匠雅音の家族についてのブックレビュー    出産の社会史−まだ病院がなかったころ|ミレイユ・ラジェ

出産の社会史 
まだ病院がなかったころ
お奨度:

著者:ミレイユ・ラジェ−勁草書房、1994   ¥5、200−

著者の略歴−1936〜86年、アルジェリアに生まれ、翌年フランスに帰国。南仏モンべリエで歴史学を修め、リゼで教職につく。30歳でポール・ヴァレリ大学に 移り、南仏の民衆教育の歴史に関する研究を手がける。その後,出産の分野の研究を展開し、多数の論文を発表。この分野の第一人者となる。1980年ソルボンヌ大学での博士論文「出産と生の意義」が本書の基磋になっている。他に「生れること−伝統的フランスの出産と子とも時代」(ジャック・ジェリスとの共著,1978年)など
 人類は男女の営みによって、子孫を残してきた。
しかし、子供を孕み出産したのは、女性だけである。
社会的な台頭を始めた女性の肉体構造は、いまだに変わっていない。

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 現在でこそ、出産で命を落とすことは、ほとんどなくなった。
かつて病院がなかった時代には、出産は試練と危険を意味していた。
1000件の出産で、30人くらいの人命が失われたのである。
本書はそんな時代の出産がどのようになされてきたかを、17〜18世紀のフランスを舞台に例証している。

 現代でこそ女性も、男性と同じ人権があるとみなされている。
しかし、つい最近まで、女性は男性より明らかに、劣った存在だと考えられていた。
女性に男性と同じ人権があるとは、誰も考えてはいなかった。
それが、子供を産むということにおいて、女性の存在価値が高められたのであった、と筆者はいう。

 女が女であるうえに母親たる地位を獲得するのは、常に出産を経ることによってである。出産とは栄光である。子産みは立派な任務である。このすぐれた機能は、処女性への郷愁を消してしまう。それは同時に、愛すべき性と徳と貞節と生殖カそして美そのもの、つまり結婚の気苦労や子産みの苦しみにもかかわらず成熟した女が知る豊満な魅力の化身なのである。P21

 子供はそれ自体が、継続を象徴するものであり、子供がいないと社会はそこで途絶する。
それだけではない。
子供は働き手であり、老後の支えでもあった。
非力な女性は個体の維持にかんしては、男性に遅れをとった。

 しかし、子供を産む女性は、産むということにおいて男性に拮抗できたのである。
処女が男性の征服欲や支配欲を満足させたとすれば、出産は男性支配の社会への貢献でもあった。
そして、非力な女性は産むことによって、存在意義をより強固なものとした。

 近代的な医療が誕生するまでは、出産は自然の支配下におかれていた。

 子どもを待ちのぞむのも、産婦の出産の時を待つのと同様、生物の種としてのリズムに深く左右されている。忍耐強く待ったり、待ちきれない思いを味わったりというような時間の感覚は、自然のサイクルに同化していた証拠である。分娩が長びくことにたいして人々は適応したり反抗したりする。(中略)信頼して待つのを選ぶこと、それは自然の秩序を良しとする感情とともにあり、道理にかなった宇宙と人間の緊密な結びつきを追求することにつながっていく。人間の手は不幸をもたらすのではないかという、恐れの刻印された運命論的態度、受身あるいは自制としてあらわれる生命創造を前にしての慎重な態度、保守主義は女性の領域に属するもののようにみえる。P108

 もちろん出産は自宅で行われた。
医者などいなかったので、産婦のまわりには身内の女性が集まって、ことを処理した。
産婆がいれば産婆が、いなければ母親が主な役割を果たした。
今日では女性のつながりは、病院によって切断されているが、
出産を経ることによって女性から女性へと智恵が伝達されたのである。
ここには男性たる父親は、ほとんど介入できない。

 どの文化圏の女たちも苦痛を和らげる姿勢をとってきたが、ある文明あるいは一定の領域内でそれらはしばしば、伝統によって強制されるようになっていく。ところがこれらの本能的姿勢は、子産みの行為が<下半身の働き>であったので、まわりの者たちは慎みのない姿勢に衝撃を受けるのである。こうして17、18世紀の産科医たちは、体を曲げてうずくまる姿勢を淫らで野蛮であると考え、女の身体にとって正常な身振りをほとんど動物的状態とみなしたのである。P139

 今日の病院出産は、医者の診断に都合のいいように、仰向けに寝た姿勢で行われる。
しかし、これはごく最近になって始まったことである。
かつての出産は、屈んでしゃがむ姿勢が多く、天井から下がった綱につかまったりした。
また、後ろに寄りかかった姿勢のこともあった。

 ここで待つ出産から、働きかける出産へと変わった。
医者の与える姿勢は、自然の原理に反しているので、女性により一層の苦痛を与えた。
近代化の波は、女性の苦痛よりも、生命の安全を優先した。

 子どもは生まれた。彼は生者の世界に入った。しかし、臍帯とまだ彼そのものでもある胎盤によって母親とつながっている。分娩の最後で一定の技法にゆだねられる臍帯と胎盤は、不運の原因であると同時に豊産性のしるしでもあった。臍帯を切り、産婦に胎盤を娩出させることが、分離を完成する最後の行為となる。P166

 本書は次の言葉で締めくくる。

 女の出産の様式は、ひとつの社会と文化の性格をあらわすものである。産婦は、出産の進行具合を決定する生物学的法則に支配されるばかりでなく、家族や共同体や医者の介入、さらには国家および宗教権力の圧力をも受けるのである。それらは振舞いやことばや感情さえも条件づけるカをもち、生まれてくる子どもの社会への組みこまれ方を決定する。あらゆる産婦、あらゆる新生児は、文化と社会の網の中に織りこまれたその位置と、豊かさと知識の水準に、しかとしばりつけられていた。P303

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参考:
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