、 性交の行われかたや時期・当事者は、それぞれの社会によって異なっている。 それは編者の言葉を待つまでもないだろう。 性を扱う以上、調査者の生の姿をさらさないで、フィールドワークはできない。 調査者の属性によって、調査自体に大きなバイヤスがかかる。 たとえば、調査者が男性であれば、女性たちは本当のことを話さないし、 女性であれば男性たちは本当のことを話さない。 それは性という極私的な領域を扱うので、当然予測されることだ。 調査者が自分をさらさなければ、おそらく調査自体が成り立たないに違いない。 本書は、8人の文化人流学者によって行われたフィールドワークの報告書である。 旧来の論文形式ではなく、筆者の体験を生に近い声で書いている。 そこで本書は、エッセイという形をとらざるを得なかったのだが、 それは決して学的な価値を下げることにはならない。 本書の読後感は良いし、凡百の論文より信頼できると思う。
河合香吏−ケニヤのチャムス人 菅原和孝−カリハラ砂漠に住む人 椎野若菜−ヴィクトリア湖畔に住むルオ人 松園万亀雄−ケニヤのグシイ人 縄田浩志−スーダン人女性 中山紀子−トルコ人の夫婦 砂川秀樹−新宿2丁目のゲイ 伊藤真−インドネシアの性否自認者 という主題をめぐって、長短の文章が並んでいる。 編者でもある松園万亀雄が1939年生まれ、 菅原和孝が1949年生まれであるのを除けば、 1960年から70年頃に生まれた筆者たちであり、 若い視点が好感を与える。 本書を読むと、我が国では主流とされる性文化が、ひどく時代制約的であり、近代のものだと知らされる。 たとえば、セックスの体位は、男女が添い寝する形が主流らしい。 また、マスターベーションはしないらしいし、性器性交以外はしないらしい。 アフリカ大陸内部の多産指向の社会では、婚外の性関係が緩やかに制度化されているようだという。 だから、配偶者以外の者と性交をしても、不倫にはならないという。 もちろん、婚外の性交制度を維持していくには、さまざまなタブーが性倫理を形作っており、むやみやたらと乱交しているのではない。 さまざまなタブーが、各自の行動を規制しているのは言うまでもない。 農業が人々の生活を大きく規定しているので、農業生産と性的な欲望も結びついているという。 キレーホ(カリハラ砂漠の1住人)の語りを聞いてはっきりとわかったことがある。彼の<性>は、生業技術に精通するという成熟の文脈のなかに埋めこまれて、はじめて欲望を生みだすかのようであった。そのとき、<性>は閉鎖した欲望の孤島をかたちづくって、彼を駆り立てるわけではない。欲情は、一人前の男として「女の人」と性交するという現実の行為と、緊密に結びつくときにはじめて、彼の心を「甘く」するのである。P78 近代になって、性的な欲望もまた相対化にさらされたのだ。 農業社会では、老人は生産技術の保持者として有用だし、若者は労働力として不可欠である。 若者が老人を支えなければ、人間が生き続けることはできない。 乳幼児死亡率の高い農業社会では、子孫を確保することは全員にとって至上命令である。 そこで、夫婦が不妊の場合には、代理人制度が用意されている。 代理人制度とは、わかりやすい比喩をつかえば、欧米や日本で現在おこなわれている精液注入器による非配偶者間人工授精(AID)をペニスそのものでおこなう方法だといえる。もちろん、社会的、文化的脈格は大いに異なるから、グシイ社会と先進国の不妊解決法を比較してもあまり意味がない。グシイの場合は不妊や少子の夫婦だけではなく、大勢の子供を残して死んだ男が、さらに自分の子孫をふやすためにも代理人制度が活用されている。精液ドナーに相当する代理人の素性は村びと全員に知られているし、代理人になるための資格や代理人を選ぶ手続きもあらかじめ決まっている。代理人が産ませた子の慣習法的なあつかいも決まっている。P119 こう言われると、不思議な感じになってくる。 非配偶者間人工授精(AID)をペニスで行うとは、セックスをすることだ。 我が国では不倫そのものであり、こんな行為は許されないだろう。 しかし、妊娠させることができない以上、 セックスが子孫を残すためだとすれば、他の男性が夫の代理人になっても良いだろう。 現代の日本社会では、セックスの目的が子孫を残すこと以外になっているから、 非配偶者間の性交は許されないのだ。 産業の種類が、人間の意識を規定すると共に、性意識や性行動をも決めるのは当然だ。 しかし、本書のように、他民族の心の襞にまで入っていくと、我々の知らない事実を教えられ、 いかに我々の現代社会が相対的なものであるかを知ることができる。 新宿2丁目のゲイ社会をとりあげているが、ゲイというのも近代のものであると知る。 また、インドネシアには女性を生きる男性がいるが、 社会が彼(女?)を女性と認めるから、性同一性障害はありえない。 性差とはまさに、社会的な認知そのものであると知る。 とすると、性差で社会を規律するのは、ちょっと考えものだ。楽しく読んだ。 (2007.09.29) 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ 参考: 岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999 フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991 ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001 オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992 石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002 梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001 山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995 アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001 シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000 アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991 曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003 アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002 バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991 編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005 エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992 正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004 ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006 ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006 菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000 ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997 ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001 ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006 松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003 ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999 ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001 赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996 ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969 田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004 ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000 酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005 大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006 アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006 石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008 石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995 佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994 岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009 ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003 メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009 白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002
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