著者の略歴−コロンビア大学政治学博士。全米家族計画(ブランド・ペアレントフッド)財団職員 本サイトは、荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」とか、 榎美沙子「ピル」や松本彩子「ピ ルはなぜ歓迎されないのか」を取り上げてきた。 フェミニズム運動の先蹤者である榎美沙子の「ピル」は別にして、多くの女性陣が書くものには低い評価しかしていない。 その理由は、それぞれを読んでいただくとして、日本人の問題でありながら、今回も外国人の分析に高い評価を与えてしまった。
D・T・ジョンソンの「ア メリカ人のみた日本の検察制度」をはじめとして、我が国の制度などを外国人がきわめて鋭く分析している。 なぜ、日本人は自分の国のことを、突き放して分析できないのだろうか。 松本彩子は「ピルはなぜ歓迎されないのか」のなかで、最初から榎美沙子と<中ピ連>を否定的に見ている。 とても価値中立を旨とする分析とは思えない。 自分を相対的に見ることが出来ないのは、多くの日本人研究者に見られる傾向である。 本書の筆者は、進歩的と保守的という穏当な言葉を使う。 人工妊娠中絶に関して、我が国は進歩的だったが、避妊政策は保守的だったという。 中絶は女性の身体を切り取るという危険な行為でありながら、積極的に合法化して社会に広めた。 それに対して、避妊方法はコンドームなどに限定し、ピルやIUD、皮下埋め込み式の避妊薬などの普及は、ながく非合法化においてきた。 多くの国では、中絶を認めればピルも認めるし、中絶を認めなければピルも認めない。 つまり、中絶と避妊の方法は、方向性が一致している。 女性の身体を守るという方向と、胎児の命や妊娠の摂理を守るという、相反する方向の中で、両者は矛盾のない選択をされている。 しかし、世界中で我が国だけが、中絶と避妊の向きが反対方向を向いている。 筆者はこれに疑問を感じたという。 政府が、避妊よりも中絶を事実上奨励するのは非論理的なので、日本の矛盾に満ちた政策には当惑させられる。実際、この間題に関する数少ない経験的研究に照らしても、日本が採用した政策の組み合わせは実に異例だった。フィールドの行った先進29か国の避妊政策に関する統計的分析によれば、保守的な避妊政策は保守的な中絶政策と相関していたし、進歩的な避妊政策と進歩的な中絶政策も相関していた。そこで本書は、なぜ日本では中絶政策が相対的に進歩的(progressive)であったのに、避妊政策は相対的に保守的(conservative)だったのかを解明し、説明することを課題とする。P6 江戸時代から堕胎や間引きがあったので、中絶に抵抗がなかったというのでは説明にならない。 中絶の説明には良いとして、なぜピルによる避妊を忌避したのかを、それでは説明できない。 そこででてくるのが、利益集団による説明である。 中絶が手軽に出来るのは、産婦人科医たちが手術を独占して、利益を確保したからである。 彼等が利益を手放したくなかったので、中絶のライバルたるピルの普及に反対したのだ、という。 中絶に制限をかけようとした運動が、<成長の家>を先頭にしておきる。 胎児の命を大切にするという、宗教的な発想だったが、産婦人科医たちと華々しい戦いになった。 結局、優生保護法は母体保護法となって、中絶できる状況は残った。 中絶をめぐる争いに、本書は半分を割いている。 しかし、中絶に関しては、すでに先行研究もあり、それほど目新しいものではない。 ピルに関しては、日本人研究者とはスタンスが違う。 なぜ日本は、圧倒的多数の他の国々と決定的に異なる道をたどつたのだろうか。コールマンこの間題に言及しているきわめて数少ない学者は、日本のピル禁止について次のように説明している。厚生省が経口避妊薬を承認しなかった理由は、第一に、1960年代のサリドマイドやキノホルムのような薬害を恐れたためである。第二に、ピルが店頭で非合法に販売され、濫用されることを懸念したためである。第三に、ピルを用いることで、若年層、特に若い女性の性行動が乱れるのを恐れたためである。第四に、そして最も重要なことだが、強い政治的影響力をもつ中絶指定医師からなる産婦人科医の団体、日本母性保護産婦人科医会(日母)が承認に反対したためである。コールマンの見解によれば、日母は公式見解でピルは医学的に安全ではないとしたが、真に懸念していたのは、ピルが使われるようになると日母会員の重要な収入源である中絶の需要が減ることだった。さらにコールマンは、仮にピルが承認されても処方と販売ができるのは医師や薬剤師だけであるため、コンドームやペッサリーの販売で収入の大半を得ていた家族計画グループや助産婦たちの側にはピルを推進する動機づけがほとんど働かなかったとも指摘している。P198 我が国の女性運動は、良妻賢母的な母性保護の傾向が強い。 女性は健康な子供を産むべきだという。 そのため、産まないための手段であるピルには冷淡だった。 <中ピ連>が真っ当なことを訴えても、人間関係のしがらみに捕らわれて、主張の正当性を理解できなかった。 学生運動と同じスタイルで登場した<中ピ連>は、学生運動の中で女性差別に直面していた女性たちは、縁遠いものに見えたのだろう。 母性保護の女権運動から、脱却できない女性たちが多いなかで、<中ピ連>だけは時代を先取っていた。 後には当たり前になるフェミニズムの主張が、外国人にははっきりと見て取れる。 中ピ連が何かしら製薬業界や政治家と結びついていた可能性があるとしても、中ピ連が展開したさまざまな主張や戦術、思想の洗練度を思えば、単なるダミーだつたとは考えにくい。たとえば1972年に中ピ連は、美人コンテストは女性の商品化だと抗議した。1974年には、「女を泣き寝入りさせない会」を組織した。この会の目的は、孤立し、力のない女たちを支援することであり、妻を殴った男や離婚した男の職場に押しかけるというきわめて派手な宣伝活動をたびたび行ってマスコミに報じられた。実際に何回の宣伝活動が行われたかは不明だが、人々の目を引いたことは間違いなく、日本人の中高年世代が今でも彼女たちのことを覚えているのは非公式のインタビューでも明らかであった。彼女たちのような活動は、フェミニスト運動が充分に確立され、離婚やドメスティック・バイオレンスについてかなりオープンになった今のアメリカですらショッキングな出来事として受け止められるであろう。日本では、ごく最近まで離婚やドメスティック・バイオレンスはタブーだったし、アメリカよりもはるかに世間体を気にする日本において、25年前の中ピ連が−当時の過激な極左運動の高まりという背景に照らしてさえ−どれほど荒々しく危険をはらんでいたかは想像もつかない。P216 本書は<中ピ連>に4ページを費やしている。 しかも<中ピ連>にきた励ましや、同感の手紙にも触れている。 日本人研究者は<中ピ連>を否定こそすれ、こうした論及は見られない。 学生運動が左翼運動の主流になることがなかったように、<中ピ連>が女性運動の主流になることはなかっただろうが、<中ピ連>はきちんと評価されてしかるべきである。 その後、エイズの流行により、ピルの承認は遅れた。 我が国では、女性の個人的な権利や身体よりも、風紀とか少子化とか国全体の問題が優先された。 中絶はあきらかにピルより危険でありながら、女性個人の身体は省みられなかったのだ。 そうしたは今でも状況は変わっていない。 かくして20世紀の終わりにあたって、日本はその登場以来40年も経過した古い避妊技術【ピル】を−しかも日本の女性たちに使用をためらわせるのがほぼ確実な処方ガイドラインを添えて−承認したが、同時期に海外では長期間効果のある埋め込み型や注射による避妊、事後の緊急避妊薬、薬による中絶【RU486】が採用されていったのである。日本の女性たちが大挙して立ち上がる気配もない今、そうした新しい技術が日本に導入されるまでに、多くの年月を要することは間違いない。本章で明らかにしたとおり、そのような運動が近い将来に立ち上がることも考えにくい。P235 我が国の女性運動は、いまだに母性保護から抜け出せていない。 そして、自由を求めるフェミニズムの何かが、まったく分かっていない。 きわめて残念だが、筆者の結論に同意せざるを得ない。 (2010.5.6) 参考: エドワード・ショーター「近代家族の形 成」昭和堂、1987 イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」 筑摩書房、1994 江藤淳「成熟と 喪失:母の崩壊」河出書房、1967 スアド「生きながら火に焼かれて」(株) ソニー・マガジンズ、2004 田中美津「いのちの女たちへ」現代書 館、2001 末包房子「専業主婦が消える」 同友館、1994 梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、 1988 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、 1957 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」 大和書房、1965 クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書 房、1966 松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現 代思想社、1984 モリー・マーティン「素敵なヘルメット職 域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992 小野清美「アンネナプキンの社会史」 宝島文庫、2000(宝島社、1992) 熊沢誠「女性労働 と企業社会」岩波新書、2000 ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」 とびら社、2004 楠木ぽとす「産んではいけない!」新 潮文庫、2005 山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参 画社会」 洋泉社、2006 小関智弘「おんなたちの町工場」 ちくま文庫、2001 エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、 1997 シンシア・S・スミス「女は結婚すべ きではない」中公文庫、2000 中村うさぎ「女という病」新潮社、2005 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