著者の略歴−1960年生まれ。京都大学理学部生物系卒業。同大学文学部で社会学を学んだ後,同大学大学院法学研究科博士課程修了。現在,桐蔭横浜大学法学部教授。専門は法社会学.社会の実態把握を実証的に進める一方で,比較法学的視点を取り入れつつ,法とは何か,法と社会はいかにあるべきかについての理論的考察を進める。著書に『体制改革としての司法改革』(共編),『人間の心と法』『たばこ訴訟の法社会学一現代の法と裁判の解読に向けて』『法の臨界[TT]秩序像の転挽』『現代法社会学入門』(以上,分担執筆),訳書にアントワーヌ・ガラポン著『司法が活躍する民主主義−司法介入の急増とフランス国家のゆくえ』などがある。 巷間では世の中が物騒になってきたという。 新聞は凶悪犯罪の多発を書き立て、今日も何人殺されたと、テレビは伝える。 またマスコミは、外国人の犯罪が増えているともいう。 そのうえ、少年犯罪が凶悪化している、とも書き立てる。 本当に凶悪化しているのであろうか。 凶悪犯罪が激増しているのであろうか。
当サイトは、鮎川潤氏の「少年犯罪 ほんとうに多発化・凶悪化しているのか」などを取り上げてきた。 鮎川氏によれば、犯罪は凶悪化していないし、件数はむしろ減っているという。 高年齢者による凶悪犯罪だけは増えているが、それ以外の世代では犯罪は明らかに減っている。 子供が大人殺すと大騒ぎされるが、1977年における殺人事件の被害者は、その3分の1以上が親によって殺された子供である。 犯罪学者という専門家のほとんどは、犯罪数の激増も、犯罪者の凶悪化もないと考えている。 が、こうした常識に属することを論証したがらない。 そんな中、筆者は常識の立証に立ち上がった。 1996年以前と比較して、2001年は凶器使用率が半減した。 在日外国人の犯罪は、ここ20年で半減した、等々と細かい統計を並べた後で、次のようにいう。 戦後直後が安全であったというのは大きな誤りであり、逆に、最も危険な時代であったことは言うまでもない。そうだとすれば、2002年現在は、戦後で最も安全な時代であり、さらに安全性を上げ続けている状況にあることは間違いのない事実である。諸外国と比較しても、日本人は、世界で抜きん出た安全を享受していることに変わりない。それなのに、妙なペシミズムの時流にのって不正確な議論がなされていることは悲しいことである。P117 1980年以降の日本は、おそらく日本史上において、もっとも豊かな社会を実現している、と言っていい。 国民の大多数は、毎食美味いものが食べられる。 継ぎのあたった衣服を着ている人はいない。 庶民でも海外旅行ができる。 身体が壊れれば、保険で入院できる。 ほとんどの人が小さいながらも、自己所有の家に住んでいる。 戦争はないし、安心して暮らせる。 日本人は堕落したなど、近代を悪し様にいう人がいる。 が、多くの問題を抱えながらも、我が国の近代は相当の成果を上げている。 弱者は歴史上、もっとも保護されているし、差別も薄くなってきている。 にもかかわらず、近代は非人間的だという声がある。 治安の悪化と近代の不評は、どこか同質なものを感じる。
我が国の治安は悪化していない、と本書は言う。 そのうえで、事実と人々が抱く印象がなぜ違うのか、それを分析しようとする。 結論からいうと、安全であることには変わりがないが、安全神話が崩壊したという。 事実は変わらないのに、神話が変わったというのである。 そして、なぜ神話が変わったのか。その原因を次のようにいう。 かつては、夜には出歩かないし、繁華街にも行かない、おとなしい生活をおくることによって、安全で安心できる生活がありえた。 裏社会では、当然、暴力が横行していたが、これは警察がかなりの部分見逃してやた。堅気に手を出さないという規範が有名であるように、 境界が生きていた社会においてこそ、安全神話が成り立ちえた。ところが、もちろん良いことであるが、差別が大幅に解消し、地域や時間帯を使った境界も緩むことによって、総数としては増加しなくとも、至る所、いつでも、薄く広く危険がある、安心できない状況が生まれた。これが安全神話の崩壊であると考える。客観的に全国の状況を捉えると治安の悪化はないにもかかわらず、安全神話は崩壊したというバラドックスは、このように理解されるべきであろう。P187 深夜になっても渋谷の町には、若い女性が闊歩している。 かつての高校生は、深夜に外出などせず、家で寝ていた。 確かに、12時を過ぎた繁華街を、女子高校生が徘徊することは、安全という以外にない。 繁華街の安全度は、明らかに上昇している。 ところが、郊外にもコンビニなどができ、日本中が深夜まで活動している。 そのため、犯罪など想像もしなかった郊外も、繁華街と同じ様相になった。 かつて夜の繁華街は危険だった。 だから普通の人は、深夜に繁華街を徘徊しなかった。 その反面、郊外は危険とは無関係で、犯罪などまったく存在しなかった。 ヤクザとか愚連隊といった悪者は、特殊な場所=繁華街に生息して、素人とは接触しなかったので、安全神話があったと筆者はいう。 筆者の説に賛同するか否かは別にして、本書が掲げる数字には納得である。 凶悪事件と呼ばれる殺人、強盗、強姦、放火といった犯罪は、ここ50年間で軒並み半減に近い。 農業社会という肉体を支えとした社会では、暴力が肯定されたので粗暴な犯罪も多かった。 しかし、情報社会化して、社会的な価値が肉体から頭脳へと変化すれば、肉体的な志向が低下するのは当然である。 なぜ安全神話が崩壊したのか。 本書の結論の当否は別にしても、本書の解説に耳を傾けてみるのも無駄ではない。 先進国がバラ色のように書く論者が多いなかで、先進国の犯罪実態や、人権無視をきちんと書いているのは、好感が持ている。 本書には教えられるところが多かったが、「祭り」に特異な思い入れを入れているのは、筆者特有の趣味としか思えず、いささか不可解である。 我が国の将来像を描く最後の部分は、やや筆が滑っている。 しかし、将来像について発言するのは、不確定要因の上だから、どうしても仮定の話が多くなる。 にもかかわらず、将来像まで踏み込んで発言するのは、学者生命を賭けなければできない。 困難な予測に挑戦した心意気をかって、その内容は不問にしたまま、星を一つ献上する。 (2004.9.24)
参考: エリオット・レイトン 「親を殺した子供たち」草思社、1997 フィリップ・アリエス 「子供の誕生」みすず書房、1980 山崎哲 「 物語:日本近代殺人史」春秋社、2000 椎名篤子「親になるほど難しいことはない 子ども虐待の真実」集英社文庫、1993 浜田寿美男「自白の研究」三一書房、1992 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 宝島編集部「刑務所のなか パクられた私たちのムショ体験」宝島社文庫、1999 藤木美奈子「女子刑務所 女性看守が見た「泣き笑い」の全生活」講談社文庫、2001 見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、1996 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006 足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005 三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003 浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005 山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000 菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002 有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005 佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001 管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007 浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001 流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004 藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001 ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008 小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001 芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987 D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004 河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004 河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009
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