匠雅音の家族についてのブックレビュー   私という病|中村うさぎ

私という病 お奨度:

著者:中村うさぎ(なかむら うさぎ)  新潮文庫 2008(2006)年 ¥362−

著者の略歴−1958(昭和33)年福岡県生れ。同志社大学文学部英文科卒。OL、コピーライターを経て、ジュニア小説デビュー作『ゴクドーくん漫遊記』がベストセラーに。その後、壮絶な買い物依存症の日々を赤裸々に描いた週刊誌の連載コラム「ショッピングの女王」がブレイクする。『女という病』『私という病』『セックス放浪記』『プロポーズはいらない』『女はかくもままならぬ』などエッセイ、小説、ルポルタージュに著書多数。
 「女という病」では、大学フェミニズムと同様の、どうしようもない嫌悪感を感じた。
しかし、本書は男性社会告発の書として、とても素直に読めた。
筆者が怒るように、現代は男性支配の社会であり、男性だけが人間として扱われている。
男性優位の価値観が、社会に蔓延しているし、筆者もボクもそうした価値観に汚染されている。
TAKUMI アマゾンで購入
私という病 (新潮文庫)

 筆者が批判することは、ボクの中にもある。
もちろん男性支配を肯定するつもりはまったくないが、現代社会が男性支配である以上、男性支配から全面的に無縁でいることはできない。
その社会に生きていれば、その社会の価値観を不可避的にもってしまう。
それは筆者が男性に対して憤りながら、筆者自身も男性に迎合したいと思っている部分でもある。

 本サイトでは、大学フェミニズムはフェミニズムとは、まったく別のものだと考えている。
筆者は大学フェミニズムと違って、自己の経験を切開しようとする姿勢が、フェミニズムへと迫っている。
筆者の憤りは、そうとうに本質的だと思う。
しかし、筆者自身も<あとがき>でも書いているが、模索して右往左往している状態を、そのまま文章化している。
あくまで試論であろう。
 
 若い頃、セックスは「させてあげる」ものであった。私のことを愛してくれてるから、そして私も彼を愛してるから、「じゃあ、あなただけにセックスさせてあげるわね」と、今から思えばかなり傲慢で尊大な自意識の元に、もったいぶって背中のファスナーを下ろしていたような気がする。
 うーむ、ちくしょう、何だったんだ、あの傲慢さは。そんでもって、また、現在のこの卑屈さは何なんだよ。「させてあげる」ものから、「していただく」ものへ……これはもちろん、セックスの価値が上昇したのではない、私という女の価値が暴落したのだ。P15


 後のほうで、夫が妻を抱いてやっている、という発言に憤る筆者だが、筆者の「させてあげる」意識も男性支配そのものである。
セックスすることは、させてあげるとか、していただくといったものではない。
これは筆者の貧弱な人生体験を、物語るのではないだろうか。
というより、人間関係を上下といった、地位や金銭の多寡で見たがる癖と、おおいに関係があるように思う。

 3日ばかりデリヘル嬢を体験したらしい。
筆者はデリヘルに来る男性が、性産業に必ずしも差別意識を持っていないと知る。
彼等にも差別意識はあるだろうが、少なくとも対面しているときには、男性たちは真摯だったのだ。
むしろ後日、筆者のデリヘル体験を知った男性たちの反応が、きわめて性産業差別的だったという。
 
 男は金でセックスを買うのではなく、性的幻想を買いに来るのだ、と、先に申し上げた。ということは、だ。諸君、男という生き物は、自分が幻想を抱いている女に対しては優しく丁重に気を遣って振る舞うが、長く連れ添った挙句に幻想を抱けなくなってしまった女に対しては気兼ねがなくなる分、人間扱いしなくなる、ということなのだろうか。むろん、「妻」となり「母」となった女には、セックス以外の別の役割が生じるので、もはや「女として取り扱う」ことすら憚られるのかもしれない。彼女たちは彼らにとって「違う領域」に行ってしまった女たちなのであり、その領域はある意味「聖域」であるのだから、性的幻想や性的刺激の対象ではなくなる代わりに、癒しや連帯や安定のシンボルとなるのであろう。敬愛はするが欲情はしない、といった存在だ。P58


広告
といった後で、妻や母になった女たちは、どこで性欲を満たせばいいのかと憤る。
男性には性産業があるが、女性には性産業はない。
だから、妻や母になった女性が、性欲を満たす場所はない。
そのとおりだろう。

 我が国の結婚は、ロマンティック・ラブとして始まるが、数年もしないうちに生活に埋没していく。
そこでセックスレスになっていく。
その理由は、おそらく男女の両方に原因があるだろう。
筆者はしばしば「女として認められたい」という。
しかし、相手としては若いイケメンしか、男として認めていない。
筆者の行動は自発的だが、発想はとても受け身的である。

 筆者は自分の欲しいものが分からないから、買い物中毒にはまるとか、性的な欲しいものを確認するために、デリヘル嬢になる。
自己確認をしたくて筆者は必死になるが、いくら自己を見つめても、自己認識はできない。
自己認識は他者を鏡として、関係のなかでしか確認できない。
そのため、筆者がいくら模索しても、筆者の方法では自己認識は不可能である。

 筆者の憤りには共感というか、そのとおりだと思うが、認識の構造が狂っている。
東電OL事件を引用しながら、自分を東電OLに重ねている。
そして、総合職として働いていた女性でありながら、女として扱われなかった無念さを言う。
筆者は男性を男として扱ってきたのだろうか。
<させてあげる>と同根のスタンスが、どこかに残っているように思える。

 性産業に従事する女性を蔑視するというが、性産業を蔑視するのは近代の産物だろう。
もっといえば、核家族の成立と同時並行の現象だろうと思う。
性別役割分業を維持するためには、女性に稼ぎがあっては困るのだ。
専業主婦を守るために、自立した稼ぎ手である売春婦は、徹底的に蔑視される必要があった。

 農業が主な産業だった時代の農村部では、売春が成り立たなかったはずである。
金銭が有用な都市部でだけ、業としての売春が成り立ったのだ。
貧しい者のあいだでは、貞操など問題にならなかったし、売春婦と車引きは同列にいた。
貧しいなかでは、売春婦差別は成り立ちようがないのだ。

 近代になって核家族が誕生し、社会が豊かになり始めると、社会の階梯を登るにしたがって、自分の下にいる人間が必要になった。
一種の分裂支配である。
だから、近代で男性支配が確立していくと、女性も売春婦を蔑視するようになっていく。
とくに専業主婦にとって、売春婦は二重の意味で敵となった。

 近代が終わり、女性が職業を持ちはじめると、核家族をささえた性別役割分業も意味を失った。
しかし、我が国では女性の職場は充分ではない。
そのため、中高年以上の女性たちは、いまだに売春婦差別意識を強くもっている。
それにたいして若い女性たちは、風俗で働くことに抵抗感がなくなった。

 我が国はいまだ老人天国であり、老人たちの価値観に逆らうと、生活しにくくなる。
だから、若い人たちは本音を隠して、日々を生きている。
筆者のように本音を書いてしまうと、たちまちメジャーな老人文化からバッシングされるのだ。
それは「家族未満」でも同じだった。
非配偶者人工授精で産まれても、嫡出児と扱われているし、代理出産でもそれを隠していれば、嫡出児として受け入れる。
それが我が国である。

 筆者の憤りはまったくもっともだが、逆に<女であること>をネタに売文し、それで生活している。
それを思うと、筆者のイライラは病というより、生活のための術だとすら思えてくる。
女とか男とか言う前に、筆者自身が何を追求するのか、が問われるのではないか。

 人間としてのあり方を、観念の世界で切開する作業は、孤独なものである。
そして、日々の生活というものは、とても恐ろしい。
本書のような試論をくり返しながら、人間とは何かを考え続けて欲しい。
  (2010.2.19) 
広告
  感想・ご意見・反論など、掲示板にどうぞ
参考:
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997

「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる