匠雅音の家族についてのブックレビュー   シャドー・ワーク|イヴァン・イリイチ

シャドー・ワーク
生活のあり方を問う
お奨度:

筆者 イヴァン・イリイチ  岩波書店   1982年 ¥1260−

編著者の略歴−1926年ウィーンに生まれる。フローレンス大学とローマ大学で自然科学、ローマ・グレゴリオ大学で神学と哲学を学び、さらにザルツブルグ大学で歴史学の博士号を得る。1973年よりメキシコ国際文化資料センターを創設、現代産業文明への鋭い警告と挑戦を行なっている。

 本書が出版されたときには、ずいぶんと脚光を浴びた。
我が国では、フェミニズムの台頭期と重なっていた。
そのため、筆者のいうシャドー・ワークが女性に有利だと感じられたのだろう。
しかし、その後、筆者の立場が明らかになると、人気は急速にかげっていった。
ジュディス・ハーマンの「心的外傷と回復」などと同じだった。

 本書は、下記の6本のエッセイから成り立っており、その間にはほとんど関係はない。

1.平和とは人間の生き方
2.公的選択の三つの次元
3.ヴァナキュラーな価値
4.人問生活の自立と自存にしかけられた戦争
5.生き生きとした共生を求めて
6.シャドウ・ワーク
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 筆者もいっているが、3年後に出版するはずの著作への前奏である。
そのためか、イデオロギー的な色彩が強い。
イデオロギー的と言っても、左翼とか右翼といったものではない。
前近代指向というか開発批判である。
近代=資本主義化が、古き良き時代の生活を壊して、人々を不幸に陥れたというものだ。

 貨幣経済が浸透する以前は、人々は農村共同体のなかで己の役割に従って、静かに生きてきた。
男は男の仕事をし、女は女の仕事をした。
性別にしたがって、男女の仕事が決まっていた。
男性の仕事が優位で、女性の仕事は劣位ではあった。
しかし、男性が女性に命令したり、指示したりすることはできなかった。
だから性差別はなかった、と筆者はいう。

 人間の生き方は、それぞれの属性によって、はっきり決まっていた。
誰もそれを破らなかったし、男が女の仕事をすれば、笑い者になるだけだった。
地元に息づいたもの、筆者はそれをヴァナキュラーと呼び、ヴァナキュラーなものこそが人々の幸せを保証していた。
それが商品経済の浸透、つまり開発が人々の生活を変えてしまった、という。

 商品経済の浸透は、賃金労働の普及と平行現象だった。
ここで賃金を現金という形で、稼がないと生きていけなくなった。
と同時に、不払い労働=影の経済が発生する。
それまでは、自給自足だったから、賃労働など不要で使命に従って働いていた。
労働に対する対価が貨幣ではなかったので、賃金が支払われるか否かは問題にならなかった。
 
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 <影の経済>が起こるとともに、賃金も支払われず、かといって家事が市場から自立することにいっこうに役立つわけでもない一種の労役が出現するのをみる。この新しい種顆の活動の最もよい例は、人間生活の自立にかかわらない新しい家事の領域において行なわれる主婦による<シャドウ・ワーク>であるが、実際それは、家庭を構える賃金労働者が存在する上で必要な条件になっている。このように<シャドウ・ワーク>は、賃労働と同じく近時の現象であって、しかも商品集中社会の存続にとっては、賃労働よりも根源的なものとさえいえるだろう。P3

 この後に出版された「ジェンダー」になると、主張がよりハッキリしてくる。
つまり、貨幣経済の浸透が、シャドー・ワークを生みだし、性別や肌の色で人間を差別しはじめたというのだ。
産業化は隔離体制(アパルトヘイト)を必然化し、環境破壊へと追い込んでいくという。

 「専業主婦の創出は、前例のない性的な隔離体制(アパルトヘイト)の証である」という筆者だが、これはまさにその通りである。
にもかかわらず、我が国のフェミニズムは、専業主婦から脱出する運動をつくるのではなく、専業主婦の再評価をやってしまった。
その後、シャドー・ワークという言葉は下火になり、同じ意味ながら、フェミニズムの間には<アンペイド・ワーク>という言葉が登場してくる。

 専業主婦の働きも労働には違いなく、賃金が支払われていないだけだ。
だから、賃金を支払えというわけだ。
賃金を支払えという要求は、結局、専業主婦であり続けるという宣言であった。
我が国のフェミニズムは、隔離体制(アパルトヘイト)を打破しようと言うものではなかった。
シャドー・ワークに賃金を支払えという主張を、筆者は明確に否定している。

 筆者の主張は、産業社会への批判にはなっているが、前近代からのものである。
近代が人間性を歪にしたといっても、もはや前近代に戻るわけにはいかない。
南北の貧困格差が、広がったという批判は承知だが、先進国では庶民の生活水準も上がったのだ。

 1980年当時はともかく、2011年の現在では、女性の地位は著しく向上した。
まだまだ男女で格差はあるが、いまや性別による隔離体制(アパルトヘイト)というより、個人的な能力による格差になりつつある。
現代では、もちろん他の問題が、しかも重大な問題が発生している。
それは認めつつも、歴史の歯車を逆に廻すことはできない。

 筆者の主張に従えば、今よりもっと多くの人が不幸になるだろう。
性別による隔離体制(アパルトヘイト)を潜ったからこそ、多くの人が豊かになれるのだ。
豊かさと幸福感は違う。社会は豊かさを与えることはできるが、幸福感を与えることはできない。
とすれば、筆者の主張に耳を傾けつつ、反対方向が指向されるだろう。 (2011.2.14)
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参考:
木村英紀「ものつくり敗戦」日経プレミアシリーズ、2009
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クライブ・ポンティング「緑の世界史」朝日選書、1994
ジェイムズ・バカン「マネーの意味論」青土社、2000
柳田邦男「人間の事実−T・U」文春文庫、2001
山田奨治「日本文化の模倣と創造」角川書店、2002
ベンジャミン・フルフォード「日本マスコミ「臆病」の構造」宝島社、2005
網野善彦「日本論の視座」小学館ライブラリー、1993
R・キヨサキ、S・レクター「金持ち父さん貧乏父さん」筑摩書房、2000
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
シャルル・ヴァグネル「簡素な生活」講談社学術文庫、2001
エリック・スティーブン・レイモンド「伽藍とバザール」光芒社、1999
村上陽一郎「近代科学を超えて」講談社学術文庫、1986
吉本隆明「共同幻想論」角川文庫、1982
大前研一「企業参謀」講談社文庫、1985
ジョージ・P・マードック「社会構造」新泉社、2001
富永健一「社会変動の中の福祉国家」中公新書、2001
大沼保昭「人権、国家、文明」筑摩書房、1998
東嶋和子「死因事典」講談社ブルーバックス、2000
エドムンド・リーチ「社会人類学案内」岩波書店、1991
リヒャルト・ガウル他「ジャパン・ショック」日本放送出版協会、1982
柄谷行人「<戦前>の思考」講談社学術文庫、2001
江藤淳「成熟と喪失」河出書房、1967
森岡正博「生命学に何ができるか」勁草書房 2001
エドワード・W・サイード「知識人とは何か」平凡社、1998  
オルテガ「大衆の反逆」ちくま学芸文庫、1995
小熊英二「単一民族神話の起源」新曜社、1995
佐藤優「テロリズムの罠 左巻」角川新書、2009
佐藤優「テロリズムの罠 右巻」角川新書、2009
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
北原みのり「フェミの嫌われ方」新水社、2000
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
デブラ・ニーホフ「平気で暴力をふるう脳」草思社、2003
藤原智美「暴走老人!」文芸春秋社、2007
成田龍一「<歴史>はいかに語られるか」NHKブックス、2001
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
J・バトラー&G・スピヴァク「国家を歌うのは誰か?」岩波書店、2008
ドン・タプスコット「デジタルネイティブが世界を変える」翔泳社、2009
匠雅音「性差を越えて 」新泉社、1992
イヴァン・イリイチ「シャドー・ワーク」岩波書店、1982

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