匠雅音の家族についてのブックレビュー   「家族」をつくる−養育里親という生き方|村田和木

「家族」をつくる
養育里親という生き方
お奨度:☆☆

著者:村田和木(むらた かずき)  中公新書ラクレ 2005年 ¥800−

著者の略歴−1956年、福島県いわき市生まれ。宇都宮大学農学部農芸化学科卒業。『暮らしの手帖』および『東京人』の編集者を経て、98年からフリーのライターとして活躍。『婦人公論』など雑誌を中心に、インタビュー記事やルポルタージュを執筆。
 子供が成人するには、ながい時間がかかる。
多くの親は、子供たちに愛情を注ぎ、大切に育てる。
だから子供は、他人を愛することもできるようになるし、社会性も獲得できる。
子供はほっておかれたら、育つことができない。
誰かが養育しなければ、人間になれないのだ。
TAKUMI アマゾンで購入
「家族」をつくる

 1972年に、外廊下の一隅に作ったトタン小屋に、数年間、閉じ込められていた姉弟が発見された。
6歳の姉も5歳の弟も、床をハイハイすることしかできなかった。
姉のほうは、かろうじて5つか6つの単語の意味を理解できるようであった。
しかし、弟は言葉をまったく理解することができなかった。
これが人間の子供である。

 何らかの事情で、生み親の元で育たなくなった子供たちは、我が国では多くの場合、児童施設で育つことになる。
わずかながら幸運な子供が、里親のもとで暮らすことがある。
本書は、里親とそこで育つ子供たち、そして、里親制度についてのレポートである。

 おおくの実親たちは、子供が自然に育つと思っている。
そして、あたかも子供が自分の所有物であり、自分の都合で育てて良いと思っている。
また、自分のメンツが大事で、自分が恥をかかないようにと、子供を厳しく躾たがる。
しかし、本書を読んでいると、里親と実親の子育ては、何も変わらないと感じる。

 里親は、血のつながりがない分、意識的に親子関係を築こうと努力している。自分の家に来た子どもを丸ごと受け止め、「大好きだよ」「いつも見守っているよ」という言葉かけを欠かさない。家族で食卓を囲む時間を大切にし、夫婦仲良くを心がけている。おそらく夫婦が協力しなければ、よその家で生まれた子ども(多くの場合、いろいろな問題を抱えている)を愛し、育てることはできないのだろう。多くの里親は、子育てに見返りを期待していない。子どもが将来、自分の力で生きていけるように心を砕きながら、育っていく瞬間、瞬間を楽しもうとしている。私はその姿に<親としての本来の役割>を見る。P5

と筆者はいうが、血のつながりがあっても子育ては変わらない。
いままで、血縁が親子関係を支えると誤解されてきたから、子育ての真実が見えなかったのだ。
子供が天からの授かりものだった時代には、子供を丸ごと受け止めていたのだ。
それが高度成長を経る頃から、条件付きの子育てになってしまった。

 子供の自発性を伸ばすのではなく、望ましいと親が思う規格にあてはめるように、子供を加工し始めたのだ。
厳しく躾て育てるのが、あたかも正しい子育てであるようになった。
しかし、厳しい子育てとは、親の都合を押しつけることだ。
躾といいながら、親が良しと思う理想を子供に強制している。

 子供が真面目であればあるほど、子供は親の期待に添おうとする。
一生懸命に親の期待に応えるが、親の提出する躾は、どんどんレベルが上がっていく。
なぜできないのだ、と厳しく叱られる。
やがて、子供は応えられなくなる。
そこで子供はウソをいったり、誤魔化したりするようになる。
ボクも小さな頃は、ウソつきだといわれた。
子供ながらに、ウソをつくことが悪いことだと知っている。
大人は知らないけど、ウソは親の期待をみたすためにつくのだ。
 
広告
 里親にとって、里子は気の遣う相手です。それに対して、実子とは深く揺るぎのない絆で結ばれていると過信しているんですよ。自分の体の一部だと思って、安心している。でも、子どもからすると、そうではありません。「親から愛されている」という実感がないと、親の気持ちやしていることが理解できないのです。里子だから、実子だからという基準ではなく、その子どもに何が必要なのかを見極めて対応することが大切ですね。P36

と、ある里親に言わせているが、まったくそのとおりである。
「親から愛されている」という実感がないと、子供は親子関係をつくることができない。
実の親だから、子供が可愛いとは限らない。
実親であることによってだけでは、「親から愛されている」という実感は伝わらない。

 里親子関係は、乳幼児の時代を持たないことが多い。
そのため、里親子特有の行動がでる。
社会的養護のもとで育った子供が、健全に育つ条件は3つあるという。


1.赤ちゃん返りを受け止めてもらうこと
2.子供の嫉妬、やきもちを受け止めて貰えること
3.自分の境遇が整理できること P215


上記の3条件は、次のようになるだろう。 

 施設は職員が交代勤務のため、大人に甘えることを押さえて、赤ちゃん返りは起こさない。
しかし、里親家庭が安全で安心できるとわかると、赤ちゃん返りをして、親との関係を結んでいく。
すでに小学校や中学に入る年齢の子供が、おんぶや抱っこなどの濃密なスキンシップを要求するのだ。
これが赤ちゃん返りである。

 保護者である親から離されることは、子供には根源的な不安につながる。
子供には離された理由がわからないので、大人の愛情を独占したいという気持ちが強い。
里親が近所の子どもに声をかけることも嫌がるという。
里親は嫉妬の気持ちを、受け止めるなければならない。

 子供は自分が理解している範囲で、ストーリーを作り時間をかけながら、自分の境遇を理解していく。
施設の職員は、子供との信頼関係ができても、何年かたつと異動したり、退職して、子供の前から去っていく。
信頼できそうな大人に期待しては、裏切られるという経験を重ねていくので、自我が充分に確立しにくいのだろう。(上記3段落は、本文を意訳した)

 上記の3条件は、実親だって同じだろう。
ようは出産直後から、愛情をもって養育してくれる誰かがいればいい。
子供は誰でも、褒められたがっているのだ。

 栄養が満たされれば、体は大きくなる。しかし、大人に甘えたい気持ちが満たされなければ、心は育っていかない。子どもにいちばん必要なのは、いつもそばにいて「大好きだよ」と言ってくれる人。一緒にいると安心できて、ときには、わがままを言える人。つらいときは一緒に泣いたり、悲しんだり、そして、困ったときに助けてくれる存在なのだ。そういう存在を保障するのが、里親制度ではないだろうか。この制度を「子どものいない大人に、子どもを紹介する制度」だと勘違いしている人がいるが、そうではない。親や家庭から離された子どもたちが、幸せに生きていくためのものなのだ。P215

 これは決して里親にだけ当てはまるものではない。
これこそ子育ての神髄ではないだろうか。
ボクは精神的な親子関係が欠損して、自分の子供がもてなかった。
成人してからの生活が貧しかったこともあって、里親にもならなかった。
もう少し若かったら、ボクも里親になっていただろう。
涙を浮かべながら読んだ。
  (2010.1.30) 
広告
    感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
H・J・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう:フロイト帝国の衰退と没落」批評社、1988
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
リチャード・ランガズ、デイル・ピーターソン「男の凶暴性はどこからきたか」三田出版会、1998
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか 生態人類学から見た文化の起源」ハヤカワ文庫、1997
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
匠雅音「家考」学文社
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992

「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる