匠雅音の家族についてのブックレビュー  わたしたちはなぜ科学にだまされるのか−インチキ!ブードゥー・サイエンス

わたしたちはなぜ科学にだまされるのか
インチキ!ブードゥー・サイエンス
お奨度:

著者:ロバート・L・パーク 主婦の友社、2001年  ¥1、900−

著者の略歴−物理学者。専門は結晶構造。メリーランド大学教授。米物理学会ワシントン事務所長。「ニューヨークタイムズ」「ワシントンポスト」などに料学記事を寄稿している。テレビ出演も多く、インチキ科学を糾弾する論客としても著名。米物理学会のホームページに連載中の週刊コラム<What’s New>は、科学者、ジャーナリスト、官僚など、幅広い層の熱心なファンに愛読されている。
 なぜ科学にだまされるのかって、簡単なことさ。
人は自分の信じたいとことを、信じたがっているのだ。
人間の脳は信じたがっている。
それが結論である。
信の構造は科学であろうと、非科学であろうと、まったく変わらない。
科学それ自体は、論理的な大系であり、実験によって追認が可能である。
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 しかし、その結論を信じるか否かは、科学とはまったく関係がない。
むしろ、科学は信じることではなく、疑うことですらある。
真であることと善であることの分離が近代の心性なのだが、
人は完全に近代的な心性に生きているわけではない。
信じるという心的回路は、時代を超えたものだ。
だから、人は簡単にだまされるし、真実だと証明されてもそれをたやすく信じもしない。

 筆者は科学なら信じても良く、科学でないものを信じるのは、いけないと言っている。
では科学とは何かが問われる。
筆者はかの悪名高きE・O・ウィルソンの言葉を引用する。

 「科学は、万物に関する知識を収集し、系統だて、検査や分析が可能な法則や理論に要約する、規律正しい大事業である」P86

 そして、そこから科学であるための条件を、次の二つだという。
いずれかがノーであったら科学ではない。

1. 実験を再現し、検証することができるか
2. それによって、以前より万物の予測がたつようになるかP86


 相当に楽観的な見方だが、筆者が物理学者である以上、このあたりで仕方ないのだろう。
いまや科学の世界でも確実なことはなくなっており、
なかなか信じるにたるものを定義するのは難しいのだが。

 私は環境を守れという主張に、どうも馴染めないものを感じている。
もちろん、環境を破壊しても良いと言っているわけではない。
環境を守れという主張が、科学の衣をまとっているようでいて、
実はイデオロギーそのものではないか、と疑っているのである。
筆者の言うように、科学であれば結論は一つになるはずである。
ところが、地球温暖化論争一つをとってみても、正反対の意見が科学者からだされる。

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 現在では多くの科学者が、「世界各国は、早急に化石燃料の燃焼を抑制する第一歩を踏みだすべきである」と主張している。「われわれに、未来の世代を死の危険にさらす権利はない」と。
 だが、すべての科学者の意見が一致しているわけではない。
著名な科学者のなかにも、「人類が化石燃料の使用をはじめる以前にも、地球が温暖化していた時期があった。それに二酸化炭素は、大気中の温室効果気体の構成要素としては割合がすくない」と分析する科学者もいる。「1850年以降の地球温暖化は、すべて太陽の自然変異による可能性もある」と自説を披蕗する科学者もいれば、二酸化炭素の増大を「産業革命からの予期せぬすばらしい贈り物」と賞賛する科学者までいる。いわく、大気中の二酸化炭素の増大は植物の生長をうながす。土地は肥沃になり、食糧生産が順調に進み、その結果、世界は人口の増加にも耐えうる。そのうえ温室効果は、地球がふたたび氷河時代に突入する危険を防いでくれる。P76


 地球温暖化には、きちんとした研究が待たれる。
ところで蛇足ながら私は、人間の行為は地球に影響を与えるほどに大きいのかとも思うのである。
人間とはそれほど偉大なのだろうか。
それほどに力があるのだろうか。
もちろんだからといって、地球を汚して良いと言っているのではない。
自分の排泄物は、自分で始末するのは当然である。

 しかし、人間が地球に影響を与えるほどに思うのは、人間の驕りではないだろうか。
もちろん、この驕りは近代人のものであるが、
逆にいうと近代とはそれだけ力があるということなのだろう。
むしろ問題は、企業活動からでる排泄物を、企業に始末させず、税金で補填していることである。

 本書の白眉は、宇宙開発批判である。
わが国では、宇宙開発を無条件で肯定し、宇宙ステーションやスペースシャトルを賛美する風潮が強い。
しかし、筆者は次のように言う。

 宇宙ステーションを計画した科学は、これまで論じてきたブードウー・サイエンスとはまったく性質が異なる。これまで述べてきたインチキ科学の数々は、重大事でないという点ではそれほど邪悪ではなかった。だが宇宙ステーション計画はたちが悪い。宇宙ステーションは見当ちがいの夢物語であり、保証のない誇大広告である。政府をうしろだてとして、大々的に新開発表されたブードウー・サイエンスなのである。P139

 筆者は、宇宙開発の愚かさをつぎつぎと書いていく。
米ソの競争の餌食にされた宇宙開発は、国家の政治的な威信のためにねじ曲げられた。
有人探索がどれほど非効率的で、金ばかりかかり非科学的かを述べる。
有人宇宙ステーションは、人間の生命を維持する装置のおかげで、
重心の位置がずれたりして安定性に欠けると言うのだ。
それには、宇宙開発の途中で、有用な多くの副産物が生まれたとしても、
宇宙船の中でカエルの卵がどうしたとやっているのでは、有用性はほとんどないことに同意する。

 筆者が最も強調するのは、政府が隠しだてしないことだ。
防衛上の機密ということで、気球を秘密にしたおかげで、
UFOを信じる人が増えてしまったという。
一度、政府が嘘をいったと人が信じると、それを取り消すのには想像を絶する時間がかかる。
スターウォーズ計画にも、筆者は同様な見地から疑問を呈する。
本書はおもしろい読み物だが、科学といわなくても宗教だって、
人が信じる心理構造は同じである。   (2002.9.6)
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参考:
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか 生態人類学から見た文化の起源」ハヤカワ文庫、1997
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
匠雅音「家考」学文社

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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