匠雅音の家族についてのブックレビュー    日本盲人社会研究|加藤康昭

日本盲人社会研究 お奨度:

著者:加藤康昭(かとう やすあき)−−未来社、1974年 ¥5、800−

著者の略歴−1929年東京に生まれる。1949年第一高等学校卒業。1960年東京教育大学教育学部卒業。1968年同大学大学院教育学研究科修了。教育学博士。現在−茨城大学教育学部教授。 著書『わが国特殊教育の成立』(共著,1967年,東峰書房)『盲教育史研究序説』(1972年,東峰書房)。現住所 東京都練馬区羽沢1−6
 日本近世の盲人社会を克明に洗い出した研究書で、
私は障害者への視点を本書に教えられたことが多い。
基本文献として、本書のお世話になった。
TAKUMI アマゾンで購入
日本盲人社会史研究

 生産をめぐって取り結ばれる社会関係における、盲人とその家族の生活を見る、という問題意識で本書は書かれている。
目次を列挙するだけでも、その克明さが分かる。
まず、盲人の生活を調べ上げる。
農業生産において盲人は労働者になりにくいから、盲人は家督を譲って家族から排除されたことが多かったようだ。

 盲人といえども生活せねばならないから、職業をもつ必要がある。
盲人は座頭仲間(女性は瞽女仲間)にはいって、何らかの職業を身につけたようである。
しかし、生産力が低い社会では、障害者の地位は必ずしも安定せず、
とりわけ盲目女子は嬰児殺しの対象になりやすいなど、薄幸な人生だったようだ。

 江戸時代において、盲人は人口千人あたり約1〜2人程度であった。
彼(女)等は、いわば専門家として健常者とは異なった集団を作り、遊民として芸能、占い、按摩などで生活していた。
しかも、彼(女)等の生活は仲間集団をつくってなされており、それは全国的な組織にすらなっていた。

 とくに座頭仲間は、当道座とよばれ強固な全国組織であった。
当道座は、階級制度、師弟制度、京都および諸国の支配制度をもち、検校、別当、勾当、座頭の4官をもっていた。
近世は小さな生産力の社会であり、障害者は過酷な人生をしいられたが、それでも制度に納まった者は何とか生活が成り立っていた。

広告
 近世中期からの商品経済の浸透は、盲人社会をも変革させていった。
盲人社会だからといって、健常者の社会と異なることはない。
商品経済つまり貨幣経済は、健常者や障害者を平均化する働きをもつ。
つまり貨幣経済とは、お金をもっているかどうが評価規準である。
社会の価値が、頑健な肉体の所有から、貨幣の所有に置きかわったのである。
剥きだしの肉体労働が、貨幣によって評価されることは、盲人社会内の権威や秩序の確立を意味した。
そして同時に、盲人社会が組織として確立することは、健常者の社会にも発言権を確立することであった。

 17世紀後半から18世紀にかけての商品経済の飛躍的発展、近世都市の繁栄は盲人の生活領域をいちじるしく拡大した。元禄文化は盲人芸能者にゆたかな芸能市場を提供し、上方の地歌や箏の生田流などが成長した。またこの時期には杉山和一らの活躍によって鍛冶・按摩が盲人の有力な職業として新たに拓かれた。三都の盲人の一部には、芸能・鍛冶をもって将軍・諸大名に抱えられ、あるいは富商をパトロンとして上昇・富裕化する者も現われたが、他面その底辺には大道芸や門付芸を携え、あるいは按摩を業として諸国を渡り歩く座頭・曹女の姿がひろく見られ、民衆からの吉凶の施与が彼らの貧しい生活を支えていた。P598

 盲人社会は、封建制度に自らを適合させて、相互扶助のかたちを取りながら、
社会的な存在様式を獲得していた。
しかし、明治維新という近代への転換は、盲人社会をも激しく襲った。

 維新政権は、人民を統一的に支配するために封建的諸身分を撤廃し、「臣民一般」を「全国総体ノ戸籍」の中に掌握することを図った。盲人についても配当紛争に対する治安対策とこの壬申戸籍編成の必要から、明治4年11月盲官廃止・民籍編入・配当禁止・営業自由が布告され、盲僧仲間や瞽女仲間は一時的な動揺ののち同業仲間として存続したけれども、最大の勢力を有した当道座はこの盲官廃止令によって完全に崩壊した。これにより盲人は封建的身分と仲間の封建的羈絆から解放されるとともに、仲間による相互扶助からも解放され、それに代る何らの保障もないまま新たに資本主義的諸関係に組み込まれることになった。P601

 本書の分析は江戸時代までであり、明治時代には至っていないので、
筆者がその後をどう見ているかは不明である。
資本主義的諸関係とは、身分的な秩序は保証しない代わりに、
自由競争が持ち込まれたのだから、障害者の立場がどうなったかは自明であろう。
広告
  感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005
榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973
ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994
ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002
松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002
佐藤早苗「アルツハイマーを知るために」新潮文庫 2007年
熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001
正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974
北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997
アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004
御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992



「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる