匠雅音の家族についてのブックレビュー     女という病|中村うさぎ

女という病 お奨度:

著者:中村うさぎ  新潮社、2005年    ¥1500−

 著者の略歴−

 女性たちがおこした13の事件を、筆者が独断と偏見で分析したものだ。
<まえがき>にもあるが、事件の当事者の生の声ではない。
実際の事件をもとに筆者の妄想を書いたものだ。
だから、事件の真相が本書の書くとおりか否かは、保証の限りではない。
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 女性のおこした事件を、女性が分析するというふれこみ自体が、すでに偏見を感じる。
腰巻には、次のように書かれているが、フェミニズムの悪しき影響だろう。

 女の自意識は、それ自体、病である。そして、女の病気は女にしか分からない!

 女であることに拘り、女であることから発想する我が国のフェミニズム。
いつまでたっても人間という視点をもてない。
女であることを特殊な境遇であるととらえ、女だからこうした事件をおこした、女だから事件へ至ったのは必然だった、という論理は、フェミニズムが最も嫌ったはずである。

 フェミニズムは、男女には社会的な違いはない。
男女は等価だといってきた。
当サイトは、女性たちが事件を起こしたとき、犯罪は自立への叫びであり、人間へ近づこうとしておこした、と考えている。
しかし、本書は女性は被害者である、といった視点でしか分析されていない。
未だにこうした視点が、女性のなかでは主流なのかと思うと、何だか気が遠くなる。

 同人誌の漫画界では有名人だった女性が殺された。
それにかんして、筆者は次のようにいっている。

 あなたは作品の中で自分を開示しながら、同時に、他人から解読される恐怖を味わっていたのではないか。他の作家たちと同様、「私を見て。私を理解して。私と何かを共有して」と叫ぶその一方で、ある時期からあなたの中に、「私を見るな。私を理解しょうとするな。私と何物も共有できると考えるな」と、歯を剥いて威嚇する「別のあなた」が存在したのではないか。こうして、あなたは誰にも知られずに密やかに分裂し、その分裂した片割れが、あなたの「秘密」になり、あなたの「聖域」となったのだと、そう解釈していいだろうか。P18

 こうした矛盾した心性は、なにも女性作家に限ったことではない。
表現は孤独な作業でありながら、社会性を必要とするから、矛盾を抱えるのは必然である。
理解して欲しいという願望と、立ち入ってくれるなという聖域の確保は、表現をする者が不可避的にもってしまう。
この事件でも、女性が作家として自活し、自我を獲得しつつあるから、自我の分裂を体験する。

 最近の事件を見ていて感じるのは、女性が起こす事件と男性が起こす事件が、きわて似てきていることだ。
かつては女性が殺人事件をおこすことは少なかった。
しかし、最近では女性も殺している。
友人に恋人を寝取られた女性が、その友人を殺してバラバラにした事件にかんして、筆者は次のようにいう。

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 他人の愛を通してしか自己確認できない女を、愚かと笑うのは簡単である。が、女たちは生まれつき、そのような習性を持つものではない。そんなふうに社会が育てて来たのである。「男に愛されること」こそが一番の「女の価値」なのだ、と。何者かの「妻」となるべき立場の者にとっては、それがもっとも必要な価値観だからだ。このような刷り込みを、そう簡単に払拭できようか。(中略)
 ましてや金田のような、人を惹きつける社交性も美貌も持たない地味で真面目な女にとって、「愛してくれる男」「生涯の伴侶となってくれそうな男」の存在はどんなに大きいものであったろうか。それはたぶん、彼女の全存在を支える男であったに違いないのだ。P132


 一見すると、殺人をおかしてしまった女性に、同情し共感しているように読めるが、この裏には勝ち組の自負がある。
自分は他人の愛を通して自己確認してはいない。
自分は自分の足で立っている、という自負があるから、上記のように書けるのだ。
ましてや、加害者が美貌を持たないと決めつけるに至っては、自分は美人だといっているに等しい。

 自分は殺人などおかさないが、殺人をおかした女性は社会に強制されたのだ。
社会が悪いのだと言えるのは、勝ち組の女性だけである。
女であることに居直った発言は、快適な地位を手に入れた勝ち組の女性に特有のものだ。
大学フェミニズムに限らず、安楽な地位を手に入れた女性は、自分が勝ち組にいるから、女に居直った発言ができる。

 生まれが貧乏でも、ブスでも社交性がなくとも、自立して生きていくことは、今や全女性の共通認識だろう。
男性だってそれは同じで、貧乏だって、チビだって、性格が暗くても、自分で生きていくのは当然である。
本書のように、女性を受け身の存在として、特殊な地位が行動を生むと見ることは、女性に対する蔑視も甚だしい。

 大宮のラブホテルで、男性を殺した女性の事件では、かつて当サイトは男性と同じメンタリティの女性の登場と書いた。
セックスが終わって、そのほとぼりがまだ冷めにうちに、隣にいる人間を殺すのは、きわめて冷静な心理である。
おそらく全裸のままでの犯行であろう。
全裸の男性に馬乗りになり、首を絞めて殺すのは勇気のいることだ。

 かつてなら性の快楽を味わったあとでは、相手に親密さを感じるだろうと思われていた。
しかし、この女性は「殺す」という体験をしてみたくて殺したのだ。
かっとなって殺したのでもないし、恨みで殺したのでもない。
彼女は男性とまったく同様に、肉体的な快感より、新たな体験という観念が先行している。
 
 私が根源的に自分の肉体を「グロテスクなもの」と捉えており、嫌悪し、恥じているからである。では、その嫌悪とは、何か。何故、私は、己の肉体を「グロテスク」だと感じるのか。
 私に関して言えば、それは「月経」への嫌悪に繋がる。自分は月に一度、股間から生々しい血を流す生き物なのだ、という忌むべき現実。不快な血の匂いや汚らしい血の色は、まるで「おまえは穢れた生き物だ」と、私に指を突きつけて告発しているかのようだ。さらに、その「月経」は、「妊娠・出産」という、よりグロテスクなイメージに繋がっている。P205


と書く筆者は、なんという陳腐な思考なのだろうか。
いまだに生理への嫌悪を書けば、受けると思っているようだ。

 黒人が黒いことは美しいといったように、女性も生理があることが美しいのだ。
生理の処理は面倒かも知れないが、生理は決してグロテスクではない。
経血が穢れを意味するというのは、女性蔑視を論証するために使われた論理だが、それを女性が内面化する必要はない。

 差別の原因となったことを切開し、それを無意味化する作業が不可欠である。
肉体にこびりついている観念を分解せよ。
事実としての肉体や生理には意味はない。
事実に意味付与する観念こそ問題である。
女性が解放された今では、筆者のような論理は時代遅れも甚だしい。

 少数者とか弱者という理由で差別することは許されないが、少数者とか弱者だからということでの特権もないのだ。
「新潮45」の女性編集長が企画したらしいが、女性差別に居直る発想からは、いい加減に決別したい。  (2006.7.23)
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参考:
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991

ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999

謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

匠雅音「性差を超えて」新泉社、1992

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