匠雅音の家族についてのブックレビュー    アフリカ農場物語|オリーブ・シュライナー

アフリカ農場物語 上・下 お奨度:

著者:オリーブ・シュライナー   岩波文庫  2006年  上:¥600− 下:¥760−

著者の略歴−1855年3月24日、南アフリカの現ケープ州ハーシェル地区に、牧師の9番目の子供として生まれる。家族の愛情には恵まれなかったらしいが、20歳になる前に、ダーウィン、スペンサー、モンテーニュ、ゲーテ、カーライル、ギボン、ロック、レッキー、J・S・ミル、シェークスピア、ラスキン、シラーなどを読んでいる。家庭教師をしながら生計を立て、商店でも働く。1881年にイギリスに渡る。1893年にサミュエル・クロンライトと結婚。1920年12月10日、65歳でケープタウンに眠る。(訳者解説から抜粋)
 フェミニズムの古典的名著と言われる「女性と労働」(未翻訳)の筆者が書いた小説である。我が国で出版されたのは2006年だが、本書がイギリスで出版されたのは1883年である。
明治維新の3年前だと思えば、ただただ驚くしかない。
しかも、最初はラルフ・アイアンという、男性の名前で出版されたのだ。

 J・S・ミルの「女性の解放」が出版されたのが、1869年である。
それから遅れること14年で、しかも根底性において、ミルを凌いでいる。
やっと我が国でも翻訳されたのかと、ちょっと感慨深い。
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 本書は小説だから、本サイトが評論する筋合いにはないが、読んでいて胸が熱くなる。
女性で、しかもアフリカに生まれた人間が、独学で知識を身につけ文章を書く。
それだけでも頭が下がることだが、本書のテーマは女性の自立と無神論なのだ。
 
 この私の小さな顎を見て、ウォルドー。えくぼもあるでしょう。これは、私の体の中でほんの小さな部分にすぎないのだけれども、人生を歩んでいくうえで、これほど役立つものはないわ。私に太陽の下のすべてのものについての知識があったとしにも、その知識を上手く用いる知恵が備わっていたとしても、それに天使のように深く愛する心があったとしても、この小さな顎の代わりにはならない。この顎でお金を勝ち取ることもできる、愛を勝ち得ることもできる、権力を得ることもできる、名声を手にすることもできる。知識があったとしてもそれが何の役に立つかしら。女性は頭が空っぽであればあるほど、身軽になり、登りやすくなる。昔、ある老人が言っていた。女性には可愛らしい踝(くるぶし)のはうが知性よりずっと役に立つと。真実だわ。世の中は、まだ私たちが小さな靴と短靴下を履いているころから、もう呪われた目的に向かって私たちを形成し始める」彼女はそう言い、笑っているかのように両唇を引っこめた。下−P121

 これは主人公リンダルの科白である。
イギリスでは女性運動がおきつつあったと言えども、今から120以上も前に書かれた文章だろうか。
筆者は女性にとって結婚とは、生活のためにするものであり、どんなに男性から愛されて求婚されても、結局は男性の持ち物となると認識している。

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 この時代、我が国と違って、イギリスではすでに恋愛によって、結婚することが普通になっていた。
愛のある結婚こそ、神が祝福するものであり、性別による役割分担が当然視されていた。
そんな時代に、筆者のような女性が、存在したことが奇蹟に思える。
 
 筆者の視線は、労働にも向けられている。
アフリカ原住民たちの厳しいながらも健康な労働と、近代的な装いをもったイギリスの労働を、実に醒めた目で比べている。
自然を相手にした労働は、貧しいながらも思いやりがあり、人間的なものだ。
それにたいして、イギリス人の押しつける労働は、経営者の金儲けのためであり、非人間的なものだ、と匂わせている。

 筆者は南アフリカに生まれたので、本国イギリスとは異なった目を、持つことができたのかも知れない。
1881年には、イギリスにも行っているし、交友関係も広げている。
南アフリカに戻って結婚もする。
そして、子供も授かるが、子供は16時間後に死亡してしまう。
イギリスと南アフリカを往復しながら、筆者はアフリカの大地に眠る。

 筆者の結婚観を知るために、訳者の解説を引用しよう。主人公リンダルについて、次のように書いている。

 リンダルには空白の時期があり、そのとき裕福なイギリス人紳士から婚約指輪までもらったようだが、服従を意味する結婚を拒絶し、いっしょに旅に出て、子供を出産。その子はすぐ亡くなり、リンダル自身も死の病床をさまよう。グレゴリーは、そうしたリンダルを探し当て、女装し、看護婦として彼女に付き添い、死に場所をカルーに求めたリンダルを最後まで介抱する。服装倒錯にいたったグレゴリーのなかに、やがて登場する「新しい女」とならんで期待される「新しい男」の片鱗が描かれている。上−P237

 我が国で女性運動の先蹤者といえば、一つ覚えのように平塚らいてうというが、筆者の鋭い視点とは比較にならない。
すでに結婚を相対化していたのだ。
しかも、「女性と労働」では、労働に鋭い視点をだしている。
ただただ頭を下げるだけである。

 「女性と労働」もまだ翻訳されていない。
こうした根底的な考察をしている著作が翻訳されてしまうと、我が国の大学フェミニズムは困るのだろう。
マルクス系の女性論は歓迎されてきたが、自由志向の女性論は我が国では受け入れられにくい。
我が国の女性論は、まだまだ幼稚である。

 小説だから本書を評価することは控えるが、フェミニズムの偉大な先蹤者に対して、星を献上する。    (2009.6.9)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006


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