匠雅音の家族についてのブックレビュー    精神病院の起源−近代編|小俣和一郎

精神病院の起源  近代編 お奨度:

著者: 小俣和一郎 (こまた かずいちろう) 太田出版、2000年 ¥2、700−

著者の略歴−1950年東京都生まれ、1975年岩手医科大学医学部卒業、1980年名古屋 市立大学医学部大学院卒業(臨床精神医学専攻、医学侍士)1981〜3年ミュンヘン大学精神科に留学 現在:上野メンタル・クリニック(東京都文京区)院長、ドイツ精神神経学会正会員 著書「精神 病院の起涙」太田出版、「精神医学とナチズム」講談杜、「ナチスもう一つの大罪−『安楽死』とドイツ精神医学」人文書院
精神病とは近代の発見である、と勘違いされている。
たしかに肉体労働が優位していた農耕社会では、精神活動より肉体的な強さのほうが注視された。
肉体が頑健であれば、知能が少しくらい低くても、仕事はあった。
だから、精神病患者は現在よりも、社会的に受け入れられて幸福だった、という意見がだされやすい。

しかし、前近代は20歳まで成人できたのは、生まれた子供の半数だったことを思い出して欲しい。
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 精神を病むことは、肉体を病むことにつながりやすく、近代的な医療が発達するまでは、精神病者が成人できない可能性が高かった。
現在でも重度障害者の寿命は、健常者より短いのである。
前近代だからといって、けっして精神障害者の人生は明るくなかった。
むしろ、家族のなかで、座敷牢につながれていたのが事実である。
そして、精神病の原因が分からなかったので、家族たちも狂った血筋として、差別を受けてきたのが事実である。

  前近代の精神病患者の収容先は、宗教的な施設だったという。
密教系寺院では加持祈祷のほか、水をもちいた治療が行われた。
こうした施設は、山間部と平地の境界に位置しており、1886年当時、わが国には29ヶ所の精神病者治療施設があったという。
しかし、わが国には、治安維持を目的とした拘禁施設が、精神病院を兼ねたものはなかった。
本書は、近代編と銘打ってあり、前著の「精神病院の起源」をうけて、近代以降を記述したものである。
前半ではわが国を、後半では諸外国を渉猟している。

 江戸幕府瓦解から明治の近代化に至る過程は、ヨーロッパにお ける産業革命期と同様に、きわめて大きな社会的変動をもたらした。それは単なる産業構造の変動にとどまら ず、既存の価値観の根底的破壊、脱宗教化、急速な都市化に伴う農村共同体的社会の解体、家族構造の変化、高学 歴化など、人間の精神的あり方に対する根本的な変革を強要するものであった。そうした社会変動は同時に多数の 不適応者を生み出し、それに伴って精神病(広義の精神疾患)も急増したであろうことは容易に推測できる。P34

 1900年に、わが国最初の精神病院にかんする律「精神病者監護法」ができる。
しかし、この法律は当時の価値観を反映したもので、すこぶる評判が悪かった。

  この精神病者監護法は、後世の精神科医がこぞって批判するような「悪 法」であった。その最大の理由は、江戸期以来「入檻」といわれ、各家庭がいわば自己責任に おいて処遇してきた精神病者の私宅監置(いわゆる座敷牢)を法的に是認し、それによって再び国家や自 治体などの公の側からの処遇を棚上げにした点である。P46

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 急速な近代化を迫られたわが国では、精神疾患にたいしても充分な認識を持っていなかったのは当然であろう。
アジールとしての施設の消滅が、精神病院誕生のきっかけではあるが、それは徐々に進行した。
わが国の場合、明治維新以降、80年近くもかかったのである。

  1945年の敗戦により、日本は事実上アメリカの軍政下におかれ、医療行政も全面的にアメリカの主導のもとで 変革を余儀なくされた。精神医療における最大の変革は、明治以来の精神病者監護法に代わって「精神衛生法」(1950) が制定されたことである。これによって、長い「伝統」をほこった私宅監置制度は非合法化され、座敷牢は廃止さ れることになった。それによって生じた切実な問題は、座敷牢から解放された多数の患者の収容先、すなわ ち精神病院の圧倒的不足という事態にほかならなかった。P77
 
 現在でも、わが国の精神病対策は問題が多い。
本人の治療・社会復帰をめざすのではなく、
措置入院といった強制的な入院制度によって、患者の人権がそこなわれてきた。

 1988年には「精神保健法」が制定されたが、
1985年当時の精神病床数は、全国で33万ベッドもあった。
国民360人に1ベッドであり、先進国では群を抜いて多い。
また、平均在医院日数も540日で、
欧米の14〜20日とは比較にならないくらいに長い。
こうした事実は、刑務所での処遇と並んで、わが国の人権状況を示すものであろう。

 最後に筆者は、精神病にかんして考察している。 精神病者に対して、あるときは隔離・拘束という処遇を行ない、またあるときは逆に庇護・治療という処遇を行なってきた。
精神病者に対するこの基本的な処遇方針は、今日でも原則的には何ら変化していない。

 いずれにせよ、精神病現象のもつ非合理性、非日常性の本質は、はじめから宗教の対象に含まれていたといえる。
もちろん、精神病に限らず一般の疾病すべてが、元来は不可解・非合理の現象と考えられていたわけで、
そうした問題への対処、解決はことごとく宗教に委ねられていたといってもよい。
言葉を変えれば、今日の医学・医療に相当する領域は、
もともと宗教の守備範囲の中に含まれていたといえる。

  精神病院とは、日常と非日常の交差するものであり、
一種の境界性をおびたものである。
だから、精神病院が設けられるのも、交易地や墓と同様に特定の境界性をもった場所になりやすい、という。
そして、場所という空間性ばかりではなく、時代という時間性においても、時代の転機にあらわれるのだ、と筆者はいう。

 鎖や拘束衣から解放された近代の精神病院だが、
情報社会化すると精神を病む人が増えるのは自明である。
今後ますます精神病関係には、充分な考察が要求されてくるだろう。
フーコーなどと違って、実証的な資料をもとにした論述で、本書は大変参考になった。
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参考:
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
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ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
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松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
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佐藤早苗「アルツハイマーを知るために」新潮文庫 2007年
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正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
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御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
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アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
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三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
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フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
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ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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