匠雅音の家族についてのブックレビュー    少年犯罪−ほんとうに多発化・凶悪化しているのか|鮎川潤

少年犯罪
 ほんとうに多発化・凶悪化しているのか
お奨度:

著者:鮎川潤(あゆかわ じゅん)−平凡社新書、2001 ¥660−

著者の略歴−1952年名古屋市生まれ。東京大学卒業。大阪大学大学院修士課程修了。スウェーデン国立犯罪防止委員会客員研究員、南イリノイ大学フルブライト研究員を経て、現在、金城学院大学現代文化学部教授。専攻は犯罪学、逸脱行動論、社会問題研究。おもな著書に「少年非行の社会学」(世界思想社)、「犯罪学入門−殺人・賄賂・非行」(講談社現代新書)がある。
 凶悪な事件がおきると、誰しも不安にある。
とりわけそれが想像もしなかった場合は、混乱に陥り世間の声に流されやすい。
世間の声は、誰かによって操作されていることはないだろうか。
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 少年と呼ばれる人たちによって起こされる事件が増えたといわれる。
とりわけ14才の少年がおこした神戸の事件は衝撃的だった。
こうした事件が起きると決まって、犯罪の低年齢化とか、少年犯罪の凶悪化といったキャンペーンが続く。
マスコミに表れる風潮は、もちろん警察の発表にもとづいている。

 わが国のマスコミは各官庁に記者クラブをもっており、
警察とはいわば持ちつ持たれつの関係にある。
彼らが独自の価値観に基づいて報道しているとは思えない。
最近、その例外として長野県が、記者クラブを廃止したニュースが伝えられた。
これでマスコミはどうなるのだろうか。
独自の視点を持って欲しいものだ。

 本書はきわめて冷静に、少年犯罪の内実を見る。

 警察庁の研究所に勤務する研究者には、警察統計は企業であれば 営業成績の報告書のようなものであるといいきる人もいる。警察が作 成する統計には認知件数と検挙件数が記されており、とりわけ後者を 指している。こうしたさめたみかたをする専門家と、年末あるいは半年 ごとに、あるいは毎年『警察白書』や『犯罪自書』の発行に合わせて統 計が報道される際に、少年の検挙人員の数を何か客観的に少年たちの 動向を示すものとして、あるいは犯罪行為を遂行した少年の実数である かのごとくに報道するマスメディアとの間には大きな落差があるように 思われる。P29

統計はその基準の設定次第で大きく変わる。

 従来、検察庁は被害者のみの証言によっては公訴を提起することはなかった。しかしドメスティック・バイオレンス、セクシヤル・ハラスメントなど女性に対して被害をおよぼす暴力や性的逸脱行動に対して強い制裁を求めるクレイムの高まりに応じて、検察庁が方針を変更したために、厳しい対応がとられるようになった。
 このように世論あるいはそれに支えられたキャンペーンによって逸脱行為に対する取締りが強化され、より重い刑罰の定められた法律が適用されて厳しく処罰されるということは起こりうるし、実際に起こっているのである。P38

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 過激派学生たちを完全に封じ込めた体制側は、
女性と少年への問題を梃子にして、ファッシズムへの道を踏みだしたと言っても良いだろう。
世論が要求するから警察はそれに応えるのだ。
それが近代的なスマートなやり方で、もはや戦前型の暴力的な取締りはない。
しかし、そこには反対する自由はなく、真綿で首を絞められるように、人間の自由は窒息させられていく。
個人の自由こそ、何としても確立しなければならないが、地獄への道は善意に先導されているのか。
 
 工業社会から情報社会化への転化がもたらしたものは、
性別による役割分担の否定と年齢秩序の崩壊である。
前者が女性の声に後押しされ、後者が少年犯罪への危惧に対応している。
いずれも、初めて体験することへの恐怖にもとづき、大衆が要求している規制である。
本書の筆者は次のように言う。

 戦後少年法が定められた当時の少年たちは貧しさゆえに犯罪を行っていたのであり、それは生活のための犯罪であった。(中略)しかし当時の状況を直接に観察していた家庭裁判所判事は、当時としても生活するための食料とはいえないサイダーを飲むために強盗致傷をはたらいた少年を「ありふれた例」として描いている。少年院に勤務する犯罪精神医学者である樋口は、たとえ食料が狙われたとしても、それは現金に換えやすいからであり、換金したのちに遊興費あるいは小遣いとして使われるとしている。さらに「スリル」を求めて行ういわば「遊び型」犯罪さえ少年たちによって行われていると述べる。P125

 昭和38年までは「上流」「中流」「下流」「極貧」が選択肢であったのが、昭和39年には「富裕」「普通」「貧困」「被保護」と分類項目が変化した。そのため、従来であれば「下流」に○が付けられたものが、新分類では「貧困」とまではいかないため「普通」に○が付けられたことによると推定されるのである。P135

 20世紀最後の10年。日本における少年による殺人事件の検挙人員は増加しなかった。
 先に述べたように、1960年ころに年間400件を数えたが、1970年に200件となり、1975年以降約100件で推移している。とりわけ少年非行が戦後最悪といわれた第三のピークの昭和58年(1983)は、検挙人員は50人で戦後最低であった。P156

 情報社会化すれば、肉体から頭脳へと社会の価値が移る。
それに伴って犯罪も、肉体型から頭脳型へと移るのは自明である。
殺人事件は減っている。
にもかかわらず、数少ない例外的な事件を、とりわけ猟奇的に扱って、社会不安を増大させているのはマスコミである。

 少年法の改正はすべきではなく、<子供の権利条約>にしたがって、少年にはより一層の教育刑でのぞむべきである。
産湯と一緒に、赤ちゃんまで捨ててはいけない。
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参考:
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006
足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005
三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003
浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005
山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005
佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001
管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007
浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004
藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001
ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008
小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001
芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987
D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004
河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004

河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
H・J・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう:フロイト帝国の衰退と没落」批評社、1988
櫻田淳「『弱者救済』の幻影:福祉に構造改革を」春秋社、2002

ジョルジュ・ヴィガレロ「強姦の歴史」作品社、1999
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年



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