匠雅音の家族についてのブックレビュー   骨董市で家を買う−ハットリ邸古民家新築プロジェクト|服部真澄

骨董市で家を買う 
ハットリ邸古民家新築プロジェクト
お奨め度:

著者:服部真澄(はっとり ますみ)−−中公文庫、2001 ¥590−

著者の略歴−1961年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、編集制作会社に勤務し、全国の伝統工若や手工芸を取材する。1995年、長編国際謀略小説「龍の契り」で小説家デビュー。一躍べストセラーとなり、次作「鷲の驕り」で吉川英治文学新人賞を受賞。 
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 痛快、なめらかに文章を読ませる。
本書は1人の若い女性が、福井の古民家を品川に移築して、自宅とするまでの奮闘記である。
おそらく筆者の体験記であろう。
それを旦那の目から見たように書いている。
書き手はあくまで旦那なのである。

 私は旦那が書いたと、半分騙されながら読んでしまった。
それにしては、旦那の人間味が薄っぺらいなとは思ったが、書き手本人とはこんなものかと思っていた。
筆者が作家だとも知らずに、とにかく騙されたのだ。
やはりミステリー作家の優れた筆力ということか。

 もともと骨董品の好きな女性が、骨董市にでていた<古民家売ります>の看板から話は始まる。
体力は非力だが、ガッツだけはあるかみさんは、古民家の移築に向けて一直線に走っていく。
それに少し遅れながら、旦那があたふたとついていく図が、楽しくおかしく書かれている。
もちろん、旦那の目を通して書いていることは、彼女もある時は客観視しているのではある。
いや、旦那の目をとおすこの筆致は、彼女は最初から冷静に見ていた、と言ってもいいだろう。
この移築にかんして、本人はどの程度満足しているかわからない。
5千万円近い買い物だし、人と違うことを自分でしたのだから、上々の首尾だったとはいうだろう。
しかし、私から見れば、このプロジェクトは明らかに失敗である。

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 古民家に住むことが悪いと言っているのでもない。
古民家の移築が不可能だといっているのでもない。
筆者の持っていたイメージ通りに実現された家は、それなりに充実したものだったろう。
それは挿入された写真でも分かる。
何が失敗だったかは、筆者もわかったらしく、最後ではこの家には品格がないと言っている。
福井に建っていたときには、ボロボロになっていながらも、この家には品格があった。
それが品川に移築されたら、品格がなくなったというのだ。
また、こうも反省している。
 
 家づくりは、ほんらい、注文一品生産である。ところが、半分レデイ・メードのものを、組み合わせて多様なプランを 展開していく建てかたが主流のなかで、一からオリジナルのものは、一朝一夕には仕上がらない。つくるがわの、 注文に柔軟に対応する能力も、総体的に弱くなつているのかもしれない。いや、能力はあっても、めったに使わないために、エンジンを温めるのに時間がかかる、といおうか。そういう意味では、職人さんたちも、ふだん使わない 筋肉をつかう家だったのだろう。さらには、注文するがわの知識の乏しさ、がまんの足りなさが大きい。木造住宅の仕組み、家づくりの基本に関 する知恵を、施主が持ち合わせていれば、もっと適切な素材選びや、効果的な〃段取り″をすることができたので はないか。P193

 建築業界にも配慮してくれてはいるが、問題はそこにあるのではない。
また、発注側の無知にあるのでもない。
建て主のイメージした希望が、古建築の再築という復元行為に見えるが、実はこの作業は創造なのである。
移築だからといって、復元でもないしコピーでもない。
彼女の望んだものは、工業社会の大量生産ではない。
筆者の頭の中で考え出された住宅、それ自体が創造作業の結果生まれたものである。
創造とは近代の行為なのだ。
一からオリジナルのものは、一朝一夕には仕上がらない。
だから、繰り返すことによって洗練させてきたのだ。
それでも民家は、下手物にしかならなかったことを思いだして欲しい。
民家は民芸と同様に作品ではなく、ふだん使いの日常雑貨なのである。

 観念が先行する近代人だから、筆者は他の人がやらない古建築の移築を選んだのである。
現代ではこのプロジェクトは新築とまったく同じ行為である。
サラリーマンなら、住宅展示場で家を選ぶが、彼女は知識人だった。

だからお金かかっても、自分のイメージを実現したかったに違いない。
古民家新築と名付けたのであって、移築とか再築と名付けなかった理由である。
しかし、筆者は自分を分かっているし、決して後悔はしていないだろう。
新たな物を創るというのは、とてつもなく大変なことである。
多くの失敗が品格を創る。
それにしても、筆者は幸運な体験をしたものである。
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参考:
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赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
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信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
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クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
青山二郎「青山二郎文集」小沢書店、1987
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

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ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997


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