匠雅音の家族についてのブックレビュー    ゆたかな社会|ジョーン・K・ガルブレイス

ゆたかな社会 お奨め度:

著者:ジョーン・K・ガルブレイス−岩波書店、1990年 ¥1365−

著者の略歴−1908年カナダ生まれ。経済学者、政府機関勤務、ケネディ政権下のインド大使、「フォーーチュン」編集長などを経験、49〜70年ハーバード大教授。主著「アメリカ資本主義」「自由の季節」「新しい産業国家」「不確実性の時代」「マネー」など。

 1958年という昔に出版された本書は、すでに古典といっても良い扱いを受けている。
しかも、何度も版をかさね、すでに第4版まで改訂されている。

 50年代が、アメリカの輝いていた時代であることを反映してか、全体に楽観的なトーンであるが、鋭い指摘は現在でもじゅうぶんに通用する。
豊かな社会の賛美者としてのみ、筆者をとらえる向きもあるが、筆者の視線は社会全体に届いている。
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 貧困からの脱却が何よりも優先された前近代、経済学はいかに貧困を撲滅するかが、最大の指命だった。
一握りの有閑階級が満ち足りた生活をし、多くの庶民は満足な生活ができなかった。
前近代ではそれがあたりまえで、庶民が貧乏でいることは、何の問題にもされなかった。

 それが近代に入ると、庶民が貧乏であることは、社会の活力を欠く原因となった。
つまり生産物を買うのは、庶民であることに気づいたのは、近代である。
大衆消費社会のほうが、王様や貴族の消費より多い。
そこで、国民経済の活性化をめざして、経済学が誕生するのである。
本書の前半は、経済学史的な記述が多く、やや退屈にも感じる。

 経済学はその生い立ちから、貧困を見つめてきたので、社会が貧しいといった先入観から抜けられなかった。
しかし、絶対的な貧困から脱却し、アメリカでは貧乏が少数派になっていた。
そうした時代には、経済学も以前とは異なった見方が必要だったが、多くの人は豊かであることに無頓着だった。
豊かな社会であるという筆者の指摘は、最も早い時期にあるもので、時代への見方を変えたといってもいい。

 大衆の貧困化の不可避性、自然の生産手段の所有者の富裕化、賃金と利潤との避けがたい争い、そして利潤優先による経済進歩、といったリカードの結論は、怒った人の手に渡ると、革命への呼びかけにもなりかねないからである。資本主義に対する考え方が暗いという点では、リカードとマルサスもマルクスに劣らなかった。しかしマルクスの使命は、リカードやマルサスとはちがって、欠陥を指摘し、罪の責任を追及し、変革を促し、そしてとくに規律的な信条を募ったことである。規律的な信条をえたという点でのマルクスの成功は、モハメット以来例のないものであった。P118

 ヨーロッパが戦争の疲弊から立ち直れなかった50年代、アメリカは豊かさを独り占めした。

貧困は革命を招来するから、体制側は共産主義化を恐れると同時に、貧困の撲滅につとめはじめた。
しかし、貧困の撲滅が成功したのは、分配が公平になったからではない。

 富に恵まれた人は、過去何世紀もの間、その富を正当化するためにいろいろ手の込んだ尤もらしい議論を展開してきた。
こうした議論に対して自由主義者は本能的にきびしい態度をとってきた。しかし、最近の何十年かの間に大衆の物質的な生活が非常に向上したのは、所得の再分配ではなくて生産の増加によるものであって、先進国に関するかぎりこの事実は何とも否定しようのないことである。そこで自由主義者も、半信半簸ながらも、この事実を受け入れるようになってきた。その結果、経済の拡大という目標がアメリカの左翼の通念の中に深く織り込まれることになった。P150

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 貧乏な人が圧倒的多数だった時代、同時にそこでは生産力も低かった。
だから、圧倒的多数の貧乏人の声にも、耳を傾けなければならなかった。
しかし、アメリカでは今や貧乏人は、少数派になってしまった。
外国の豊かな人を比べても、アメリカの貧乏人はけっして貧しくない。

 貧しくない庶民が、社会の大多数をしめる社会では、それまでとは価値観が異なる。
第19章の「転換」から後半は、本書の主張が鮮明になる。

 荒野を開拓してつくられた国においては、節約と労働とが万人の義務であった。生活それ自体を支える財貨の供給は、節約と労働によって維持され、拡大されたからである。そして経済学の主流あるいは古典的な伝統は、経済行動の分析と経済制度のための一組の規則以上のものであった。それは道徳律をも含んでいた。世界は人間を生活させる義務はなかった。人は働かなければ食えなかった。こうして課された義務は、自分のため、そしてそれとともに他人のために働くよう人間に要求した。P346

 少数の金持と多数の貧民がいたからこそ、不平等と貧困に対する関心は切実でありえたのだ。多数者がゆたかになったので、たとえそれ以外の人びとがもっとゆたかであっても、この問題は決定的な政治問題ではなくなった。しかし不幸にも、不平等が問題にされなくなってもすべてがきれいになったわけではない。半端な、しかもある意味でははるかに救いがたい問題が残されているのだ。P385

 労働時間は大きく短縮されてきた。
1850年頃には、週70時間くらい働かされた。
週6日働くとして、だいたい12時間労働である。
明治から大正時代へと、12時間労働はわが国でも同様だった。
しかし、長時間労働で有名なわが国でも、いまや週40時間である。
これは生活のために、全生活時間にわたって働くことから、解放されたことを意味する。

 かつての労働工場は、汚く厳しく不健康なものだった。
多くの人がブルーカラーだった。
しかし、肉体労働者がへったことは、労働への動機付けを変えてしまった。

 有閑階級ははとんどいつの時代のどの社会にも存在した。有閑階級とは労働を免除された人びとの階級である。近代では、そしてとくにアメリカでは、有閑階級は、少なくともそれと識別しうる現象としては、消滅した。怠けていることはもはやとくであるとは考えられていないし、また必ずしも尊敬すべきことと考えられてさえいない。
 しかし、この有閑階級に代って、別のもっと大きい階級が現われていることは、ほとんど気づかれていない。昔は、仕事といえば、苦痛、疲労、その他の精神的または肉体的な不快さというひびきをもっていたが、この新しい階級にとって仕事はそのようなひびきを全然もっていない。
 そしてまた、コンピューターによって仕事の質がひき続き変革されていることにより、この新しい階級の成長が加速されている。P399

 もちろん本書は、新たな現象のマイナス面にも、充分に目を注いでいる。
しかし、いずれにせよ絶対的な貧困がなくなったことは確かだし、ほとんどの赤ん坊が老人になれる時代がきた。
こうした指摘が、1958年になされたことを思うとき、本書の先見性が明瞭になる。
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参考:
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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