匠雅音の家族についてのブックレビュー    プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神|マックス・ヴェーバー

プロテスタンティズムの倫理と
資本主義の精神
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著者:マックス・ヴェーバー−岩波文庫、1989年   ¥903−

著者の略歴−1864〜1920、社会学者,経済史家.中部ドイツのエルフルトに生れ,ベルリン大学卒.初め法制史,経済史に関心を持ち,28才にてベルリン大学でローマ法,商法を講じた.後,経済学研究に没頭した。晩年政界に関係し,1914年の第一次政界大戦には彼独自の政論を展開したが容れられず,その政治活動は芳しくなかった。その研究は社会科学方法論,経済学,経済史,社会学等広汎な分野に亘っているが,リッケルトの科学方法論をもって基礎つけとなし,社会学方法論上膨大にして包括的社会学体系を遺したことは注目される。主要な著書:「宗教社会学論集」「経済と社会」「職業としての学問」「社会経済史原論」
 1920年に上梓された本書の論理展開には、何度読んでも驚かされる。
プロテスタンティズムの倫理が、資本主義を興隆させた、という話は
有名すぎるくらいに有名だが、本書の白眉はその論理展開にある。
しばしば誤解されるが、資本主義や近代社会が、どん欲な利益追求をもたらしたのではない。
いつの時代、どんな社会でも、多くの人はどん欲な金銭欲をもっている。
利にさといのは人の常である。
決して近代人だけが、欲深なわけではない。
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 4千年の歴史をもつ中国人だって、商売のうまいイスラムの人だって、みな限りない欲望がある。
どん欲さが資本主義をうむなら、むしろ海賊でならした荒くれ者たちから、資本主義が生まれたはずだろう、と筆者はいう。
 
 貨幣を渇望する「衝動」の強弱といったものに資本主義とそれ以前の差異があるわけではない。金銭欲はわれわれの知る限り人類の歴史とともに古い。あとで見るように、金銭欲への衝動にかられて一切をなげうった連中は−たとえば「金儲けのためには地獄へも船を乗り入れて、帆の焼け焦げるのもかまわなかった」あのオランダの船長のように−決して、近代独自の資本主義「精神」が大量現象として(これが重要な点である)出現する、その源泉となった心情の持ち主ではなかったのだ。P54

そして、前近代の人々は、労働にたいして今日の近代人たちとは、異なった心性をもっていた、という。

 報酬の多いことよりも、労働の少ないことの方が彼を動かす刺激だったのだ。彼が考慮にいれたのは、できるだけ多く労働すれば一日にどれだけの報酬が得られるか、ではなくて、これまでと同じだけの報酬を得て伝統的な必要を充たすには、どれだけの労働をしなければならないか、ということだった。まさしくこれは「伝統主義」とよばれるべき生活態度の一例だ。人は「生まれながらに」できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなくて、むしろ簡素に生活
する、つまり、習慣としてきた生活をつづけ、それに必要なものを手に入れることだけを願うにすぎない。近代資本主義が、人間労働の集約度を高めることによってその「生産性」を引き上げるという仕事を始めたとさ、到る所でこのうえもなく頑強に妨害しつづけたのは、資本主義以前の経済労働のこうした基調だった。P65

 これは納得できる。
生産力が土地におっている農耕社会では、いくら働こうとしても、土地の収穫限界性に拘束される。
工場労働のように、労働力と生産高は、比例関係にはない。
たとえば、天候には逆らえなし、土地は何年かに一度は、休ませる必要がある。
だから、土地の生産力の範囲でしか、労働は成り立たない。
無限の欲望がありながら、土地の生産性によって限定されていた。
つまり、前近代にあったのは、生産における欲望が限定されていたことであり、
近代になって解かれたのは、生産における欲望が無限に拡大したことである。

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 働けば働いただけ、収入が増えると思えるのは、近代という工場労働が始まってからである。
ここで新たな労働規範が誕生する。
しかし、この労働規範は初めからあったわけではない。
何がこの労働規範をもたらしたのかと言えば、それはプロテスタンティズムの倫理だと、筆者は言う。

 プロテスタンティズムの世俗内的禁欲は、所有物の無頓着な享楽に全力をあげて反対し、消費を、とりわけ奢侈的な消費を圧殺した。その反面、この禁欲は心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放った。利潤の追求を合法化したばかりでなく、それをまさしく神の意志に添うものと考えて、そうした伝統主義の桎梏を破砕してしまったのだ。ピュウリタンをはじめとして、クエイカー派の偉大な護教者バークリーが明らかに証言しているように、肉の欲、外物への執着との戦いは、決して合理的営利との戦いではなく、所有物の非合理的使用に対する戦いなのだった。P342

 金銭への欲求ではなくて、質素さの追求、勤勉に働くこと、慎ましく生きることなどが、
結果として資本主義を導きだした。
むしろ、営利の追求を敵視したピューリタニムが、資本主義の誕生に貢献したのだ。
驚くべき鋭い論理である。
この指摘が意味するところは、歴史は逆説的だということだろう。
歴史を見る目が深められるようで、とても印象深く本書を読んだ。
 
 ここから問題は、二つ生まれる。
第一は、カソリックの反歴史性である。
いまでも南米などでは大きな勢力を誇るカソリックだが、カソリックが近代化を妨げている。
私にはそう思えて仕方ない。
伝統的社会の身分制を維持し、人間の平等さを教会が収奪してしまう。
そして女性の地位をおとしめる。
いまやカソリックは、貧しさを温存する犯罪者だろう。

 第二は、質素な生活をして勤勉に働くことは、工業社会の誕生には有効だっただろう。
工業社会では、時間あたり労働力が生産性をはかる基準だった。
だから、勤勉に時間を惜しまずに働くことは好都合だった。
しかし情報社会では、時間あたり労働では、生産性ははかれない。
むしろ、ひらめきとか独創性といったものが、生産性を高めるものだとすれば、情報社会をひらく倫理は何なのだろうか。

 第一の問題点はおくとしても、第二の問題点は深刻に考えるべきである。
質素、勤勉、天職、こうした倫理は、もはや役に立たないどころか、マイナスの働きになっている。
情報社会において、人間の存在証明をどう与えるかは、難しい問題である。
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参考:
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
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E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992

ジョン・デューイ「学校と社会」講談社学術文庫、1998
ユルク・イエッゲ「学校は工場ではない」みすず書房、1991
ポール・ウィリス「ハマータウンの野郎ども」ちくま学芸文庫、1996
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980

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