著者の略歴− 1953年、アメリカ、サウス・ダコタ州に生まれる。臨床心理学博士。家庭の問題を扱う心理セラピストとして、特に親や家族の不健康なコントロールや虐待を受けて育った人のセラピーを専門としている。個人的なセラピーの他、各地でワークショップを開き、さらに招かれて講演を行ったり大学で講義をするなど、この間題への人々の理解を深めるために精力的に活動している。サンフランシスコ郊外在住。全米ファミリーセラピー学会会員、カリフォルニア・ファミリーセラピー学会会員。著者メールアドレス(英文のみ):drdan@controllingparents.com 著者ホームページ:http://www.controllingparents.com/ : 筆者は違うが、「毒になる親」の続編といったら良いのだろうか。 「毒になる親」が身体的虐待、性的虐待、精神的な遺棄まで、さまざまな虐待を対象にしてきたのに対して、本書は精神的な虐待に絞って論じている。
コントロールという言葉は、意味が曖昧な感じがする。 しかも、箇条書きになっているので、やや散漫な読後感となっている。 しかし、2年間で6刷りとなっているから、多くの人に読まれたのだろう。 それだけ、親に虐待されたと考える人が多いのだろう。 暴力的に虐待された場合は、もちろん子供の精神が歪む。 しかし、この場合は、問題がはっきりしている。 かつて殴ることは、愛の鞭などと言われて肯定されもしたが、いまでは暴力を行使することは完璧に否定されている。 どんな理由があっても、親が子供を殴ることは愛情とは無関係である。 それは認知されてきた。 精神的な影響となると、まだまだ評価が定まっていない。 親は子供を愛しているはずだ、という思いが頑としてある。 親のどんな対応も愛情表現というわけだ。 しかも、精神活動は一筋縄で表現できるものではなく、何が精神的な虐待が判りにくいのが現実だろう。 殴ることすら、愛情表現と言われてきたのだから、子供をコントロールする程度では、虐待と言いかねるだろう。 本書は心が健康な親と、コントロールばかりする親を対比させている。
この対比は、実に説得的である。 それぞれの項目に、細かい説明がついている。 結局、子供を虐待する親とは、子供を自分と同じ1人の人格と考えていない親だろう。 小さなうちは、子供は親の言うことに従うものであり、子供が自我を主張することは、口答えとしか考えていない。 細々とした親の対応を取り上げていけば、たいがいの親が本書にいうコントロールばかりする親に該当するように感じる。 アメリカであっても、我が国の古い親たちと同じように、子供を所有物とみたり、育てられた恩があるという親もいるようだ。 精神的な虐待とは、結局、親の心構えに他ならないから、子供を1人前の人格とみないと、どんなに愛情を注いでも虐待となってしまうだろう。
たとえば、男が女を所有していても、女にきれいな洋服を着せ、美味しいものを与え、快適な家に住まわせすことはできる。 金持ち男性が女性を所有した場合、貧乏な男性が女性と自由な関係を結ぶときより、はるかに豊かな環境を与えるだろう。 しかし、女性が所有されていること自体に、女性は息が詰まるはずである。 どんなに豊かな環境を与えられていても、男女が等価でなく対等に扱われないと自由はない。 だからこそ、豊かな先進国で女性たちはエプロンを捨てて、家庭をでて自立の道を選んだのだ。 フェミニズムは豊かな国でなければ、誕生しなかったのだ。 所有された状態から、自由になるとは、必ずしも豊かになることを意味しない。 所有されている間は、寝食には不自由しないだろう。 しかし、自由になったとたんに、自分で稼がなければならない。 短期的に見れば、自由になるとは貧乏になることですらある。 それは人種解放の歴史をみれば、すぐに判ることだ。 黒人しかり、部落しかりである。 金持ちの親が、子供を所有していると、子供は恵まれた環境におかれるだろう。 しかし、いかに恵まれていても、親に所有されているかぎり、子供は 息苦しくてしかたないのだ。 女性は男性に従うのが自然だと言われたように、いままで、子供は親の言うことを聞くのが自然だとされてきた。 女性は自由を求めて、男性も支配から逃れはじめた。 同じように考えると、子供の解放もよくわかる。 親は子供を所有するものだ、と長いあいだ考えられてきたので、自由な子供のあり方が想像できない。 @子どもは親の所有物である。 A子どもは親に借りがある。 もちろん、こういう考えを持つのは、コントロールばかりする親にかぎつたことではありません。多くの親は「子どもは親をうやまい、親に忠実で、親に感謝しなければならない。なぜなら子どもは親に育ててもらった<借り>があるからだ」と信じています。社会や宗教の多くはこの考えを助長しますし、私たちのはとんどはそう教えられて育っているからです。しかし私は、この件に関してそれとはちょっと違う考えを持っています。それはこういうことです。 『子どもは、単に親の子どもだからという理由で親に借りがあるわけではない』 私たちはとんどの人間は、親を愛し、うやまう気持ちを持っています。もともと存在しなかった自分を創り出して育ててくれた人たちに感謝し、忠誠心を持ち、認め、賛美する気持ちを持つのはごく当然ですし、自然なことです。しかし、自然なこととはいえ、それは親に<借り>があるからではありません。子どもは、自分が存在する正当な権利を維持するために、感情的な対価を払わなくてはならない責任はないのです。P156 親は子供をもつ選択をしたが、子供は生まれる選択をしたわけではない。 子供は親を喜ばせる義務はない。 それは女性が男性に従う義務がないのと同じである。 女性が自立した現在、子供の自立が待たれている。 心の健康な親の基準が、社会に浸透すれば親子関係も健康になるだろう。 本書はハウツウ的な感じがして、読み続けるのがちょっと大変である。 しかも、あれも虐待、これも虐待と書いている感じがして、親が読むと子育てに迷う。 しかし、些末なことに囚われずに、根本をみれば、意外に当たっているだろう。 (2010.3.14)
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