匠雅音の家族についてのブックレビュー    性病の世界史−王様も文豪もみな苦しんだ|ビルギット・アダム

性病の世界史
王様も文豪もみな苦しんだ
お奨度:

著者:ビルギット・アダム   草思社 2003年  ¥1800−

著者の略歴−1971年南ドイツのバイエルン生まれ。アウグスブルク大学およびスコットランドのエジンバラ大学で英文学とコミュニケーション論を学ぶ。現在は作家、翻訳家、英語教師として活躍中。「女の1人旅」が人生最高の楽しみで、お金が入ると世界中を気ままに渡り歩いている。はじめてのアジア旅行で訪れたタイで深刻なエイズ禍を目撃したことが本書執筆の強い動機となった。
 現在では、性病はすっかり忘れ去られた。
戦前は、いや戦後になっても、性病は身近で、しかも恐ろしい病気だった。
我が国でも小林秀雄をはじめ、著名人たちも性病に冒されて苦しんだのである。
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 本書は、梅毒患者のリストとして、大勢の有名人をあげる。
ボードレールは周知だとしても、ベートーベン、ハイネ、モーパッサン、モネ、ニーチェなどなど、錚々たるメンバーである。
もちろん王様もカソリックの法王も例外ではない。
フランスのフランソアT、イギリスのヘンリー[は梅毒、そして、太陽王のルイ14世は淋病を患っていた。
ローマ法王の14レオUやアレクサンデルYは梅毒患者だった。

 性病は大昔からあった。
聖書にも性病の話は出てくるし、ギリシャやローマでも性病がはびこっていた。
近代以前は、禁欲的な核家族ではなかったし、セックスがタブーになっておらず、多くの人が比較的自由にセックスを楽しんでいた。
また、性病がセックスによって感染すると知られていなかったので、性病に罹患してもセックスを禁止することはなかった。

 前近代は人口の移動が少なく、大規模な性病の流行はほとんどなかった。
しかし、時代が下るにしたがって、人口の移動が激しくなって、梅毒が広範囲に広がっていく。
とりわけ、中世の浴場が、フリー・セックスの場を提供したので、性病も蔓延し始めた、と本書はいう。
そして、性病を広めたのは娼婦の存在もあったが、それだけではない。

 市営もしくは教会経営の娼家につとめる娼婦たちが商売敵としてうらんでいたのは、女中、ウェイトレス、湯女といったあくまで副業として売春をしていたいわゆる私娼たちだけではなかった。それとは別におそるべきライバルがいて、彼女らの大事なお客をさらっていた。当時は女子修道院までもが、娼家に負けず劣らずの乱痴気騒ぎを繰り広げることがあったのである。P37

 市営の娼家だって! 
教会経営の娼家だって! 
それだけではない、女子修道院が売春の巣窟だったのだ。
つまり、中世ではセックスを大いに楽しみ、公権力や教会がそれを公認していた。
本書は、教会経営の娼家が大きな利益を上げたから、システィーナ礼拝堂が完成したとさえ言う。
教会が売春を公認していたのだから、修道女たちもセックスで稼ぐことに精を出したのだ。

 近代に入って、禁欲的な核家族をもったブルジョワジーが誕生した。
そして、ブルジョワジーという裕福な市民と、貧乏な労働者にわかれた。
性病が不潔な労働者だけを襲ったのなら、各国の政府も重要視しなかっただろう。
しかし、禁欲的な核家族は、性の二重規範をもっていたので、婚外のセックスつまり売春をますます増大させた。
性病は裕福な市民たちをも容赦しなかった。
売春婦と遊んだ男性が、性病を家庭に持ち帰り、妻である女性にうつした。

 貧乏な労働者たちは、過酷な労働にかりたたれ、セックスが最大の娯楽となった。
19世紀のベルリンでは、未婚の男女が、狭い部屋にすし詰め状態で暮らしていた。

 19世紀の後半になると、性病患者の数は飛躍的に上昇した。その最大の原因は、これまでとちがっていまや安い金で自分の体を売る娘婦の数が急増したためである。医師のアルフレート・ブラシュコは、売春こそが「社会の性病汚染」の元凶であると断定している。つまりこれまでブルジョアの道徳観をおびやかす1分子にすぎなかったものが、いつのまにか国民全体の肉体と生命を危機にさらす巨大な化け物になってしまったのである。P128

 売春はどんな時代にもあった。
しかし、19世紀になると、強固な一夫一婦制が浸透し、核家族化がすすんだ。
それでいながら、性の二重規範が強まったので、男性は買春に走り、女性は性的に無知なままにおかれた。
そのため、売春は以前にもまして隆盛を極めた。
そこで、性病撲滅のため、とうとう国家の出動になったのである。

 梅毒にしろ、淋病にしろ、病原菌が特定できた。
それに抗生物質が発明され、治療が可能になった。
性病を放置すると、国家が弱体化する。
とりわけ兵士の性病は大問題だった。
そこで、大きな予算を投じて、予防と治療がすすめられた。
その成果は、徐々に表れた。
そして、今では性病は不治の病でもなければ、恐ろしい病気ではなくなった。
性病も人の口に上らなくなった。

 現代の性病は、HIVであろう。
男性の同性愛者だけの病気だった時代には、HIVも冷たい目で見られた。
しかし、今では誰でもが罹患する病気であることが判って、その撲滅が世界中ですすめられている。
おおらかなセックスを否定し、密室での恥ずべき行為とした近代は、そのつけを支払わされている。
  (2009.5.2)
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参考:
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005
榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973
ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994
ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002
松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002
熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001
正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974
北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997
アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004
御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

赤松啓介「非常民の民俗文化」ちくま学芸文庫、2006
黒岩涙香「畜妾の実例」社会思想社、1992
酒井順子「少子」講談社文庫、2003
木下太志、浜野潔編著「人類史のなかの人口と家族」晃洋書房、2003
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
P・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき」草思社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
中山二基子「「老い」に備える」文春文庫 2008
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991

ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999

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清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009

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