匠雅音の家族についてのブックレビュー    キッチン・コンフィデンシャル|アンソニー・ボーデン

キッチン・コンフィデンシャル お奨度:

著者:アンソニー・ボーデン−新潮社、2001年   ¥1600−

著者の略歴−1956年ニューヨーク生まれ。ニューヨークの有名店、Brasserie Les Halles のエグゼクティブ・シェフ(総料理長)にして作家。CIA出身。幼少のみぎり、フランスにて美食に自覚め(両親だけが超高級レストランに行ったことを根に持ち)、大学生のときには厨房の裏で花嫁とセックスに励むシェフを目撃(披露宴のまっ最中だというのに)、大学を辞め料理人となることを激しく志す。末はカレームかボキューズかとの野望も大きく、セックス・ドラッグ・ロックンロールな日々を送った異色シェフ。ちなみに、CIAとはアメリカ料理学院の意。
 職人つまり技術を持った肉体労働者は、世界中で変わらないものだ。
それが本書の第一の感想である。
そして次に、アメリカ人にも味覚があるのだ、という発見に驚いた。
筆者は、現役のアメリカ人シェフである。
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 現在わが国では、職人の技とか、伝統的な技術といったものがもてはやされる。
職人の技術は何か特別なもので、無形文化財のようにありがたいものと、錯覚すらされている。
目の前の生きた職人には、疎遠な視線を送るくせに、不思議なことに職人技には感激するのだ。
テレビにしても新聞にしても、職人という具体的な人間ではなく、抽象的な職人をあがめ奉っている。

 しかし、職人の技術とは、生きた人間によって体現され、肉体に支えられている。
肉体を使うことによって体得される技術を職人技と呼ぶが、職人という肉体労働者の根性は、曲がっているのが普通である。
今日では、ホワイトカラーというデスクワーカーが労働の主流である。
ホワイトカラーは肉体労働ではなく、彼らの労働は肉体をとおして行われるのではない。
だから、彼らの手はしなやかで柔らかい。

 (新人時代の)私が熱いソテーパンを素手でつかむというへまをしたのは、そんなときだった。
ぎゃっと悲鳴をあげて鍋を落とし、完成直前のミラノ風子
牛のすね肉の白ワイン煮が床にぶちまけられた。てのひらには小さな赤い火ぶくれができ、私は愚かにも−ああ、じつに愚かしくも−大車輪で働いているタイロンに向かってやけどの薬をもっていないかと訊いた。バンドエイド、ないかな。
 タイロンにとっては、これが我慢の限界だった。キッチンは一瞬しんと静まりかえった。(中略)「なにが欲しいって? 白んぼの坊や。やけどの薬? バンドエイドだ?」
 それから両方のてのひらをあげて、私の目の前につきだした。醜い水ぶくれが星座のように縦横に走り、グリルのあとが真っ赤なミミズ腫れになっている。古い傷跡だらけの、煮えたぎったお湯や油で赤剥けになった肌がそこにはあった。新旧さまざまな傷に覆われて硬くなった皮膚は、まるでSF映画に出てくる甲殻類の怪物のようだった。呆然としている私をしりめに、タイロンは−私をじっと見据えたまま−ゆっくりと炉に近づき、片手を突っこんで、じゅうじゅうと音をたてる鉄の皿をとりだし、調理台のところまでもってくると、私の前にそれを置いた。
 顔色一つ変えずに。P48


 きびしい肉体労働は、肉体を変形させる。
大工だった私の親方は、長年の力仕事のために指が太くなり過ぎて、ボーリング・ボールの穴に指が入らなかった。
猫背・がに股が、大工職人の肉体である。
長年働いた筆者の手は、いまではタイロンと同じようにタコができて、グローブのようになったのは当然である。

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 来る日も来る日も、同じ仕事を機械のごとくこなしていると、肉体が変形するだけではない。
肉体の変形は精神の変形に及ぶ。
つまり物を相手に力を振り絞っていると、人間関係を円滑に取り結ぶという感覚が逸脱してくる。
それを称して、根性が曲がるという。

 客や廻りの人間のご機嫌より、物を完成させなければならない。
完成させてはじめて職人仲間は、1人前と認めてくれる。
どんなに人がよくても、仕事ができなければ、半人前である。
逆に仕事ができれば、人間性は問わない。
それが職人である。だから根性が曲がってこそ、1人前の職人である。

 職人は気むずかしく、取つきにくいと思われる。
だから男尊女卑だと勘違いされる。
しかし、職人は男女平等である。
とにかく結果がでれば、誰がやろうと構わない。
仕事ができれば、1人前と見なす。
性別や年齢は関係ない。
本書にも、すぐれた女性のコックが、何人か登場する。 
  
 プロのコックとはどんなものか、世間のほとんどは理解していない。得意のレシピがあるとか、目新しい盛り付けができるとか、調味料やフレーバーやテクスチュアの独創的な組み合わせを考案したとか、そんなことはどうでもいい。それらは、客がレストランのテーブルにつくずっと前に決まっている。現場のコック−あなたが食べる料理をじっさいに作る使命をおびている−にとってもっと大事なのは一貫性だ。単純な繰り返しに耐えられるか、まったく同じ手順で何度も何度も一連の決まりきった作業を続けていけるか。(中略)ひたすら苦役に耐え、戦場のようなキッチンで自動的に手を動かし、まったく同じことを何度も反復できるコックである。P72

 建築の世界でも同様である。
シェフが1人でいいように、棟梁は1人いればいい。
その他大勢の大工職人には、単純な繰り返しに耐えられるか、まったく同じ手順で何度も決まりきった作業を続けていけるか、が問われる。
全力を振り絞っての鉋がけや、単調な穴掘りが、朝から晩まで続く。
曲がった根性や変形した肉体は、職人の勲章である。
根性が曲がらなければ、1人前の職人ではない。

 職人と堅気の世界に生きるホワイトカラーは、上手くつき合えないだろう。
市井の人は、職人の曲がった気質を理解できない。
だから、昔の人は職人を馬鹿にして下に見た。
職人は、いまでも怪我と弁当は自分持ち、日当という給与で収入は低い。
いまさら職人を持ち上げられても困った話だが、筆者は変形した肉体と曲がった根性を、誇りとしているところがいい。

 東京に1週間ばかり滞在した筆者は、夢のような日々を体験した。

 私たちは、もっと、もっと、と注文を続けた。その食べっぶりがほかの寿司職人や客の目を引きはじめた。こんなに大食いの−とりわけ西洋人の−客は見たことがないのだろう。私たちの前にネタを置くたび、親方は挑みかかるかのようだった。今度こそ音をあげるだろう、野蛮で原始的な白人の味覚にはとても理解しがたいだろう、と。
 とんでもない。私たちは食べつづけた。もっと、もっと。フィリップは親方に向かって片言の日本語で、私たちはなんでも食べる覚悟があるといった −おまかせで頼む。なんでもいいから、ぶったまげるほど旨いものを食わせてくれ(もちろん、フィリップはもっと上品な言い方をしたはずだ)。他の客はぼちぼち帰りはじめた。親方は−いまや助手も手伝っていた−私たちの熱意、満足げな表情、いくらでも食べられそうな健啖ぶりに感銘を受けたようだった。P353


 多くのアングロサクソンは、味覚をもたないように見える。
しかしアメリカ人にも、味覚があることを知って安心した。
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参考:
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
青山二郎「青山二郎文集」小沢書店、1987
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004年 
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002

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