匠雅音の家族についてのブックレビュー    闇からの目覚め−虐待の連鎖を断つ|アリス・ミラー

闇からの目覚め
虐待の連鎖を断つ
お奨度:

著者:アリス・ミラー  新曜社、2004年  ¥2000

 著者の略歴−1923年ポーランド生れ。1946年スイスに移住。哲学の学位取得後、精神分析家の養成を受け資格を取得。約 20年間精神分析の療法と分析家の養成に携わる。1979〜81年にかけて『才能ある子のドラマ』『魂の殺人』『禁じられた知』 の三部作を刊行、世界的ベストセラーとなる。1988年精神分析と決別し、以後は著述活動に専念。近年はカナダのグ ループと協力して子ども虐待防止を訴えている。著書はほかに『沈黙の壁を打ち砕く』『子ども時代の扉をひらく』『真実をとく鍵』(いずれも山下公子訳,新曜社刊)など。
 トラウマ理論をあつかったジュディス・ハーマンの「心的外傷と回復」と、まったく同じ読後感である。
本書もフェミニズムの影響下にあり、指し示す方向性は時代のすすむ方向にある。
本書の方向性は正しいが、本書は論理的には誤りだろう。
ジュディス・ハーマンがたちまち神通力を失ったように、この筆者の隆盛も一時的なものだろう。
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 躾と称する子供への暴力が、子供を硬直させ、成人後の精神に禍根を残す。
殴られて育った子供は、自分の尊厳も感じなければ、身体的な痛みを危険として感じることもできなくなる、と本書は言う。
この発言には賛成する。
体罰は、抑圧と恐怖心を植え付け、子供の可能性を伸ばさない。
それは事実だと思う。
情報社会の子育てには、躾と称する子供への折檻は、絶対にするべきではない。

 情報社会の子育ては、子供の可能性を育むことだ。
だから、子供のなかに埋め込まれているものを、いかに引き出すかにかかっている。
とすれば、叱る教育より、ほめる教育こそ望まれる。
人間は叱られるより、褒められたほうが、いい気分になる。
褒めることによって、可能性は大きく広がる。

 しかし農耕社会では、子供の存在意義は違った。
子供はまず労働力であり、大人の老後を保障する福祉制度だった。
だから、子供は大人の跡継ぎでなければならなかった。
農耕社会では、子供に独創性など求めてはいない。
農業が繰り返しの産業とすれば、独創性は不要であり、繰り返しに耐える精神が涵養された。
そうしなければ全員が生きていけなかったのである。
 
 「闇教育」という言葉で私が考えているのは、次のような狙いをもって行われる教育のことです。
 子どもの意志を挫き、公然と、あるいは一見それとわからないように、力を振るい、操り、脅迫して、子どもを従順な臣下にしてしまう。P1


と言って筆者は、闇教育を否定する。
しかし、長かった農耕時代では、子供は従順な臣下である必要があった。
先人の教えを、黙って繰り返すことが必要だった。
空想的な生き方を選んだら、農耕社会は立ち行かない。
だから、親たちは愛情をもって、子供を鋳型にはめ込んだのである。
しかも、子供はたくさん生まれたので、今ほど大切にする必要もなかった。 

 本書がいうように、子供への折檻には当サイトも反対するが、それは情報社会の子育てにおいてである。
現在でも、農耕社会に生きる人々は、子供を折檻する。
それが農耕社会の正しい子育てである。
だから、子供時代の折檻が人間の生き方を、全面的に決めるというのには賛成できない。

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 イザベルの父親は大変成功した皮膚科医でしたが、この父親によってイザベルは、生まれて間もない頃から肉体を性的に悪用されていたのでした。そのような目に遭った幼いイザベルは、誰にも全く自分の感情を打ち明けることができず、しばしば腹痛や便秘に苦しむようになりました。この症状に対する父親の応答は浣腸の繰り返しで、イザベルにはひどくつらいものでした。(中略)イザベルの父親は娘を物扱いし、その物によって自分の性欲を満足させたのですが、その際、自分の行動が娘の一生にどのような影響を与えるか、などということには、全く考慮を払いませんでした。P32

 生まれて間もない頃から肉体を性的に悪用するとは、一体どういった行為を意味するのだろうか。
ゼロ歳児の肉体を、性的に利用することが可能だろうか。
思春期の女の子に対してならいざ知らず、幼児だったイザベルを、父親がマスターベーションの道具にした、という後の記述も信じがたい。
筆者は父親の行為を具体的には書かずに、ただ性的に利用したと言うだけである。

 浣腸を子供への折檻だと見なし、性的ないたずらだという見方には、賛成できない。
便秘の幼児に対して浣腸することは、子供の整腸作用を高めるはずで、薬を服用するより有効な対処療法だろう。
幼児への浣腸は、当時の治療だった。
肉体に関することを、すべて性的な意味に結びつけるのは、何か別の意図があるとしか思えない。

 幼児を性的な対象にするというのは、フェミニズムが好んで取り上げるが、愛情表現をどう考えるかと紙一重である。
母親が子供の小さな男性器を、引っ張ったりすることはあるだろう。
また勃起した小さな男性器に、母親が口づけするのを見たことがある。
彼女は愛情を込めて、赤ちゃんの性器に口づけしていた。

 それは成人男性器への口づけと同様に、明らかに性的な行為であり、母親自身には多少の性的な関心があるはずである。
しかし、子供へのそれは性的ないたずらではあっても、一種の愛情表現であり性的虐待ではない。
子供時代に、母親から男性器をさわられたから、成人後の人格が歪むということはない。

 フェミニズム系の女性たちは、性的な世界を特別視する。
父親が小さな女の子を膝の上にのせることすら、男性器が子供の臀部に当たるといって、性的な目で見ようとする。
第2次性徴が始まるまでは、子供に性への関心は薄い。
性は人間の重要な部分ではあるが、あくまで一部である。
父親の膝の上で、子供は性的な意味より、父親の愛情を感じるだろう。

 子供時代の性的虐待を、訴訟にまで持ち出して、親子関係をズタズタにしたのも、本書と同類のトラウマ理論だった。
成人間の性交でさえ、肯定的になされるものと、否定的になされるものがある。
また肯定的な性交も、後日になって否定的な評価に変わることもある。
一つの事実や行動ですら、さまざまな解釈が可能であり、性的な行為を全否定的に見るのは、ゆがんだ認識論である。
 
 私たちの身体は私たちのたどった歴史を完全に知っており、にもかかわらずその身体に宿っている精神は私たちを絶対的に支配し指図しようとする。P52

といった単線的・教条的な認識は、人間の理解には害こそあれ、利益はまったくない。
しかも本書が取り上げるのは、いまだ記憶にない乳幼児の時のものだ。
記憶にある時代でさえ、好悪相半ばする。
ましてや記憶にない時代の体験が、その人の性格を決定するといった理論は承伏しがたい。
こうした決定論は、むしろ人格の柔軟性を否定し、フェミニズムに敵対するものだ。

 子供を暴力的に折檻しない、と言うのにはまったく賛成する。
しかし、子供時代の体験が、成人後の性格を決定するといった論理は、まったく根拠がない。
ましてや性的な分野を特別視して、性的虐待をあげつらうのは、極めて偏った人間認識である。
幼児虐待が巷間で問題になっているので、本書は一時的な話題を集めるだろうが、
論理において破綻している。    (2005.01.03)
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参考:
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G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
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J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
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黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
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ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
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斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
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山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
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瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
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川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
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ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
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林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
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塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
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瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
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小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
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広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
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塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005


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