匠雅音の家族についてのブックレビュー    家族とは何か−その言説と現実|J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン

家族とは何か その言説と現実 お奨度:

著者:J・F・グブリアム&J・A・ホルスタイン−新曜社、1997年  ¥3、500−

著者の略歴−グブリアムはフロリダ大学社会学科教授、ホルスタインはマーケット大学社会文化科学科の教授である。グブリアムはミシガン州のウェイン州立大学モンティース・カレッジを卒業し、1970年にウェイン州立大学より博士号を取得した。ホルスタインはカリフォルニア大学バークレー校を卒業したのち、1981年にミシガン大学より社会学の博士号を取得している。
 家族について語られない日はない。
新聞や雑誌のどこかに、必ず家族についての話題がのっている。
しかし、家族とは何かというと、誰も答えられないのではないか。
家族の定義とは何か。それを考えたのが、本書である。

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 家族というと、男性と女性それに何人かの子供たちという核家族をイメージすることが多い。
そして、家族は精神的な思いやりでつながった、温かい共同体であるという意識を共有している。
だから、老人ホームや孤児院といった施設は、家族じゃないから冷たいとか、家族のようにもてなすといった言葉を使う。
 
 家族とは何だろう。
家族とは核家族を意味するのだろうか。
必然的に生まれる疑問だろう。
歴史的なまた少し広い地域を見る眼をもっていれば、核家族だけが家族ではないことに気づく。

 家族(ファミリー)、家(ハウス)、世帯(ハウスホールド)、家庭(ホーム)、私事(プライバシー)を鍵にして、家族研究にある視点を与えようとする。
家族という概念は、最近になって形成されたものだという。
伝統的社会における家族とは、生産の単位であり、必ずしも精神的なつながりをもったものではなかった。
人は地域共同体に属し、家族構成員にはそれほどの気を使わなかったという。
もちろん、プライバシーなるものはなく、家族全員が一つのベッドに寝たのだそうである。
北欧の農民たちは、婚姻家族より生産と居住に関連する集団や、仕事や地域にまつわる関係のほうを指向していた、という。

 家族が生産組織ではなくなり、仕事と家庭が分離してくる。
それにともなって、家族という集団の結集基準が変わってくる。
男女の性別分業の発生は、愛情によるつながりを生み、家族を内へ閉ざされたものとしてきた。
そこでプライバシーが生まれてきた、と本書はいう。
大筋では肯首できる意見である。

 本書は、アリエスの「子供の誕生」やショーターの「近代家族の形成」を引用しており、それほど目新しいものではない。
なかで目を引くのは、アルツハイマー病の収容施設などを擬家族ととらえ、家族意識の形成を考えていることである。

 家族の言説というメカニズムを通じて家庭内の事柄に意味が付与されるのだとすれば、家庭内の事柄は、その中で私たちの言説が生起する場面の数と同じだけの異なった解釈をされるということになる。たとえば、ある中産階級的な環境は、家族生活についての一定の理解を伝える。しかし、その理解は、労働者階級的な環境の中では、逆転されはしないまでも変更されるだろう。P49

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 家族をものとして固定的に捉えるのではなく、関係としてとらえる視点が感じられる。

そして、そこを支配するのはイメージだという。
それも当然の話である。
近代家族は、個人を私事に閉じこめ、人間から活力を奪ったのかもしれない。

 家族を、社会関係の具体的な組合せであると同時に、人びとの間の関係についての観念でもあると考えるなら、私たちは、従来のように定冠詞のついた家族を探求するよりは、一つの観念としての(定冠詞のつかない)家族が、人と人との関係を特定するにあたってどのように使われでいるのかを解明することのほうに力を注ぐということになるだろう。P79

 ナーシング・ホームなどでの、擬制の家族という言葉を持ちだしながら、家族意識を形成するものを分析していく。
家族概念は変幻自在でありながら、家族イメージは多くの人に均質さをもって共有されている。
しかし、家族イメージは作られたものであり、家族関係と家庭という環境は、厄介な個人を規制し、抑制するものとしてたちあらわれる。
だから、女性の大統領候補は、政治的な能力とともに家庭を無事に運営する能力が問われる。
むしろ公務より家庭を大切にする、とすら思わせなければならない。

 福祉国家が「伝統的な意味での、私的で自立した中核的単位としての『家族』を破壊したのではなく、むしろ『家族』は近代国家によって作られた、もしくは近代国家によって再構成されたものだといえる」P325

 これも正しいだろう。
家族はものであると同時に観念だった、という筆者である。
スウェーデンでは<個人主義のレトリック>が使われるが、アメリカでは<家族のレトリック>が使われることからも、アメリカにおいては家族は消滅していないという。
結論としては、家族イメージが変わるだけだというのであろう。
それは同棲や婚外子を選ぶ北欧人にたいして、結婚・離婚・再婚をくり返すアメリカ人の様子からでもあろう。
しかし、いずれにせよ単家族という概念を導入すれば、両者はきれいに整理できる。

 社会構築主義から家族を見るといっているが、大それた主義を持ち込まずとも、本書の範囲なら充分に説明の付くことである。
家族という「もの」、典型的な家族、家族のプロトタイプ、物象化された家族、大文字で書かれた強調された家族を、それぞれの相互作用をみながら展開している。
しかし、これも常識の域をでないのではないだろうか。

 フーコーをさかんに引用して説明しようとするが、それにはあまり成功していない。
いずれにせよ、家族はこれからも論争的な主題であり続けるだろうが、核家族から単家族へのプロセスで、家族論はほぼ再構築できたように思う。
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参考:
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シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
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ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

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