匠雅音の家族についてのブックレビュー   タイ語の本音|下川裕治

タイ語の本音 お奨度:

筆者 下川裕治(しもかわ ゆうじ)   双葉文庫、2012年 ¥648−

編著者の略歴−1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。『ホテルバンコクにようこそ』『アジアを歩く』『バンコク迷走』『沖縄にとろける』『アジア国境紀行』『週末アジアに行ってきます』『青田証生さんはなぜ殺されたのか』『5万4千円でアジア大横断』『格安エアラインで世界一周』など、アジアと旅に関する紀行、取材ノンフィクション多数。近著に『鈍行列車のアジア旅』『世界最悪の鉄道旅行ユーラシア横断2万キロ』がある。『南の島の甲子園八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。
 タイ語の発音や文字の難しさに驚いて、タイ語学習を諦めつつあるボクは、本書の企画に感動するのだが、本サイトの感心は別のところにある。
本書を家族論のサイトが取り上げるのは疑問もあろうが、本書が書く時代の流れに感じるところがあって、あえて論じてみたい。

 多くの人は、日本人は云々とか、韓国人は云々といった、国民性に根ざした言い方をすることがある。
たとえば、韓国人は高齢者を敬うという。
たしかに日本人より高齢者崇拝は強いが、それも最近はずいぶんと薄れてきた。
つまり高齢者崇拝は社会が近代化すると薄れていくのだ。
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 反対に言うと、高齢者崇拝の強い社会は、前近代的な社会であり、経済的に貧しい社会でもある。
本書はタイ人はお金がある人が奢るという。
ワリカンを嫌って、誰かが奢るのだって、韓国人も相当なものだ。
年長者が奢ることが多かったが、その韓国にもワリカンが普及しはじめている。

 その国民の性質や習慣は、国民固有のものというわけではなく、経済的な豊かさと結びついて変化するものだ、と考えたほうが良い例が多いように思う。
本サイトは国民性を固定したものとは考えていない。
そうした目で本書を見ると、いくつか教えてくれる点があって興味深い。

 赤シャツと黄シャツの対立や、洪水の話など、何かと話題の多いタイである。
王室と軍の結びつきが強いタイでは、軍の動きがやっかいである。
といった話も面白いが、日常の話題が豊かになったことを表している。
タイではビールに氷を入れて飲むというのだ。

 タイ人は氷が大好きな民族なのだ。東南アジアの国々を歩いていて、タイ人ほど氷が好きな民族はいないのではないか、と思えてくる。もっとも製氷機や冷蔵庫のなかった時代は、氷もなかったわけだから、氷が好きになった民族というのが正確なのか。
 とにかく氷なのである。コンビニはもちろん、ソイのなかの雑貨屋にも袋入りの氷を入れる冷凍庫は必ずある。最近のタイでは、かなりの家に冷蔵庫が普及しているが、その製氷室でつくることができる氷の量ではとても足りないのだ。P49


 タイ人の氷り好きを非難したり、本書の記述をウソだといったりするのではない。
もちろん、世界中の人が冷たいビールを好むとは限らないことも知っている。
が、実は、我が国でも冷蔵庫が普及していなかった時代には、ビールに氷を入れて飲んでいた。
今ではビール自体を冷やしているので、氷を入れて飲まなくなったのではないだろうか。
タイももう少し豊かになれば、ビールに氷を入れずに、ビール自体を冷やすようになるだろう。

 近代化に入るときに、世界中で同じ現象が見られるように思う。
バンコクの交通渋滞は有名だが、東京もかつては交通渋滞がひどかった。
近代化の入り口では、公共交通機関が整備されるよりも、車の流入のほうが早いので、どこの都市でも交通渋滞がおきるのだ。
都市の環境衛生が悪化する問題だって、世界中で共通であった。

 我が国のことはもう忘れているが、松原岩五郎「最暗黒の東京」や横山源之助「下層社会探訪集」を読むまでもなく、我が国でもスラムがあったことは周知だった。
もちろん、西洋諸国も例外ではない。ロンドンが汚辱にまみれた街であったことは有名で、不衛生なためにペストが大流行した。
パリだって汚物を窓から道路に投げ捨てていた。
辛い時代を経験したから、先進国は清潔な街を作れたのだ。
アジアの大都会は、今呻吟する時間を体験させられているに過ぎない。
 
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 タイ人にとっての水は、涼を呼ぶ快適なものと同時に神聖な存在でもある。バンコクのワットプラケオの境内には湧き水があり、その周りにタイ人は集まって、その水を頭にふりかけたりしている。この水は聖水とされ、それを体にかけることで、神聖なものが体に入ってくると信じているのだ。
 以前、フアヒンで出家を祝う行列を見ていたことがあった。出家する青年の前に地区の人たちが列をつくり、踊りながら街を練り歩くのだ。こう聞くと、ずいぶん神聖な行事のように思うかもしれないが、練り歩く男や女の大部分はかなりの酒が入っていて、さらに酒を飲みながら踊り歩くため、その途中で何人もぶっ倒れていく。P81


 我が国の祭りも、かつては長閑な無礼講だった。
タイもまだ長閑である。
しかし、こうした祭りのあり方も、近代化が進むと許されなくなっていく。
毎年死者の出るリオのカーニバルを持ちだすまでもないだろう。
祭りで死者がでたら、我が国なら何と言われるだろうか。
豊かになるとは、規制規制でがんじがらめになることとすら思える。

 本書を読んでいると、面白い事例にでくわして笑ってしまう。
しかし、はたと我に返ってみると、むかしの我が国も同じだったと思う。
タイのデパートのサービスが悪いのだって、我が国の現代のサービスと比べるからで、我が国だってかつてはサービスという概念がなかった。
近代化の途上では、物を供給するほうが上位にいる。
消費者はお金をもってくる限りで、対価を与えられるに過ぎない。
<お客様は神様>で逆転したのだ。

 ワイロも途上国では普通ものものだ。
ボクがメキシコで暮らした40年前には、駐車違反は5ペソで無罪放免だった。
ワイロというと、悪いことのように感じるが、必ずしも悪いものではない。
行政組織を作るのにはお金がかかる。
貧しい途上国では、高度な行政組織を作ることができないのだ。
貧しい社会では、ワイロは一種の潤滑油だろう。

 本書の中で、武田真子という人が次のように書いている。

 娘がまだ小さい頃にも雑巾に閉口した。食べ物でベタベタになつた娘の手を見て、子守のおばさんが、「ムーソッ(カ)プロッ(ク)」(手が汚いじゃないか)といって、家のそれまた汚い雑巾で娘の手を拭いてしまったのだ。ついでに、口も‥‥。そして晴れ晴れした顔でこういったのだった。
「サアー(ト)レーオ」(きれいになった)
 でも私にとってはソッ(カ)プロッ(ク)なのだ。
 タイ人は洗うとか拭くといった行動の詰めが甘い。少なくとも日本人の私にはそう映る。
 レストランで、「使わない方がよいのではないか」と思うくらう汚い雑巾でテーブルを拭く。屋台の丼の洗い方も目に余る。汚れたタライの水で丼を洗っていても、タイ人にとっては「洗った」になってしまう。P300


 今でこそ、日本の台拭きもきれいになったが、かつては真っ黒だった。
まさに、雑巾と同じ色をしていた台拭きを平気で使っていたのだ。
だいたい、我が国の食卓にハエが飛んでいたのは、ついしばらく前だった。

 タイ人は洗うとか拭くといった行動の詰めが甘い、という日本人は、現代の日本しか知らないからだ。
タイ人もやがてきれいな台拭きを使うようになる。それはそんなに先のことではない。
いろいろとケチを付けたけれど、面白く読ませてもらった。  (2012.4.30)

 追記
本書執筆当時、ビールに氷を入れていたタイだが、現在ではビールを瓶ごと冷やすようになって、ビールに氷を入れなくなった。2013年10月のタイ旅行により確認した。(2013.12.13 )
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参考:
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
石井光太「絶対貧困」光文社、2009
上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005
ジュリー・オオツカ「天皇が神だった頃」アーティストハウス、2002
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000

六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、2001
エヴァ・クルーズ「ファロスの王国 T・U」岩波書店、1989
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985

高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
会田雄次「アーロン収容所」中公新書、1962
今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004
レナード・ショッパ「「最後の社会主義国」日本の苦悩」毎日新聞社 2007
岩瀬達哉「新聞が面白くない理由」講談社文庫、1998
山本理顕「住居論」住まいの図書館出版局、1993
古島敏雄「台所用具の近代史」有斐閣、1996
久家義之「大使館なんかいらない」角川文庫、2001
田中琢&佐原真「発掘を科学する」岩波新書、1994
臼田昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

下川裕治「バンコクに惑う」双葉文庫、1994
清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002  
編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002
邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000
中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009
山際素男「不可触民」光文社、2000
潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994
須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989
宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001
コリンヌ・ホフマン「マサイの恋人」講談社、2002
川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990
ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973
阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991
永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社、2006

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