著者の略歴−1932年東京生まれ。京都大学理学部数学科、大阪大学大学院経済学研究所を経て、フルブライト留学生としてアメリカに渡る。ミシガン大学大学院で計量経済学、ハーバード大学大学院で心理学と社会学、マサチユーセッツ工科大学大学院で理論経済学を学ぶ。帰国後、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程を修了。東京」大学法学博士。著書多数。1980年に発表した「ソビエト帝国の崩壊」において、ソ連崩壊を10年以上も前に的確に予言したことは有名。近著に「資本主義のための革新」「日本人のための宗教原論」など。 法学としての憲法学は、支配体制の辻褄をあわせるものでしかないが、政治学は体制を批判することもある。 「痛快!憲法学」と題されているが、本書は政治学の本である。 そのためか、現在の日本国憲法の条文は、ほとんど登場しない。 本書には、政治学特有の偏見と独断の浪花節が横溢している。 しかし、だからといって、本書が読むに値しないというと、そんなことは決してない。
本書は、近代の成り立ちを歴史に遡って、克明にときおこそうとする。 近代西洋社会が誕生してきた歴史のなかでこそ、近代憲法も民主主義も誕生したのは事実である。 が、この歴史の解釈には、大いに価値判断が混じるところでもある。 近代の理解には、西欧社会とキリスト教の理解が不可欠であるには賛成するが、はたして筆者の論にそのまま賛成して良いのだろうか。 本書の展開が正しく見えるだけに、いささかの躊躇がおきるのも事実である。 確かにヒトラーの登場において、平和主義が戦争を招いたのも事実だろう。 カンボジアのキリング・フィールドを許したのも、西洋諸国の平和主義だろう。 しかし、だからといって、戦争主義が肯定されるかといえば、そんなことはないとしか言いようがない。 私もかつて政治学を専門とした人間である。 だから、筆者の主張と基本的なところで同じセンスを共有している、と認めざるを得ない。 また、人権に関する歴史的な認識など、同じ立場に立っていることも認めざるを得ない。 しかし、本書の歴史認識から、将来への視線が生まれないように思う。 パトニーの論争を引用しながら、筆者は次のようにいう。 「イングランドで生まれたすべての人間に選挙権を」という水平派の主張に対して、クロムウェル派の代表者アイアトン将軍は「万人に共通する権利など、あるはずがない。財産をもっていない人間が、国政に口出しすべきではない」と猛反対した。P82 かつては支配者だけが人間で、それ以外は人間という概念に入っていなかった。 人類の歴史は、人間なる概念の拡大だったことは、常識といえば常識だが、近代に入ることは革命だった。 だからこそ、近代が獲得したものが、近代人にとって偉大なのである。 しかし、歴史を振りかえれば、近代だけが人間の生きた社会ではない。 いや21世紀の現代でさえ、地球上では近代の精神を、体現した社会のほうが少ないだろう。 近代とは資本主義の別名であり、イスラム諸国はいまだに前近代にいるといっても良い。 そして、カトリックの支配する南米も、未だ前近代にあると言っても過言ではない。 あらためて言うまでもありませんが、18世紀においてアメリカのような国家は1つもありません。市民の権利が生まれながらにして平等で、誰もが自由であるとされる社会は、地球上のどこにもなかった。アメリカは紛れもなく世界最初の民主主義国家であり、それ以外の何ものでもありません。P145
民主主義は血に塗られたものである。 現在でも力によって自由を維持することにおいては、まったく変わっていない。 リヴァイアサンたる国家から、いかに個人の人権を守るかが、憲法に課せられた役目だというのも、まったくそのとおりである。 本書で驚いたことが一つある。 このサイトでは、近代化のエートスとして、西ヨーロッパではプロテスタントであり、わが国にあっては天皇制だと言ってきたが、筆者も同じことを言っている。 こんな破天荒なことを考え、しかも実行に移したのは世界でも日本がただ1国。このおかげで、日本は非白人国家で最初のデモクラシー国家に変貌できた。 そのアイデアとは何か。それは国家元首たる天皇を、日本人にとって唯一絶対の神にすること。天皇をキリスト教の神と同じようにするというアイデアです。 すなわち「神の前の平等」ならぬ、「天皇の前の平等」です。現八神である天皇から見れば、すべての日本人は平等である。この観念を普及させることによって、日本人に近代精神を植え付けようと考えた。 この試みは大変な成功を収めました。戦前の日本人は、自分たちを「天皇の赤子」と考えた。つまり日本人はみな天皇の子どもであって、天皇から見れば「一視同仁」、みな平等であると信じることができた。 この確信があって初めて、日本に資本主義が生まれてくるようになった。P214 本サイトが主張している歴史認識と、同じだったことには、ほんとうに驚いた。 天皇制とプロテスタンティズムを、同列に論じている著作を初めて読んだ。 もっとも本書が言っているのは、ここまでである。 そして、疑問に思うのは、天皇制が近代化のエートスだったとしても、それを意識的にやったとは思えない。 だから、上記のように言うのはちょっと無理がある気もする。 しかし、他には天皇制を近代化のエートスだと言っている人はいないので、慧眼と言っていいだろう。 もっとも筆者は、東・東南アジアの近代化のエートスが開発独裁だ、とは言っていない。 マックス・ヴエーバーの名前が、本書にもしばしば登場するが、その理解において本サイトの方が現実的かと、ささやかな自信をもたらしてくれた。 日本人の全員が戦争を賛美し、心から戦争に賛成したのだという発言は、吉本隆明氏の労作がある今では、まったく新鮮味はない。 また、現代社会の分析に至っては、学なる伝統回帰の保守派に脱しており、とても時代を切りひらくものではない。 歴史認識は私とよく似ているが、現状認識は筆者とはまったく違う 私の好きな言葉は、「地獄への道は善意で敷き詰められている」というものだが、筆者も同じ言葉を引用して、本書を頼めくくっている。 ちょっとイヤな感じであるが、このあたりが似ている理由であろうか。 天皇制の理解に独創性があるので、星一つを付けざるを得ない。 (2004.1.23)
参考: ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006 足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005 三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003 浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005 山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000 菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002 有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005 佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001 管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007 浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001 流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004 藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001 ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008 小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001 芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987 D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004 河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004 河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009 加納実紀代「天皇制とジェンダー」インパクト出版会、2002 桜井哲夫「近代の意味-制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 M・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫 | |||||||||||||
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