匠雅音の家族についてのブックレビュー     にっぽん心中考|佐藤清彦

にっぽん心中考 お奨度:

著者:佐藤清彦(さとう きよひこ)
文春文庫、2001(青弓社、1998)年  ¥590−

著者の略歴− 1930年、宮城児生れ。早稲田大学文学部卒業、読売新聞社を経て、現在、ノンフィクションライター。著書に、「脱獄者たち」「贋金王」「ああ勲章」(青弓社)、「大冤罪−死刑後、犯人出づ」(イクオリティ)、「やぶにらみ・法律記事」「ねらい撃ち・法律記事」(日本評論社)、「奇談追跡−幕末・明治の破天荒な犯罪者達」(大和書房)、「奇人・小川定明の生涯」(朝日新聞社)、「おなら考」(文春文庫)など。
 犯罪がその時代の世相を反映するのは、事実であろう。
人の命がかかった殺人や自殺となると、その趣はなみではない。
「<物語>日本近代殺人史」でも、多くの殺人事件がいかに時代の影響下にあったかを、こまごまと記述していた。
人の命がかかっているといっても、本書は心中のはなし=情死である。
心中とは、複数の人間が同時に自殺することである。
TAKUMI アマゾンで購入

 心中とか情死いうと、ふつうは一組の男女がそろって死ぬのが相場である。
事実その例がもっとも多い。
しかし、同性の心中もあるし、3人の心中もある。
最近の例では、中年男性3人の心中があった。
心中とは、この世で思いが叶わないと感じた人たちによる、あの世での実現をかけた逃避行であろう。
この逃避行は、簡単なものではない。
その実行には、大変な勇気と大きな躊躇がともなう。
生きるのも大変だが、死ぬのはもっと大変な仕事である。

 心中は太古の昔からあったように思いがちだが、本書は決してそうではないと言う。
まず、性のタブーが少なかった時代には、男女が簡単に結ばれたので、心中に至らなかった。
万葉集をもちだして、本書はそれを例証する。
それも1面では事実であろう。
しかし、万葉集の時代には、庶民と貴族は別の世界に住んでいたのではないか。
庶民と貴族のあいだで、結婚したいという感情がおきるのは珍しかったと思う。
恋愛や肉体関係はあったかもしれないが、制度としての結婚には至らなかったのではないだろうか。

 階級社会では、階級を超えた結婚は初めから成立しない。
それに、この時代は結婚が、今日のように愛情に基づいてはいなかった。
結婚は家のためとか、財産のためになされたのだ。恋愛はまた別の場であっただろう。
だから愛人関係が簡単に成立し、心中には至らなかったのだろう。
階級社会は階級意識が人々の内心まで拘束し、
無意識の規範といったところまで達していたと思う。
実らぬ恋、許されぬ仲が人の口に上るのは、階級が崩壊し始めた証拠かもしれない。
階級が崩壊を始めれば、それを守ろうとする反動的な動きが、必ず表れる。

 わが国では、江戸時代には武士階級の支配が確立した。
ここで階級は崩壊に向かい始めたのだ。
だから、江戸時代の中期には、心中が大流行になる。
もっともこの時代の心中は、廓で遊女とのものがほとんどである。
しかも、不美人や売れない遊女が、客を道連れにしての心中が多かったという。

 夜這いが認められていた農村や、庶民のあいだでは心中に至らない。
庶民の世界では、人はすべて労働力だったから、家柄や美醜よりも、まず健康が優先しただろう。
明治に入っても、その傾向は変わらない。
そして、庶民層にまで支配が貫徹し始めた明治の後半から大正時代へと、心中は増大し始める。
また反対に、個人が明確になった平成になると、男女の心中はほとんどなくなってしまう。

広告
 明治40年代にはいって情死が増えたことは先にふれたが、41、42、43年の3年間に限って、全国の新聞を集めて具体的な例をまとめた人がいる(大道和一『情死の研究』、明治44年=1911年、同文館)収集は501組だが、女性同士の18組を除くと483組となる。この時代、一家心中はなく夫婦心中もきわめて少ない。P81

といっている。明治は家制度が残存しており、
怨恨がらみの殺人事件が、一家皆殺しへとつながりやすかった。
それを考えると、一家心中がなかったというのは、どう考えたらよいのだろう。
たぶん、明治の中期までは、庶民の意識は江戸時代とあまり変わっておらず、家意識は武士だけのものだったのだろう。

 庶民層が家意識をもつのは、明治も末になって裕福になったからだろう。
家制度に庶民が泣かされてと教科書は言うが、単純に信じることは危険である。
明治の中頃まで、徴兵検査の合格率は30%くらいであった。
つまり庶民の体格は、武士たちに比べると大きく劣っていたのだ。
近代化が進むと、庶民の栄養状態も良くなり、100%近い合格率になっていく。
近代の入り口で、沈んでいった人たちもたくさんいたが、近代は多くの人に恩恵を与えたことも事実である。

 大正・昭和(戦前)の心中数が掲載されている。
大正 10 11 12 13 14 15
人数 10 13 10 42 33 42 55 59 49 47 102 69 72
昭和 10 11 12 13 14 15 16 17〜20
人数 29 47 63 51 68 93 103 99 99 177 79 60 41 10 13

 正確な数字ではないと筆者は断っているが、おおよその傾向がつかめて興味深い。
この数字の細かい分析は本書に譲るが、戦争中は心中が少なかった。
同様に殺人事件も少なくなる。
国が大規模な殺人をおこなっているときは、個人は心中もしないし殺人もおかさない。
そして、精神病も減る。まったく皮肉なことである。
 
 廓中心だった江戸の情死が、明治以後、一般社会へ拡散し、大正以降、さらに知識人層やいわゆる上流層まで巻き込み、情死の一般化が進む。この傾向は戦後ますます強まり、具体的には低年齢化と高年齢化が進む一方、情死の方法、情死者の職業なども多様化する。P212

と述べられているのも、肯首できる。
そして、次のように述べて本書が閉じられている。

 日本の歴史のなかで情死が一種の社会問題になったのは、やはり江戸中期から昭和にかけてのたかだか三百年に限られている。一口でいえば、この時代、儒教道徳の影響もあって、男女間のルールやタブーがあまりにも厳しく多くなったため であろう。P275

 これも穏当な結論であろう。
人が世に入れられず、不安や不満を持つのは、いつの時代でもある。
しかし、それが死へとつながってしまうのは、やはり社会が貧しいからだろう。
そういった意味では、心中がほとんどなくなったことは、社会が豊かになったことの証であろう。

 単身の自殺にかんして言えば、毎年3万人近い人が自殺している。
多くが病苦だとしても、痛ましいことである。
これは安楽死を認めるべきだろうか。
そして最近多いのが、中高年男性の経済的な原因による自殺である。
男性だけが生活を背負って、プレッシャーに苦しむことはへって、今後は女性も生計を背負う。
それによって女性も元気になり、男性の自殺も減ることを祈っている。

 本書は題名から、また冒頭の「失楽園」の引用から、当初は際物的なものかと思った。
文庫だからと気軽に買って読み始めたが、意外にも真面目な本であった。
拾いものをしたようで、うれしい誤算だった。
広告
  感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005
榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973
ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994
ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002
松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002
佐藤早苗「アルツハイマーを知るために」新潮文庫 2007年
熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001
正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974
北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997
アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004
御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる