匠雅音の家族についてのブックレビュー    アラブが見た十字軍|アミン・マアルーフ

アラブが見た十字軍 お奨度:

著者:アミン・マアルーフ 
ちくま学芸文庫、2001(リブロポート、1986) ¥1、500−

著者の略歴−1949年レバノン生まれ。ジャーナリスト、作家。祖国の内乱を機に76年、パリに移住した。本書刊行後は創作に専念、88年、Samarcande(『サマルカンド年代記』牟田口訳)で新聞協会文学賞、93年、LeRoche de’nnios(ダニオスの岩)でフランス四大文学賞の一つであるゴンクール賞を受賞した。
 11世紀から13世紀にかけて、西ヨーロッパのキリスト教徒がおこなった十字軍。
わが国ではヨーロッパ側からの情報ばかりあふれている。
戦争当事者のもう一方であるアラブ側からの発言は聞かれてこない。
本書は、レバノン生まれのジャーナリストが、アラブ側から書いた十字軍にかんする歴史書である。
当然のことながら、アラブ側から見れば、十字軍という言葉まったく登場しない。
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 アラブにとって十字軍とは、単なる暴力的な侵入者である。
なぜ、十字軍がアラブへ攻め込んだのか、その理由は判らない。
しかし、アラブ側にとっては、まったくの売られた喧嘩だった。
しかも通常の戦争とは違って、兵士だけではなく女や子供また老人までが一団となった十字軍は、きわめて異常なものだったらしい。
アラブ側は最初とても戸惑っている。

 本書では、ヨーロッパ人をフランクと呼んでいるが、フランクたちの真意をつかみかねていたようである。
戦闘集団ではない殺人者の群を、初めこそ撃破したが、後には手を焼く。
とくに本物の兵士が登場するに及んで、フランクの占領を許すようになってしまう。

 11世紀当時は、まだ、ヨーロッパという名前さえ登場していない。
経済的にも文化的にも、ヨーロッパよりもアラブのほうが優れていたようだ。

 12世紀において、フランクは、科学・技術の全領域において、アラブより非常に遅れていた。そして、先進の中東と未開の西洋との較差がいちばん大きかったのは、医学の分野においてであった。P238

といって、足を怪我した男性に治療と称して、斧で足をたちおとした話や、病気になったのは悪魔の仕業だといって、肺病の女性の頭骸骨を塩もみにした話がでている。
何とも野蛮なことだが、両方とも、患者はたちまち死んでいる。

 後進国のヨーロッパ人だったが、物量で圧倒してアラブを打ち倒す。
そして、200年にわたり、占領を続ける。
もちろんこの間、アラブ側も手をこまねいていたわけではない。
反撃にでようとしたはいるが、後継者の選定でもめたりして戦力を集中できない。
聖地エルサレムをめぐる紛争だが、エジプトやチュニスなどまでをも巻き込んだ、アラブ対ヨーロッパの戦いになる。

 ダミエツタ危機の厳しい日々を通じ、エジプトのあるじは、フランクがその到着を待望していた有名なフリードリヒ、アル=エンポロル〔皇帝〕について、しきりに問いを発していた。彼は人がいうはど、ほんとに強力なのだろうか?彼は実際ムスリムに対して聖戦を行おうとしているのだろうか?周りの者に尋ね、また、フリードリヒが国王になっている島、シチリアから来た旅行者から聞けば聞くはど、アル=カーミルの驚きは増して行く。(中略)フリードリヒについていわれていることは本当なのだ。彼はアラビア語を完全に話し、かつ書き、ムスリム文明に対する称賛を隠さず、野蛮な西洋について、そして特に大ローマの法王について、ばかにした態度を示す。P392

 そうこうするうちに、モンゴルからの脅威がはじまったりして、騒々しいことになっていく。
やがて停戦になり、とうとうアラブはフランクを撃退する。

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 これに続く何年か、フランクは、そして特に、フラーグの息子で継承者のアバーカーが率いるモンゴルは、何度もシリアヘの侵攻をたくらむが、その都度撃退される。そして1277年7月にバイパルスが毒殺されて死んだとき、中東におけるフランクの所有は、もはや数珠つなぎの形の沿岸都市にすぎず、しかも四方をマムルーク帝国に囲まれている。彼らの強力な城塞網は完全に破壊されてしまった。彼らがアイユーブ時代に満喫した猶予の期間はまったく終了した。彼らの追放は以後必然のものとなる。P432

 長年にわたる占領をよく跳ね返したものだ。
長年にわたって占領するためには、フランクにも統治機構が整備されたはずである。
すでに新たな国家ができあがっていたに違いない。
今日のイスラエルを見ても判るように、一度できた国家は簡単にはなくなることはない。
筆者も言っているが、フランクたちは首長の交代なども制度を整備しており、彼等の統治は優れていたらしい。
それを覆したのだ。

しかし、筆者は、次のように言う。

 うわべから見ると、アラブ世界は輝かしい勝利を得たところである。西洋が絶え間ない侵略によってイスラムの進出を押さえこもうとしたにせよ、結果はまさに逆であった。中東のフランク諸国家は、二世紀にわたる植民地化のあとで、根を引き抜かれてしまったばかりか、ムスリムはみごとに立ち直って、オスマン・トルコの旗のもと、ヨーロッパそのものの征服に出かける。1453年にはコンスタンティノープルが彼らの手中に帰したし、1529年には、その紛兵たちはウィーンの城壁のもとに陣を張ったものだ。P446

 侵略者にとって、征服した民の言葉を学ぶのは器用にこなせる。
一方、征服された民にとって征服者の言葉を学ぶのは妥協であり、さらには裏切りでさえある。
実際、フランクの多くはアラビア語を学んだのである。
これに対して現地の住民は、土着のキリスト教徒のいくつかの例外を除き、西洋人の言葉に無関心で通した。

 例はいくらでも挙げることができよう。フランクはどの分野でも、シリアやスペインおよびシチリアにあるアラブの学校で学んだからだ。そして学んだことは、彼らのその後の発展になくてはならぬものになる。ギリシア文明の遺産は翻訳者にして後継者であるアラブを介して初めて西ヨーロッパに伝わった。医学、天文学、化学、地理学、数学、建築などにおいて、フランクはアラビア語の著書から知識を汲み取り、それらを同化し、模倣し、そして追い越した。P451

 その後のアラブは、ラクダと遊牧の民になり、石油がでるまで砂漠に暮らしてきた。
そこにはイスラムの教えこそあれ、近代化とはほど遠い生活だった。
今日では、アラブとヨーロッパではその近代化度において雲泥の差がある。
本書の締めくくりはいかにも皮肉である。

 十字軍のはたした役割は、ヨーロッパの近代化を促すことにもつながっている。
アラブはインドからも文化を取り入れており、成熟した時代を築いていた。
ヨーロッパがアラブから得たものは、膨大であった。
十字軍がなかったら、西ヨーロッパの近代化はなかったかもしれない。
そうした目で見てみると、とてもおもしろい。    (2003.6.20)
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参考:
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
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ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
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アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
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田川建三「イエスという男」三一書房、1980
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992

ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992
桜井万里子「古代ギリシアの女たち」中公文庫、2010


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