匠雅音の家族についてのブックレビュー    子どもを迎える人の本−「養親」のための手引き|ロイス・R・メリーナ

子どもを迎える人の本
「養親」のための手引き
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著者:ロイス・R・メリーナ  どうぶつ社 2007(2005)年 ¥2、651−

著者の略歴−
 家制度が確立していた江戸時代、家だけが生産組織だった。
結婚しても別の家に属し直すだけ。
誰もが家に属さないと、生きていけなかった。
家の断絶は絶対に防がなければならないため、跡取りがいなければ養子をとった。
しかし、工業社会になり、サラリーマンの家は生産組織ではなくなった。
ここで養子をとる必要性がなくなった。
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 サラリーマンの家は核家族である。
ここでは継がすべき財産などない。
そこで、養子は不要になった。
そのうえ、男性の血縁を保つために、終生の1夫1婦制が広がっていった。
男性と血縁のない子供は、サラリーマン家庭には不要になったのだ。
ますます養子はいなくなり、親を失った子供は行き場がなくなった。
近代の戸籍制度が養子を排除したのである。

 我が国では、親のいない子供や、親から養育を受けることのできない子供は、その90%が施設で育つ。
我が国では芸能人や政治家が、養子をとる話はとんと聞かない。
しかし、先進国では、ほとんどの子供が養子なって、養親の家庭で育つ。
最近、アンジェリーナ・ジョリーが養子をとった話は、周知であろう。

 本書は1986年に、先進国なかでもアメリカで、養子を迎えようとした人たちのために書かれたものである。
それが6年後になって、翻訳された。
最近では、我が国でも養子縁組の制度が整いつつあるが、近親者を跡継ぎに迎える例はあっても、他人の子供を迎える養子はまだ少ない。
 
 養子縁組家族には体験的に分かっていることですが、幸いにもこの点における研究発表がなされ、現在では血縁であろうと養子縁組であろうと同質の愛情が育まれることが証明されています。ある研究グループが、同じ人種の血縁がある親子と養親と養子の親子関係を比較調査したところ、母親と乳幼児期の子どもとの愛情の形成過程が同じであることが見出されたのです。その上、同一人種間と異人種間の養子縁組の場合でも、愛情形成に差異はないことが発見されています。P50

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 かつては小糠三合あれば、養子にいくなといわれていたが、それは跡継ぎとして苦労するからだった。
現在の養子縁組みは、養親が子育てを楽しむためと、子供の心の平和のためにおこなわれる。
そのため、実子と養子の違いに拘っているが、上記のような結果だという。

 2009年4月には、母親に代理出産してもらった娘夫婦が、子供と特別養子縁組したという事件があった。
血縁の子供を求める涙ぐましい行動だが、なぜこんなに血縁に拘るのだろうか。
これでは血縁のない養子は、ますます日陰に追いやられていく。
 
 アメリカでは、養子の対象になる子供は激減しているので、養親たちは何年も待たされるという。
2003年に「カーサ エスペランサ」という映画があったように、外国から養子を迎えようとしても、なお待たされるようだ。

 かつてアメリカでも、養子は差別の対象になり、養子である事実は隠された。

 アメリカでは従来、縁組の記録は極秘資料として扱われ、養子が過去の記録を追跡しようとしても実質的に不可能に近い現実がありました。しかし、最近ではそのような記録は開示される方向に向かっており、産みの親との接触や、定期的に、養子、養親、そして産みの親が会うといったことも見聞きするようになりました。産みの親との出会いが前もって計画されたケースもあれば、ある日突然に、といった場合もあります。P185

 我が国の特別養子では、血縁の親との関係が切れてしまうのに対して、アメリカでは出自を捜すことは、本人の基本的人権だと考える。
だから、出自が辿れるようになりつつあるという。

 養子には問題が多い。
少女から生まれた。
血縁の親が犯罪者だ。
近親相姦によって生まれた。
HIVの親から生まれた。
子供が虐待を受けてきた。
子供が血縁の親探しにでて、養親が捨てられるのではないか。
予測できない問題を抱えている。
にもかかわらず、大人たちは養子を迎える。

 今では独身でも養子を迎えられるし、ゲイの親でも養子を迎えることができる。
先進国では、実子と養子の差別は、どんどん減っている。
しかし、我が国では養子差別は残ったままだ。
嫡出児と非嫡出児が差別されているのだ。
やはり戸籍制度が、子供差別のガンだろう。
我が国でも、血縁幻想がなくなって、養子が差別されないことを切に望む。
  (2009.4.29)
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参考:
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
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黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
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ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
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エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
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ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
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赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
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本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
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塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
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イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
芹沢俊介「母という暴力」春秋社、2001
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991


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