著者の略歴−1934年、広島県生れ。女子美大中退後、自由美術協会会員として絵画の創作活動を行う。その後ノンフィクション作家に転向し、TV、ラジオ、各地での講演会、フォーラム、トークショーなどでも活躍。著書に『ボケたくはないけれど−アルツハイマー型痴呆症レポート』『特攻の町・知覧 最前線基地を彩った日本人の生と死』『奇跡の村一隠れキリシタンの里・今村』などがある。 自分が老人になっていなかったら、そして、脳梗塞をやっていなかったら、この本を読むことはなかったかも知れない。 不摂生をした者だけが、病魔に倒れるわけではない。 病気は誰をも襲う。 アルツハイマーは恐ろしい病気である。
しかし、手が1本なくても生きていけるが、脳がやられると生きていけない。 脳は人格を保つ器官であり、身体を維持する大本である。 脳の病気もたくさんあるが、脳出血や脳梗塞などの脳血管障害と、アルツハイマーが有名である。 アルツハイマーは発症したら、薬で進行を遅らせることはできるが、治ることはない。 人格の崩壊と、身体機能の停止にむけて、つまり死へと一直線に進んでいく。 脳障害の恐ろしいところは、本人の頑張りが期待できないことだ。 リハビリでこそ頑張りを発揮できるが、動かない手や足を動かそうにも、頭がやられると「動け」という命令が届かない。 おかしいほど動かない。 いつもは何気なく動かしている手、手に動けなど意識して命令することはない。 しかし、脳がやられると、根性では動かないのだ。アルツハイマーではもっと始末に悪い。 身体は元気でありながら、身体に命令を出せなくなってしまう。 いやトンデモナイ命令を出してしまう。 筆者は、アルツハイマーの病変を一番先に知るのは、本人であるという。 異常が発生するのは、ホンのささいなことだ。 だから、他人は異常に気がつかない。 しかし、意欲の減退や記憶のとぎれなど、本人は気がつく。 自分で不安を感じるようになると、約束事や予定などを克明に記録したり、思い出す訓練をしたり、記憶することに努力したりする。そして人に気づかれないように注意し、ごまかそうと考えるようになる。病気の進行は人によって大きく違うが、何カ月か、あるいはもっと時間がかかるかも知れないが、やがて「自分は異常なのではないか」という意識は失われていく。同時に恐怖感からも少しずつ解放されていくと思われる。 「アルツハイマー病患者には病識がない」という認識が定着しているのは、そういう意識が失われてしまってからの患者にしか、医師は接することが ないからだと思われる。P49 初期も初期には、誰にも言えない不安に、本人だけが恐れおののいている。 記憶は人格の中枢だから、記憶を失うことは人間ではなくなることだ。 言語的な記憶はいうに及ばず、トイレの場所も食事の仕方も、すべて記憶がささえている。
排泄は機能だからどこでも容赦なくするが、排泄の場所は記憶に格納されているし、排泄の後始末の仕方も記憶が支配している。 アルツハイマーは、まず記憶のとぎれとなって自覚される。 しかし、この段階では、他人に気付かれるほどではなく、他の方法で何とかカバーできる。 不安を感じるのは、初期の初期であるという。 本人が自分の物忘れに不安を感じるのは初期の初期、そこを通り過ごしてしまえば病識は失われる。病識がないということは、闘病などしないということだ。 しかし実際にはこの世の中に生存していて、病気はどんどん進行していくのだから、生きている限りは闘病することになる。ではどうやって闘病するのかというと、結局誰かがなりかわって闘病するしかない。つまり介護するものが患者の代わりに闘病することになるのである。(中略) ちょっとオーバーな言い方かも知れないが、介護にあたるものは患者の代わりに闘病し、患者の人格をも引き受けなければならなくなるのである。 そうだろう。 人格がなくなった人間は、もはや介護者が知っている人間ではない。 自分の妻や夫を、この人は誰か、ということになる。 それでも介護者は、妻や夫を見捨てるわけにはいかない。 相手から無視されたり、罵られたりしても、介護が続くのである。 筆者は自分の父親がアルツハイマーに倒れたが、父親には当然ながら妻がいる。 最初は、妻が看護・介護していた。 配偶者はだいたい同じ世代である。 若年性のアルツハイマーは別として、老年期に発症すれば、配偶者も老年であることが多い。 老老看護・介護になる。 妻が誰だか判らなくなっても介護を続け、しかも暴力をふるわれるとあっては、配偶者が介護を続けるには困難がともなう。 自身も入院してしまった妻は、娘が連れてきた夫に会おうとしなかったという。 長い廊下やエレベーターを乗り継いで、やっとたどり着いた母のベッド。しかし母は父に会うことを拒絶した。ふとんをすっぽりかぶって、手で出ていけという仕種をする。私は母を喜ばせたい一心で父を強引に歩かせたのに。 何にも解らないでただ必死に足を運ぶ父をつれて、長い廊下を引き返しながら、私は不覚にも涙を流してしまった。長い人生の、夫婦の終わりがこんなことでいいのか。母はふとんの下で何を考えていたのか。変なおばはん扱いされ、蹴られたりした父を許せなかったのだろうか。もう素晴らしかった父のイメージだけにしておきたかったのか。私にはとうてい理解の出来ない夫婦の姿であった。P272 不治の病気だが、研究も進んでいるという。 しかも、我が国の研究は世界でも進んでいるらしい。 アルツハイマーが完治する病気なるまで、とにかく本人が気をつける以外にないようだ。 父親をアルツハイマーで失った筆者の、残念さがよく伝わってくる。 (2008.10.13)
参考: E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000年平凡社、1970 ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003 松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005 榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973 ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000 沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998 ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994 ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999 小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999 櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002 松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981 ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988 小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002 佐藤早苗「アルツハイマーを知るために」新潮文庫 2007年 多田富雄「寡黙なる巨人」集英社、2007 熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001 正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002 加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974 北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997 アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004 御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007
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