匠雅音の家族についてのブックレビュー     東京の下層社会−明治から終戦まで|紀田順一郎

東京の下層社会
 明治から終戦まで
お奨度:

著者:紀田順一郎(きだ じゅんいちろう)−筑摩文庫、2000年   ¥950−

著者の略歴−
 裕福になった今では、わが国にスラムがあったといっても信じてもらえない。
しかし、近代への転換期には、どんな社会も貧富の拡大を、したたかに経験させられる。
女工哀史」などが、女性を過酷な生活に追い込んだというが、
過酷な生活におかれたのは女性に限らない。
男性も、いや男性こそ、最も過酷な生活におかれた。
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 本書は、近代の勃興期に厳しい生活を強いられた人々の記録である。
彼らのような人たちがいたから、現在のわれわれの生活がある。
私はそう思う。

 ノスタルジーとは、いわば望遠鏡を逆さに覗くようなものである。まっとうに覗けば、万年町のみならず、それと合わせて三大スラムと杯された四谷鮫ケ橋や芝新網町のほか、貧民の多かった地域として下谷区山伏町、浅草松葉町、本所吉岡町、深川蛤町1〜2丁目、本郷元町1〜2丁目、小石川区音羽1〜7丁目、京橋岡崎町、神田三河町3丁目、麹町1丁目、赤坂裏1〜7丁目、牛込白銀町、麻布日ケ窪、日本橋亀島町などがただちに見えてくるはずである。
 これらは明治初期から中葉にかけてスラムといわれた多くの地域から、各区について町名だけを代表として抜きだしたものにすぎず、じっさいは各区に3〜7町も存在していた。樋口一葉の住んでいた下谷龍泉寺町のような小規模な細民街まであげると、その合計はじつに70数カ所。下町から山手まで万遍なくスラムが見うけられたということこそ、明治中葉の東京の実相にほかならないことがわかる。P8


 かつて自分が貧しかったことを、誰も書こうとしない。
自分の出自が卑しいことを、公言したくはない。
しかし、貧しかったことは、何ら恥ずべきことではない。
自分の歴史を隠すことこそ、恥ずべきことなのである。

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 本書は、松原岩五郎の「最暗黒の東京」を手始めに、スラムの案内を始める。
やや興味本位な記述が目につくが、現在の東南アジアのスラムを想像すれば、
わが国の当時も大きく外れないだろう。
本書は現在の満たされた生活から見ている。
だから、スラムの生活は、人間でのものではないように記述している。
しかし、そんなことはない。

 スラムであってもそこには人間が生活しているのだ。
売春婦が多いと書いているが、売春婦は立派な職業である。
スラムにすむ人にとっては、売春婦は隣人であり、蔑視の対象ではない。
売春婦に落ちぶれたとみるのは、現代からの目である。
当時にあっては、乞食すら職業である。

 筆者が下層民に興味を持ったのは是とするし、
下層社会の実態が公開されるのはとても良いことである。
私たちは、現在の生活を離れて想像することは、ほとんどできないといっても良いくらいに困難である。
だから、筆者の眼鏡にバイアスがかかっていても仕方ない。
本書のようなものは、どしどしと上梓して欲しい。

 厳密にいうと、細民のすべてが残飯に頼っていたわけではないが、あるレポートには大不況下の昭和初期、四谷鮫ケ橋小学校児童398人のうち残飯を主食にしている者が104人、同校旭町分教場の児童170人中残飯を朝食としている者31人、夕食としている者2人という事例が記されている(吉田英雄「日稼哀話」1930)。おどろくべきことに、大正時代に大阪の私立小学校では、残飯さえも買えない家庭の子供が、掃除当番を「先生、堪忍しとくなはれ」と断わったという事例が報告されており、わが国初の学校給食(当時は「食事公給」)導入の端緒となっている。P62

 残飯屋の誕生は、日清戦争頃からで日露戦争の頃には、多いに栄えたらしい。
もっと、1960年代になっても、人足寄せ場いまの職業安定所のまえでは、
朝のたちんぼ労働者にたいして残飯が市販されていた。
これは私も体験したが、なかなか口に入る代物ではなかった。

 外国からの援助では、スラムは解決しない。
援助を受けるシステムが、前近代的だから、援助は被援助国の支配者を富ませるだけである。
コランソン・アキノだって、支配者の一員なのである。
彼女が貧しい国民のために働くわけがない。

 子供を学校へ通わせるなんてことは、子供の労働力を死蔵させることだから、
裕福な社会でしか不可能である。
現在でもスラムの存在するアジアでは、
わが国が本書の時代に味わった苦痛を、いま体験させられている。
近代化して裕福になるには、どうしてもここを通らなければ、不可能である。
そうだとしたら、何とかそのダメージを軽くしたいものである。
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参考:
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
H・G・ポンティング「英国人写真家の見た明治日本」講談社、2005(1988)
A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998(1985)
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980
イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000
リチャード・ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993
ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986
アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003
渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
雨宮処凛「生きさせろ」太田出版、2007
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
ポール・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき高齢化社会の経済新ルール」草思社、2001
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
塩見鮮一郎「異形にされた人たち」河出文庫、2009(1997)
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
横山源之助「下層社会探訪集」文元社
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000
三浦展「下流社会」光文社新書、2005
高橋祥友「自殺の心理学」講談社現代新書、1997
長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006
石井光太「絶対貧困」光文社、2009
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
雨宮処凛ほか「フリーター論争2.0」人文書院、2008 
金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001
沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」文芸春秋、2001
上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005

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