匠雅音の家族についてのブックレビュー     中年シングル生活|関川夏央

中年シングル生活 お奨度:

著者:関川夏央(せきかわ なつお)講談社、2001年  ¥514−

著者の略歴−
 中年というのは、何歳くらいを言うのだろうか。
本書は筆者が、40歳代にさしかかった1993年から6年にかけて書かれている。
いまでは筆者も50歳を越えているだろう。
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 好んでひとり暮らしをするのかと聞かれたら、違うという。家庭をつくりたいのにがまんしているのかと問われたら、それも違うと答える。
 ひとりで生きるのはさびしい。しかし誰かと長くいっしょにいるのは苦しい。そういうがまんとためらいに身をまかせてあいまいに時を費し、ただただ決断を先送りにしつづけてこうなった。つまり、ひとり暮らしは信念などではない。ひとり暮らしとは生活の癖にすぎない。
 問題は、癖はやがて身に染みつくということである。染みを分析してみれば、その成分の多くは「わがまま」だろう。それは認めざるを得ない。P250

 
と書く筆者だが、40歳を越えて独身でいることは、悪いことなのだろうか?
結婚生活だって、癖と言えば癖だろう。
なぜ結婚したかって問われても、成り行きでという人が多いかもしれない。
人を好きになったり、恋愛をしたりするのは、必然性があっても、結婚するのはまた別のものだ。

 だいたい皆が皆、結婚するようになったのは、そう昔のことではない。
明治には独身のまま老年を迎えた人はたくさんいた。
それが、いつのまにか独身者は、半端者のように見られるようになってしまった。
売れ残りという言葉があるが、じつは独身者は男性に多い。

 国勢調査から見ると、35歳から49歳の女性のシングル率は、1970年に5.03パーセント、90年には5.97パーセントで微増にとどまる。対して同年代の男性シングルは、70年に3.13パーセントだったのに、90年にはなんと12.47パーセント、4倍増である。「そんなに女がコワいのか」といいたくなる数字だ。
 まことに僭越ながら代表して答えさせていただければ、やっぱり「そんなに女がコワい」のである。P38


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 工業社会のサラリーマンは、性別役割分業に生きていたので、男女ともにみな結婚した。
しかし、性別役割分業は、これから崩壊していく。
だから、対の生活から、個人の生活へと、変わっていく。
必然的に独身者が増える。
筆者は独身であることを自嘲気味に語るが、これから独身者は増えこそすれ、減ることはない。
 
 個人の生活が可能になるとは、禁欲的な生活を実践することを意味しない。
独身のままでも、異性のパートナーはいくらでもいるのであって、
結婚だけが男女の親密さを保つ方法ではない。
結婚した男女のセックスだけが、正当なものだというのは、倒錯した見方である。
しかし、筆者の生きてきた時代は、独身は少数派だったから、異なものと見られた。

 独身者、とりわけ中年のそれは大都会にしかいない。というより、家族ごとの集合体である農村では、生産単位とならないひとりものの存在は原則として許されない。大都会特有の分業化と専門化、それから「プライバシー」が独身者の発生をうながす。そして希薄な人間関係がもたらす他者への無関心が、独身者の、「自由」と「孤独」の等価交換を保証したのである。P64

 独身者のこうしたスタンスは、独特の雰囲気を生み出した。

 問題は借家だ。家主はひとりものに部屋を貸したがらない。中年の段階でさえ因っているのに、初老、老人とすすめばなおのことだ。ましてよるべない原稿書きである。で、最近小さなマンションを買った。ローンが終るのは計算上79歳の夏だから、私はまずその日をみずから祝うことはできない。
 そのベランダに立ち、雨に濡れた紫陽花のひとむらを見おろしながら、ひとりものの人生について、多少の考えをいたしてみる。
 「友と楽しく遊んで、ひとりで死ぬ」と誰かがいった言葉が身にしみている。これまた決して望んでなどいないことである。P161


 書き手なんて所詮人気商売だ。ネクタイをしなくてもいい。朝早く起きなくてもいい。脂っぽい上司や食通の同僚とつきあわなくてもいい。特典はいくらかあるが、不利もあまたある。
 保険がない。組合がない。退職金がない。有給休暇がない。読者が絶えれば自動的に自由契約だが、プロ野球の選手と違って性格が悪いからおでん屋もつとまらない。
 というふうなことを考えると気が滅入る。筆がとまる。頭を掻きむしると毛が抜ける。P210


 シニカルに自分を見る筆者だが、今後の独身者はかわるだろう。
いや変えなければならない。
独身者を普通に認める社会がこないと、情報社会はうまく機能しない。
核家族単位の社会から、単家族単位の社会へと変える必要がある。
自嘲的に自己を見る筆者は、過渡期にいるのだ。
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参考:
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

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