匠雅音の家族についてのブックレビュー     「心の専門家」はいらない|小沢牧子

「心の専門家」はいらない お奨度:

著者:小沢牧子(おざわ まきこ)  洋泉社、2002年     ¥700−

著者の略歴−1937年北海道生まれ。臨床心理学論、子ども・家族論専攻。いくつかの教育相談や職場を経たのち、和光大学、千葉県立衛生短期大学、文化学院専攻科の非常勤講師として、臨床心理学、教育心理学、家族論などを講じ、また国民教育文化総合研究所研究委員をつとめた。現在フリーの研究・著述業。日本社会臨床学会運営委員。おもな著書に『心理学は子どもの味方か?』古今社、『子どもの権利・親の権利』日外アソシエーツ、『子ども差別の社会』労働経済社、『自分らしく生きる』小峰書店、『子ども発、大人へ』ウイ書房、共著に『カウンセリンク・幻想と現実』『心理治療を問う』以上現代書館、『学校カウンセリングと心哩テストを問う』『人間・臨床・社会』以上影書房、『女たちの教育改革』国土社、『母性』(岩波書店)などがある。

 「意識改革」「トラウマ」「心の傷」などの言葉には、何となく胡散臭さを感じていた。
筆者もその1人だったらしく、心だけをとりだして論じたり、身体から心だけを切り離して扱う風潮に、本書で警鐘を鳴らしている。
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 近代になり、人間の内心を支えていた神が死んだ。
神を殺したと言っても良い。
個人が個人として、何にも頼らずに自立することを、社会から迫られた。
大人はそれでも良い。
すでに自我が完成しているから、なんとかやっていける。
しかし、子供は困った。
何を手がかりに、自己を形成すればいいか判らなくなった。
同様に、自立を始めた女性たちも、自立の手がかりを探していた。

 女性の社会進出とは、男性が作った近代社会に入ることである。
近代になって庶民階級の男性が、前近代の男性つまり支配者がつくった男性社会に参入したように、新たにやってきた人間はすでにある社会へと参入する。
新参者は、自分の社会を作るのではない。
しかし、当該社会には当該社会の仕組みができている。
新参者は、その仕組みを無視するわけにはいかないが、それに完全に適合するわけにもいかない。

 新参者は成功する確率が低い。
うまくいかない理由をどこかに求めたかった。
それがトラウマだった。
男性社会が情報社会化するに従って、旧来の仕組みだけでは機能しなくなった。
適合できないと感じる人間が、たくさん登場し始めた。
近代は細分化の時代である。
モノと観念が離れたように、心と身体を切り離したので、女性が自立できたのだ。
とすれば身体から心だけを切り離して、心だけを取り扱う流れは、残念ながら必然である。

 情報社会は露わな支配をしない。
柔らかくしかし確実に、人間を管理する。
それが情報社会の支配である。
心の専門家=カウンセラーは、支配者に代わって登場する体制からの管理者である。

 カウンセラーの「受容」や「語られる言葉の再陳述」そして「感情の明確化」などの手法は、クライエントが「問題」を全体状況から切り離し、自分の内面の問題としてとらえなおすことを促す。受容的に感情を明確化する行為は、相手にある種の効果を生みだす。その効果とは、「自分は受け入れられている」と感じながら「自分の感情に目を向け考える」態度を生みだすことである。その先に、怒っている相手や状況の問題を後退させて、自己反省的に「問題」を引き受けていく道が用意されている。そして「問題」の原因が他のところではなく自分の内部に属しているのだとどれだけ自覚されているかで、カウンセリングの成功度が計られていく。P76

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 心の専門家は、社会のなかで悩む人間を、社会状況から切り離し、個人の問題へと置き換える。
悩んでいるのは、さぞ大変でしょう。
他の人たちは上手くいっているのに、辛いでしょうと言う。
善意にあふれた心の専門家は、個人の内面を問題にする。
カウンセリングによって、悩みが解決したかのような気持ちにさせてくれる。
しかし、状況はまったく変わっていない。
変わったのは感じ方だけだったというわけだ。

 心的外傷後ストレス障害と訳されるPTSDは、ベトナム戦争帰還兵の心的後遺症として認識され始めた。
同じ頃、女性運動が高まり、「レイプ・トラウマ」が問題視され始めた。
被害を受けた女性たちは共通の精神状態に悩まされたことから、その解消にPTSDが適用され始めた。
しかし、筆者は次のように言う。

 PTSDは、極度に衝撃的な場面に遭遇することによって発症すると理解されている。しかしじつは、衛撃的体験をしたあとの「人間の関係」に問題があって、それが症状を強める場合が多いのではないかと、わたしには思えてならない。そのことはあまり論じられていないと思う。(中略)周囲の人びとの対応や関係のありようを抜きにして「発端の衝撃的できごと」のみを取り沙汰すれば、症状は個人のなかに閉じ込められ、周囲の不適切な対応は問題のそとに括りだされてしまう。そのときPTSDという診断名は、本人の周囲の人びとを免罪する機能を果たすことになる。そこに医療による「心のケア」が加われば、本人は「不運なできごとに遭遇した気の毒な人」としてカプセルに入れられるようにして、関係から切り離されていくのである。診断名がもたらす隔離である。P174

 筆者は社会の歪みを、個人へと還元してしまう「心の専門家」を拒否している。
スクール・カウンセラーは、結果として学校秩序を維持する働きをもち、状況がもたらす矛盾を隠蔽している、と批判する。
心のもちようを変えただけで、気分は楽になるかもしれないが、現実は何も変わっていない。
そのとおりだと思う。
しかし、共同体的なつながりが残る我が国でも、個人化は避けられない流れである。
情報社会化しなければ、もはや現在の生活すら維持できない。

 工業社会まで、宗教は阿片だと言われた。
情報社会では、心の専門家が神父に代わって、阿片をばらまいている。
宗教が思考の停止だったように、カウンセリングも根元的な思考をさせないのだ。
神との契約がない我が国で、情報社会がすすむことは非常に恐ろしいことだ。
それにも同意するが、情報社会化が避けられないものであれば、地域共同体や古き良き家族へ戻るのは、解決にはならないだろう。
筆者の信条を是としたうえで、筆者とは違う方向で、今後の対応を考えていきたい。
 (2003.7.18)
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参考:
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高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
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石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
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信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
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シェア・ハイト「なぜ女は出世できないか」東洋経済新報社、2001
プッシイー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002


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