著者の略歴− 裕福になった今では、わが国にスラムがあったといっても信じてもらえない。 しかし、近代への転換期には、どんな社会も貧富の拡大を、したたかに経験させられる。 「女工哀史」などが、女性を過酷な生活に追い込んだというが、 過酷な生活におかれたのは女性に限らない。 男性も、いや男性こそ、最も過酷な生活におかれた。
本書は、近代の勃興期に厳しい生活を強いられた人々の記録である。 彼らのような人たちがいたから、現在のわれわれの生活がある。 私はそう思う。 ノスタルジーとは、いわば望遠鏡を逆さに覗くようなものである。まっとうに覗けば、万年町のみならず、それと合わせて三大スラムと杯された四谷鮫ケ橋や芝新網町のほか、貧民の多かった地域として下谷区山伏町、浅草松葉町、本所吉岡町、深川蛤町1〜2丁目、本郷元町1〜2丁目、小石川区音羽1〜7丁目、京橋岡崎町、神田三河町3丁目、麹町1丁目、赤坂裏1〜7丁目、牛込白銀町、麻布日ケ窪、日本橋亀島町などがただちに見えてくるはずである。 これらは明治初期から中葉にかけてスラムといわれた多くの地域から、各区について町名だけを代表として抜きだしたものにすぎず、じっさいは各区に3〜7町も存在していた。樋口一葉の住んでいた下谷龍泉寺町のような小規模な細民街まであげると、その合計はじつに70数カ所。下町から山手まで万遍なくスラムが見うけられたということこそ、明治中葉の東京の実相にほかならないことがわかる。P8 かつて自分が貧しかったことを、誰も書こうとしない。 自分の出自が卑しいことを、公言したくはない。 しかし、貧しかったことは、何ら恥ずべきことではない。 自分の歴史を隠すことこそ、恥ずべきことなのである。
やや興味本位な記述が目につくが、現在の東南アジアのスラムを想像すれば、 わが国の当時も大きく外れないだろう。 本書は現在の満たされた生活から見ている。 だから、スラムの生活は、人間でのものではないように記述している。 しかし、そんなことはない。 スラムであってもそこには人間が生活しているのだ。 売春婦が多いと書いているが、売春婦は立派な職業である。 スラムにすむ人にとっては、売春婦は隣人であり、蔑視の対象ではない。 売春婦に落ちぶれたとみるのは、現代からの目である。 当時にあっては、乞食すら職業である。 筆者が下層民に興味を持ったのは是とするし、 下層社会の実態が公開されるのはとても良いことである。 私たちは、現在の生活を離れて想像することは、ほとんどできないといっても良いくらいに困難である。 だから、筆者の眼鏡にバイアスがかかっていても仕方ない。 本書のようなものは、どしどしと上梓して欲しい。 厳密にいうと、細民のすべてが残飯に頼っていたわけではないが、あるレポートには大不況下の昭和初期、四谷鮫ケ橋小学校児童398人のうち残飯を主食にしている者が104人、同校旭町分教場の児童170人中残飯を朝食としている者31人、夕食としている者2人という事例が記されている(吉田英雄「日稼哀話」1930)。おどろくべきことに、大正時代に大阪の私立小学校では、残飯さえも買えない家庭の子供が、掃除当番を「先生、堪忍しとくなはれ」と断わったという事例が報告されており、わが国初の学校給食(当時は「食事公給」)導入の端緒となっている。P62 残飯屋の誕生は、日清戦争頃からで日露戦争の頃には、多いに栄えたらしい。 もっと、1960年代になっても、人足寄せ場いまの職業安定所のまえでは、 朝のたちんぼ労働者にたいして残飯が市販されていた。 これは私も体験したが、なかなか口に入る代物ではなかった。 外国からの援助では、スラムは解決しない。 援助を受けるシステムが、前近代的だから、援助は被援助国の支配者を富ませるだけである。 コランソン・アキノだって、支配者の一員なのである。 彼女が貧しい国民のために働くわけがない。 子供を学校へ通わせるなんてことは、子供の労働力を死蔵させることだから、 裕福な社会でしか不可能である。 現在でもスラムの存在するアジアでは、 わが国が本書の時代に味わった苦痛を、いま体験させられている。 近代化して裕福になるには、どうしてもここを通らなければ、不可能である。 そうだとしたら、何とかそのダメージを軽くしたいものである。
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