匠雅音の家族についてのブックレビュー    「彼女たち」の連合赤軍−サブカルチャーと戦後民主主義|大塚英志

「彼女たち」の連合赤軍 
サブカルチャーと戦後民主主義
お奨度:

編著者:大塚英志(おおつか えいじ)角川文庫、2001 ¥667−

著者の略歴−1958年東京都生まれ
 筆者と同世代の女性たち、それが「彼女たち」の意味だという。
新人類とかオタクといわれる1958年生まれの筆者だが、本書は戦後史への鋭い批判となっている。
筆者は虚妄の戦後という見方を拒否する。
それは当然だろう。
筆者の生きた時代(それは私の生きた時代でもある)を、江藤淳氏のように言ってもらっては困る。
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江藤は日本が「目的がない国家」としてただ「何となく」存在しているのではなく、1946年憲法によって規定されたいわゆる「閉された言語空間」 の中に、アメリカ=占領軍によって「存在させられている」のだ、と丸谷を批判するわけだ。P147

 筆者は江藤氏のファンであるらしく、「成熟と喪失」をさかんに賞賛している。
しかし、江藤氏の言葉は、自分の希望と反した存在のあり方を認めない、と言っているに過ぎない。
江藤氏の言うように、たとえ存在させられたにしても、筆者も私も今を生きているのであり、切れば赤い血が流れる。
江藤氏は自分が思うような観念が、見いだせないと言うに過ぎないだろう。

 たとえ「憲法」が「与えられた」(あるいは強制された)ものであったとしても、50年の歴史を具体的に生きたのは日本人たちである。そこで達成されたもの、さらにはその過程で顕わになった困難さ、それら歴史的所産の主体は戦後社会を生きた日本人たちの責任である。安直な戦後
民主主義批判や憲法押しつけ論に戦後社会の諸問題を無批判に結びつけてしまう類の言説は、それこそ「歴史」に対する責任の放棄に他ならない。だって占領軍が悪いんだもん、という歴史観と、戦前のこの国の過ちを一元的に天皇制の問題に帰結させてしまう歴史観はともに「歴史」という事象への責任のあり方において同質であることにそろそろ気づくべきだ。P152
 
 という筆者の発言に、私は全面的に賛成する。
戦後批判と天皇制批判は、同根同質であることが多い。
歴史は観念によって解釈されるとしても、どんな時間も確実に歴史の一駒であり、それはすべて等価なのである。
だから現在を免責するものは、いかなる時代をも生きることはできない。

 本書は連合赤軍の永田洋子氏のイラスト分析から始まる。
そして、萩尾望都氏・大島弓子氏や上野千鶴子氏といった同世代の女性たちを、通覧しながら1972年を時代の転換点だった、という。
いわゆる消費社会が、72年を境に実現されたという認識であり、消費社会はそれ以前の社会とは大きく異なった価値観が支配する、という。

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 政治的な運動や哲学的な内省を経ずとも「金と時さえあれば誰でもすぐ容易に」新しい自分を手に入れることができると大衆としての女性たちが錯覚してよい自由をこの時期の消費社会は女性たちに与えている。内省を持たずとも、「消費」によって、「私」の輪郭を獲得できる。こういった「私」の大衆化、商品化と女性解放運動の大衆化は常に不可分のものである。P169

 筆者は消費社会という言葉を使うが、これは情報社会と置き換えても、ここではそれほど違いはない。
消費社会と情報社会を同じ意味としたうえで、私は筆者の認識に同意する。
女性の解放は、消費社会化つまり情報社会化と平行現象である。
豊かな社会になって初めて、女性の解放が実現されたのである。
女性解放は、男性支配だった産業社会が、男女を等価とせざるを得なくなった結果である。
筆者の言うように消費社会とみれば、それはより明確になるだろう。

 消費社会になったことは、けっして否定すべきことではない。
貧しかった庶民がやっと終の棲家を見つけ得た、と見なすべきである。
そして、貧しかった庶民が、かつての高等遊民と同質な時間を獲得したとき、庶民特有の表現形態を体得したことは当然である。
それが少女漫画であり、オタク文化だった。
それらを筆者はサブカルチャーと言う。
ちょっと疑問に思うのは、筆者は何をサブではない文化というのだろうか。

 すべてをサブカルチャーととらえる筆者だが、しかし、母の死をいう筆者の眼は信頼して良い。
母の死は女性の観念的自立と性的な身体の発見につながるし、その結果として女性の主体の崩壊へと結果する。
そして、子供を産んだ女性たちは、観念が自立しえなかったがゆえに、母性=自然へと回帰していった。

 女性が男性と同質の主体性をもつ必要もないし、独自の観念を創っていっこうにかまわない。
しかし、女性の自然への回帰は、自立の方向とは反対のようにも思う。
少なくとも女性の観念も、他者が登場したもののはずである。
女性が母性=産む性=自然にこだわる限り、女性の観念的な自立は男性と違った女性特有のものになる。
それは遠い道ではあっても、必ず女性たちによってなされなければならない。

 本書は、過ぎ去った時代をきちんと整理をしてはいるが、今後への展望がまったく見えない不思議さがある。
何を目的に本書が書かれているか、ちょっとわからない。
これだけ正確な時代認識をしているのだから、何か未来へのスケッチを感じさせてほしかったのは、ないものねだりだろうか。
吉本隆明氏の評価など、実に着実なものだ。
筆者にはそれだけの力量があるように思うのだが。    
(2002.10. 18)
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参考:
高沢皓司「宿命「よど号」亡命者たちの秘密工作」新潮社、 2000
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993

読売新聞20世紀取材班「ロシア・中国 20世紀 革命」中公文庫、2001
金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002
久家義之「大使館なんかいらない」角川文庫、2001
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫  2008年
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994

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