著者の略歴−1904年、アメリカ合衆国ウィスコンシン州に生まれる。25年プリンストン大学卒業後、外交官としてリガ、タリン、モスクワに赴任。46年国務省政策企画室長として、アメリカの戦後世界政策を構想。駐ソ大使就任以後は外交史、アメリカ外交論の研究、著述活動が世界の注目を集める。 ソ連という国があった時代、アメリカはソ連にたいして<封じ込め政策>をとった。 封じ込め政策を打ち出したのが、本書の筆者である。 そのためにわが国では、筆者は保守の権化のように見られてきた。 しかし、本書を読むと、筆者は現実主義者であって、必ずしも保守主義者ではないと感じる。 むしろ鋭利な現実感覚をもった外交官だったとすら感じる。 筆者のような知的な雰囲気を感じさせる外交官が、わが国にもいるのだろうか。
スペインとの戦争から始まる本書は、1950年にシカゴ大学で行われた連続講演が、もとになっている。 筆者は外交官として出発した。 しかし、外交官としては頂点まで登りつめず、最後には大学人となってしまった。 多くの著作を残しており、むしろ書斎の人だったのかもしれない。 ベトナム戦争に反対しているのも、筆者の立場を良く物語っている。 わが国では、いまだに太平洋戦争を美化したがる人がいる。 外交官であればなおさら、自分の国をよく言いたいものである。 しかし、筆者はあくまで冷静に現実を見ている。 かれら(=アメリカ人)はイギリスの海軍とその大陸外交によって庇護されているアメリカの地位を、旧世界の浅ましい争いに干与しないというアメリカの優れた知性と徳性の結果であると誤解していた。だからかれらは、その後半世紀を通じて、かかる安全保障の型を打破する運命を担っていた諸変化の最初の前触れに対しても、全く気づかずにぼんやりとしていた。P7 1950年代といえば、第2次世界大戦が終了し、アメリカが我が世の春を謳歌していたときである。 アメリカの地位が、イギリスの保護によって保たれている。 アメリカ人が、こうした認識をもつのは、きわめて冷静な客観力が必要である。 ひるがえってわが国を考えてみると、とてもこうした発想はもてないだろう。 スペインとの戦争にしても、アメリカがフィリピンを領有することの可否を冷静に判断している。 国際政治の状況とは、空白地帯の存在を許さない。 だから、アメリカがフィリピンを領有し続けると、もはや引くことはできなくなる。 戦争に勝つことが、必ずしも良いこととは限らない。 いわゆるパワーポリティックスの原則に、筆者は忠実に行動している。
と言ったあとで、民主主義とは御しきれない怪物であり、その怪物は一度怒ると、自分の住処をも壊してしまうくらいに、無分別になるのだ、とも言っている。 いずれにしても、著者は自分の国に対して、好悪の感情を抜きにして、冷静に見ている。 筆者の視線に感動するのは、道徳律で政治を見ていないことである。 正しいか正しくないかが、国際政治の決め手のように思いやすい。 戦争にしても、どちらに正義があるか、そう考えやすい。 しかし、筆者は次のようにいう。 法律を守れと主張する人は誰でも、もちろん法律の違反者に対して憤りを感じるに違いないし、また彼に対して道徳的優越感をもつに違いない。そのような憤激をもって軍事闘争が行われるとき、無法者を徹底的に屈服!つまり無条件降伏−させないかぎり、その止まるところを知らないのである。世界問題に対する法律家的アプローチは、明らかに戦争と暴力をなくそうとの熱望に根ざしているのだが、国家的利益の擁護という古くからの動機よりも、かえって暴力を長引かせ、激化させ、政治的安定に破壊的効果をもたらすのは、奇妙なことだが、本当のことである。高遠な道徳的原則の名において戦われる戦争は、なんらかの形で全面的支配を確立するまでは、早期の解決を望み得ないものである。P152 第1次世界大戦といい、第2次世界大戦といい、全面戦争になってしまった。 そのため、無条件降伏という形で集結せざるを得なかった。 筆者の論に従えば、戦争とは政治の継続なのだから、条件付きの降伏にならざるを得ないはずである。 わが国では、現実主義者は現実迎合主義と誤解され、保守主義者と分類される。 イデオロギーの支配が長く続いたので、平和を口にしていれば平和主義者だといわれる。 しかし、戦争になったときに、ただ戦争反対と言っただけでは無意味なのである。 とりわけ外交官であれば、戦争状況にどう対応するかは、どうしても考えなければなるまい。 誰でも平和を愛するのは、あたりまえである。 誰でも平和が好きである。 しかし、戦争は起きてきた。 だから、平和の大切さを口にしても、何も語らないに等しい。 歴史を直視すれば、戦争も考察のうちに入れるのは当然である。 リアリストと呼ばれる現実主義者の資質こそ、思想家の最低条件である。 本書は、国際政治をどう考えるかのうえで、良質の教科書である。 (2003.6.20)
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