匠雅音の家族についてのブックレビュー   日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか|筆者 矢部宏治

日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
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筆者 矢部宏治  集英社インターナショナル ¥1200 2016年

編著者の略歴−1960年、兵庫県生まれ。慶応大学文学部卒業後、(株)博報堂マーケティング部をへて、1987年より書籍情報社代表。著書に『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること−沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)、『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(写真・須田慎太郎/小学舘)ほか多数。前著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)が10万部を超えるベストセラーに。

 本書に書かれている事実が隠されていたのは事実だが、事実はこうだったと明かされても特別な驚きはない。それほど我が国はアメリカの属国化してしまっているということだろう。

 「戦争になったら自衛隊は米軍の指揮下に入る」という密約があるのは当然だろう。韓国にも自前の軍隊は存在するが、米韓連合司令部が指揮権を持っている。米韓連合司令部は米軍が司令官、韓国軍が副司令官を引き受ける。韓国には軍事主権はあるが、韓国には作戦統制権はない。これはNATOも同じような構成を取っている。ただし、1994年に平時の作戦統制権は韓国軍へ移管された。

 以上のような事実があるので、我が国だけが作戦統制権をもっているとは考えにくかった。しかし、我が国の常識では自衛隊は日本の軍隊だから、日本の総理大臣の指揮下にあると思われている。残念ながらそうではない。指揮権がアメリカにあることよりも最も拙いことは、作戦統制権はアメリカにあることが隠されていることである。

 現在のような日米関係になった経過を、アメリカの公文書を紐解きながら明らかにしていく。横田空域の話や、六本木のアメリカ軍施設に関しては、すでに周知であろう。アメリカ人は横田に到着し、横田からヘリコプターで六本木の米軍ヘリポートに降り立てば、パスポート・チェックなしに我が国に入国できる。こうした周知の噂が、資料の裏付けを持って解き明かされている。

 余談ながら3.11のときに、羽田や成田への着陸できなくなった飛行機が、飛行場を求めて右往左往した話は有名である。名古屋空港、大阪空港などから断られ、結局、千歳空港に降りることになった。千歳にはデルタの747と767が各2機、777が1機。アメリカン航空2機、ユナイテッド航空1機、エアカナダが2機。JALやANAが何機か降りたという。しかし、最も近いはずの横田は閉鎖して、民間機を受け入れなかった。本書を読むと、これが意味することは明白になる。

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  米軍が日本の基地を自由に使うこと(基地権)と、日本の軍隊を自由に使うこと(指揮権)の、2つの権限が米軍に握られているという。このアウトラインは安保条約で決められているが、安保条約を上回る条件を密約している、と本書は言う。

 1960年に岸首相がおこなった安保改定の本質が、この行政協定と地位協定の3条1項・後半部分にもっともよくあらわれているからです。
 つまり、こういうことです。
 首都圏にある「横田」「座間」「厚木」「横須賀」といった重要な基地について、米軍はこの条文にもとづき、国外から自由に出入りできる「絶対的アクセス権」をもっている。昔からもっていたし、いまでももっている。だから首都圏全体の上空が、太平洋のうえまで米軍の管理空域になっているのです。
 しかし基地のフェンスの内側はともかくとして、外側にまで米軍がそうした「絶対的な権利」をもっているということは、さすがに1960年の安保改定では、日本側も認めることができなかった。P79

 しかし、軍事行動をするためには、基地の中だけでは不十分である。そこで表向きは日本側に主導権を移したような体裁を取りながら、日本全土に対する米軍の行動する自由を確保している。その機関が「日米合同委員会」だという。

 日本の法律がアメリカ軍に不十分な場合には、日米合同委員会で協議すると書かれているが、その意味は日本国民には公にできないので、日米合同委員会でアメリカの言うとおりに密室で合意することだという。

  日米合同委員会とは、日本側からは外務省北米局長ほかの各省庁の局長、アメリカ側からは在日米軍司令部副司令官ほかの米軍の高級将校と文官として在日米大使館公使が出席して、毎月秘密裏に会合を持っているものだ。文官と軍人が会議を行うというのも妙だが、合意内容は公表されない。
 
旧日米安保条約(1952年4月28日発効)
第1条 平和条約およびこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍および海軍を日本国内およびその附近に配備する権利を、日本国は許与し、アメリカ合衆国はこれを受諾する。(略)
 重要なのは、ここでアメリカが手に入れたのが、日本に「米軍基地をおく」権利ではなく、「米軍を配備する」権利だったということです。
 配備とは、軍隊がたんに基地に駐留することではなく、そこから出撃して軍事行動(=戦争や演習)をおこなうことを前提とした概念です。
 しかも配備できる場所は、ほかの国の基地協定のように「この場所とこの場所」というふうには決められておらず、「日本国内およびその附近」となっています。これはつまり、アメリカが必要と判断したら、日本中どこに基地をおいてもいい、どんな軍事行動をしてもいいということです。P85


 旧安保条約は1960年に改正されたが、米軍の利権拡大を隠すのはより巧妙になった。本書にはそのあたりの歴史的事実を、アメリカの公文書をもとにして、詳細に展開している。

  我が国はまったくフリーハンドの行動の自由をアメリカに与えている。これは他の同盟国でもあり得ない話だという。しかも、アメリカ軍が自分から占領政策を続けたいとも言っているが、それ以上に我が国の政治家や官僚たちが、米軍の占領を望み、乞うてさえいることは驚くばかりである。

日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか 自衛隊の前身である警察予備隊も、アメリカの要請によって我が国が作ったように言われているが、その目的や真実は違っていた。その背景を、警察予備隊創設の責任者だったF・コワルスキー大佐が次のように述べている。
 
  新しい隊員が入隊し、基地でトレーニングを受けていた最初の数カ月間、警察予備隊のすべての計画と実施は、われわれアメリカ人がおこなったのである。警察予備隊はわれわれの創造した、われわれの作品といっても過言ではなかった。こうした方法と状況のもとに創設された軍隊は、世界の歴史上どこにも存在しないだろう。P200
 
 われわれが日本の警察予備隊を、米軍にならって組織せざるをえない理由がいくつかあった。(略)なにより重要なのは、両軍が同じように編成・装備されていることで、日米共同作戦をおこなう場合、それが非常に大きなメリットとなる。両軍の指揮、幕僚機構、通信系統、兵站部門をスムーズに統合することができるからである。(略)結局、警察予備隊は米軍を小型にしたようなものになった。

 警察予備隊については、アメリカからも連合国からも、また共産圏からもきびしい抗議がなかったので、われわれは気をつけながら、おそるおそるまずカービン銃とM1ライフル銃、そして口径30(8ミリ)の機関銃を警察予備隊に支給した。それでも国外からも国内からも反対の声があがらなかったので、少し大胆になって口径50(13ミリ)の機関銃、60ミリ迫撃砲、さらには81ミリ迫撃砲、武器修理車、戦闘工兵器材、通信器材なども支給した。

 このようにしてわれわれは、米軍のあまった武器を警察予備隊に押しつけるようなかたちで、着々と再軍備を進めていった。一方、吉田首相はそうした事実を否定し、警察予備隊は警察力以外のなにものでもないと、断固として主張しつづけていた。P202


 韓国は米軍の指揮下にあることが明示されている。フィリピンは我が国と同じように、アメリカの属国的な立場にありながら、スービック、クラーク基地をアメリカから返還させている。もっとも、1999年に訪問米軍地位協定(VFA)を批准させられて、米軍再駐留への道を与えている。

 本書を読むと、戦争で負けた国はほぼ永久に負け続けると感じる。安保法案が国会を通過し、憲法が解釈によって変更された。しかし、砂川事件での最高裁判決が先取りしていたように、高度に政治的な事件については、何も判断できない日本ができあがっている。

 現在では、日米安全保障協議会の「防衛協力小委員会」が、実質的な「日米統一司令部」となったとあり、軍事問題は駐日米国大使や日米合同委員会から権限が委譲されているという。ぼんやりと知っていた事実を、アメリカの公文書からキチッと裏付けて論じている。

 我が国はイギリスのように、アメリカと対等な関係をもてるとは思えない。アメリカの意のままに行動せざるを得ない我が国。アメリカの同盟国であることは危険なことだろう。石油ほしさにイラクという国をつぶしたアメリカと米軍に恐怖を覚える。(2016.07.14)

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参考:
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999
佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004
別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984
ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001
ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987
杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998
杉山隆男「自衛隊が危ない」小学館101新書、2009
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001年
ジェリー・オーツカ「天皇が神だったころ」アーティストハウス、2002
原武史「大正天皇」朝日新聞社、2000
大竹秀一「天皇の学校」ちくま文庫、2009
ハーバート・ビックス「昭和天皇」講談社学術文庫、2005
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
浅見雅男「皇族誕生」角川書店、2008
河原敏明「昭和の皇室をゆるがせた女性たち」講談社、2004
加納実紀代「天皇制とジェンダー」インパクト出版、2002
ケネス・ルオフ「国民の天皇」岩波現代文庫、2009
吉田祐二「天皇財閥」学研、2011
井上孝司「戦うコンピュータ 2011」光人社、2010
矢部宏治「日本はなぜ、「戦争のできる国」なったのか」集英社インターナショナル、2016

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