匠雅音の家族についてのブックレビュー     神の棄てた裸体−イスラームの夜を歩く|石井光太

神の棄てた裸体
イスラームの夜を歩く
お奨度:

著者:石井光太(いしい こうた)   新潮社 2007年   ¥1500−

 著者の略歴− 1977年東京生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに執筆活動を行う。そのほか、ペンネームでの写真発表やラジオ、漫画のシナリオなども手掛ける。著書に、アジアの障害者や物乞いを取材したノンフィクション、『物乞う仏陀』(文奉春秋)がある。http://kotaism.com/

 2006年の1月、28歳の筆者はイスラームの国で、男女はどのように裸体を絡ませているのか、という問題意識にかられて、6ヶ月の東南アジア・中東へと旅立った。
多彩な現実を見たいという問題意識は、当サイトの問題関心にきわめて近い。
TAKUMI アマゾンで購入

 <目次>を見ると、
第1章 街娼たちの渇愛−インドネシア/パキスタン
第2章 異境を流れる者−ヨルダン/レバノン/マレーシア
第3章 家族の揺らぎ−バングラデシュ/イラン/ミャンマー
第4章 掟と死−パキスタン/アフガニスタン/インド
第5章 路上の絆−バングラデシュ 


とならんでおり、筆者が各地を丁寧に歩いていることが判る。
現地への思いこみが強く、感情の入れ込みすぎだ、という感じもしなくはない。
しかし、ナイーブな筆者の正義感は良く伝わってくる。
我が国は本当に豊かな社会である。

 我が国にいると、我が国の様子が当たり前で、それ以外の生き方は、存在しないように思ってしまいがちだが、そんなことはない。
イスラムという社会が、我が国からは特殊に見えるが、そこで生活している人たちには、特殊でも何でもない。
彼(女)等には、それが当たり前の生き方である。

 貧しさは子供たちに集約的にあらわれる。
本書も、子供を良く取材している。
工業社会化以前の社会では、子供はまず何よりも労働力なのだ。
小さな身体だといっても、それなりに価値がある。
そのため、子供は誘拐の対象になる。

 我が国でも子供が誘拐されるが、我が国では子供を使役の対象として、誘拐するのではない。
しかし、発展しつつある途上国では、生産に役立つ機械と同様に、子供は有用だから誘拐され、人身売買の対象となる。
筆者は上記の事例を、イスラムの国に見ているが、かつて我が国もそうだった。

 イスラムに限らず、農業が主な産業である社会では、生まれや出身がものをいってしまう。
金持ちの家に生まれたら、一生にわたって陽の当たる道が保証される。
貧乏人の家や貧乏な村に生まれたら、ほぼ確実に貧乏で一生を終わる。
伝統的社会の貧乏は悲惨ではないが、そこに近代が侵入してくると、貧乏が悲惨につながっていく。

 貧乏からはい上がるために、男の子は労働力として、女の子は売春婦として、身売りされる。
しかし、社会の壁は高く厚い。
個人がどんなに頑張っても、貧乏からはい上がることはできない。
かつての日本の貧乏は、国内の貧乏だったが、いまでは貧乏が国境を越える。
だから、その悲惨さは想像を絶するものになる。

 ミャンマー領には、ロヒンギャという民族が暮らしている。彼らはバングラデシュのベンガル人と、宗教も言葉もほぼ同じだ。
 ミャンマーの軍事政権は、そんな文化的に異なるロヒンギャを弾圧してきたのである。国籍を与えずに、強制労働を課したり、性的な暴力の対象にしたりしたのだ。
 70年代の末から90年代の初めにかけては、総計で数十万人規模のロヒンギャが国境を越え、バングラデシュに逃げ込んできていた。その後、国連の介入によりミャンマーヘの帰還が促され、多少は落ち着いてきているが、それでも万単位の難民が残っていて、バングラデシュでも歓迎されているわけではない。つまり、どこからも排除されている民族なのである。P134

 このロヒンギャ人の男性が、バングラデシュの村の女性と結婚して子供をもうけた。
しかし、男性たちは金を求めて町へと逃走し、あげ句のはてに、自分の子供を誘拐するために村に戻る。
そのため、子供を守っている村の女性たちは、自分の夫と死闘を演じるのだという。
ロヒンギャ人の男性が殺されることもあったという。

広告
 もとを質せば、バングラデシュの東南部の村で、近所に巨大な工場ができた。
近代が侵入してきたのだ。
そこでの現金収入をあてに、地元の男性たちが村をでてしまった。
そこへミャンマーから来たロヒンギャ人の男性が、村の女性たちと結婚し子供をもうけた。

 しかし、しょせん流れ者のこと、ロヒンギャ人の男性も女性を棄てて町へとでていってしまった。
町へ出たロヒンギャ人の男性も貧しい。
勝手知ったる村に戻って、子供の誘拐をしたというわけだ。

 貧乏は、疑心暗鬼を生む。
社会が生みだす貧乏を、外部の個人は克服できない。
一時的にしか滞在しない者には、貧乏を見ることしかできない。
この事件を取材しようと、村に入った筆者は、自分の気持ちとはまったく違う反応を受けてしまう。

 「女たちの寄り合いで、誰かが君のことを、工場の従業員か人買いに違いないといいだしたようだ。子供をさらう下調べにきた、と思ってる。女たちが、鎌やら鍬やらをもって襲ってくるんだよ!」
「なぜ僕が、子供を誘拐しなければならないんですか」
そこまでいって、はたと子供の写真を撮ったことに思いいたった。
 この村では、どういおうとも、私は得体の知れぬ外国人なのだ。工場に出入りする外国の人間と思われても仕方がない。そんな人間が突然、村にやってきて人さらいの話を根掘り葉掘り訊いて子供の写真を撮っていれば、親たちが不審の目を向けるのは当然だ。P145


 旅行者である外国人が、現地の人と仲良くなるのには、細心の注意が必要である。
地元の価値観と無関係に生きる外国人は、流れ者である。
外国人がいなくなった後、地元はふたたび地元者の世界に戻る。
そのとき、外国人と仲良くした人は、すでに寄るべき外国人を失っている。

 人はどんな境遇でも、生きていかなければならない。
しかも、農業や牧畜が主な産業である社会は、土地からの制約がきわめて強い。
土地から離れたら生きていけないし、土地が求める制限や掟に服さないと、誰も生きていけない。
人権など語ることは思いもつかない。

 私は旅にでた時、人のために何かをしたいと切望していた。いや、人を助けることができるのだと思い込んでいた。
 しかし、実際には何一つできず、ついには取り返しのつかない事態を招いてしまった。挙句の果てに、手を差し伸べようとした相手に逆に救われ、慰められているのである。
 なんという思い上がった考えだったのだろう。自分の浅薄さを、いやというほど思い知らされた。羞恥のあまり、顔を上げることができなかった。P306


 筆者はズタズタになって帰国しただろう。
僕も似たような経験があるから、無力感に襲われる気持ちは良く判る。
しかし、先進国の人権意識をもちこむと、結果は芳しくないことが多い。
先進国のような人権意識をもたないイスラムが諸悪の根元だと思うが、なぜイスラムが生まれ、人々に信じられているのか、そのあたりにまで迫って欲しかった。

 途上国と先進国の格差は、ますます開いていくだろう。
今後は筆者のようには、貧乏人の生き方に共感できなくなる可能性がある。
援助という言葉が空しく響く。
共感の断絶が恐ろしい。  (2008.2.2)
広告
  感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
雨宮処凛「生きさせろ」太田出版、2007
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
塩見鮮一郎「異形にされた人たち」河出文庫、2009(1997)
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
横山源之助「下層社会探訪集」文元社
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000
三浦展「下流社会」光文社新書、2005
高橋祥友「自殺の心理学」講談社現代新書、1997
長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006
石井光太「絶対貧困」光文社、2009
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
雨宮処凛ほか「フリーター論争2.0」人文書院、2008 
金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001
沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」文芸春秋、2001
上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005
ジュリー・オオツカ「天皇が神だった頃」アーティストハウス、2002
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000

六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、2001
エヴァ・クルーズ「ファロスの王国 T・U」岩波書店、1989
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985

高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
会田雄次「アーロン収容所」中公新書、1962
今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004
レナード・ショッパ「「最後の社会主義国」日本の苦悩」毎日新聞社 2007
岩瀬達哉「新聞が面白くない理由」講談社文庫、1998
山本理顕「住居論」住まいの図書館出版局、1993
古島敏雄「台所用具の近代史」有斐閣、1996
久家義之「大使館なんかいらない」角川文庫、2001
田中琢&佐原真「発掘を科学する」岩波新書、1994
臼田昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

下川裕治「バンコクに惑う」双葉文庫、1994
清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002  
編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002
邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000
中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009
山際素男「不可触民」光文社、2000
潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994
須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989
宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001
コリンヌ・ホフマン「マサイの恋人」講談社、2002
川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990
ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973
阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991
永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社、2006


「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる