匠雅音の家族についてのブックレビュー    数量化革命−ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生|アルフレッド・W.クロスビー

数量化革命
ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生
お奨度:

著者:アルフレッド・W.クロスビー  紀伊国屋書店 ¥3200 2003年

 著者の略歴−1931年、ボストン生まれ。歴史学者。オハイオ州立大学、ワシントン州立大学、テキサス大学などで教職を歴任。邦訳された著書に、『ヨーロッパ帝国主義の謎−エコロジーから見た10〜20世紀』(岩波書店)がある。
 ヨーロッパ帝国主義が、史上はじめて世界を制覇した原因をさぐるために、本書を書いたと筆者はいう。
たしかに、ヨーロッパ近代は人権思想を生みだしはしたが、それは自国の白人に対してだけであった。
ヨーロッパ以外の人間に対しては、過酷な搾取と略奪を繰り広げた。
その凄まじさは、世界史が始まって以来のものであった。

 ヨーロッパが覇権を確立した原因は、科学とテクノロジーの優位であると教科書はいう。
しかし、19世紀より前のヨーロッパにおいては、科学やテクノロジーの名に値するものはない。
科学やテクノロジーそのものではなく、西ヨーロッパ人の思考様式がヨーロッパの覇権を確立させたのだという。
その通りだろうと思う。

 16世紀までのヨーロッパでは、自然現象を数値化して理解することが出来なかった。
時間にしても、正確な時計がなかったため、時間を均質な数値化できず、夏と冬では長さが違った。
人々の誕生年にしても、統一的に表現することが出来なかった。
また、計量する器具が未発達のため、度量衡も正確に数値化できなかった。
古代人は、次のような特徴があったという。

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 第一に、古代の人々は計量という概念を現代人よりはるかに狭く定義し、往々にして事物を計量する代わりに、もっと広範に適用できる評価法を採用していたということである。たとえば、アリストテレスはこう述べている。すなわち、数学者はさまぎまな次元を計量するに先立って、「あらゆる感覚的な性質を、たとえば重さと軽さとか、硬さとその反対の性質とか、さらに熟さと冷たさとか、その他の感覚的な反対的諸性質を剥ぎ捨てる」中世のヨーロッパで「かの哲学者」と称され、ほかの哲学者とは別格に扱われていたアリストテレスは、定性的な叙述と分析の方が定量的な手法より有用であるとみなしていたのだ。(中略)
 第二に、プラトンやアリストテレスとは異なり、私たちはほぽ例外なく、数学と物質世界は密接かつ直接的に結びついているという前提条件を受け入れている。そして、感覚を通じて認知できる現実世界を対象とする物理学は高度に数学的であるという見方を、自明の真理として受け入れている。だが、こうした概念は自明の真理というより、むしろ驚嘆すべきものであり、今日にいたるまで多くの賢人たちが凝念を表明してきた。P29

 聖書が思考の根本にあったので、旧約聖書の印す枠組みに拘束されていた。
そのうえ、アラビア数字を知らなかったので、複雑な計算も出来なかった。
もちろん+、−、×、÷も等号もなかったし、平方根を表す記号もなかった。
桁を表すことも、たいへんな困難を伴った。

 中世の西ヨーロッパ人たちは、社会を定性的にとらえるのではなく、数量的に把握しようとし始めたと筆者は言う。
その500年後に生じた産業革命が、このときから準備され始めたという。
これも納得である。
産業革命がなぜ西ヨーロッパで起きたかは、未だに謎だが、思考様式の変化が先行していたことは間違いないだろう。

 こうした思考変化が、聖書が説く世界観に疑問を持たせた。
近隣からもたらされた情報を、スコラ学者たちは細かく分類した。
分類という作業は、基準がなければ出来ない。
蔵書を整理するにも配列の基準が必要である。
そのため、正確な基準が徐々にできていく。
しかし、スコラ学者たちは、現代の論理数学にはまったく疎かった。

 インド・アラビア数字の普及は画期的だった。

 インド・アラビア数字が1600年以前に勝利をおさめたことは確実だが、保守的な人々はそれ以後も旧来の数字に固執していた。英国大蔵省の会計薄からローマ数字が完全には消えたのは、17世紀半ばのことである。今日でも、礎石に日付けを彫るとか、スーパーボウルの開催回数というような晴れがましい事柄には、ローマ数字が用いられている。それはともかく、インド・アラビア数字がローマ数字にとって代わったことは、いかに時間を要したとはいえ、きわめて重大な変化の1つだった。当時、西ヨーロッパの人々はラテン語という超国家的、超地域的な言語に背を向けて、おのおのの母国語を好んで用いるようになっていた。その一方で、彼らはアルゴリズムという真の意味で普遍的なもう一つの言語を容認し、採用したのである。P155

 この頃登場してくるのが貨幣である。
貨幣を使った経済の浸透が、数値計算の必要性をうみ、社会の数値的理解へとつながっていった。
貨幣は西洋人の発明ではないが、貨幣への執着が計算を不可欠にした。
それだけではない。
貨幣経済の浸透は、時間の固定も不可欠だった。

 均質な時間は、脱進機を備えた機械時計の普及によって可能になった。
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 現在から見ると、文字を読むのも大変だった。
句読点も段落がなく、単語と単語との間も空いてなかった。
また、黙読ができなかった。
そして、記憶の役割がきわめて重要だった。
そのうえ、音楽にしても絵画にしても、見たままではなく、遠近法といった技術が精確な視覚化を促した。

 複式簿記の登場は、数量化の最終段階といってもいい。
こうした過程を経て、現実を感性的に把握していた人たちが、徐々に現実を数量として捕らえるようになった。
ここで産業革命への準備が整っていくのである。

 感性的な把握は経験に負うから年齢の高いものが有利である。
その結果、高齢者が偉いという年齢秩序があった。
数量化することは、経験による把握ではなく、若年者であっても正しいことを言っている人に耳を傾けるようになった。
そう考えると、数量化というのは目に見えない社会的な基盤を整えたのである。
    (2014.5.22)
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参考:
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編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
信田さよ子「父親再生」NTT出版、2010

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