匠雅音の家族についてのブックレビュー    森の生活|ヘンリー・D・ソロー

森の生活 お奨め度:

著者:ヘンリー・D・ソロー(真崎義博訳)
JICC出版局、1981 ¥1、500−(絶版)
講談社、1991年 ¥1、300−
岩波書店 上・下 ¥693、¥735−

著者の略歴−1817年7月12日、アメリカ合州国マサチユーセッツ州コンコードに生まれ、その地で育つ。生涯のうち、カナダヘの小旅行と、西海岸へ旅したときと、数回に及ぶメリマック/コンコード川探検行のときを例外として、ほとんどすべての時をコンコードですごした。コンコードのあたり一帯は一面の緑地で、森も多い。12歳になったとき、自然主義者であるアガシーズと出逢い、目を開かれた。ハーヴァード大学を卒業後、執筆活動と講義に力をそそいだ。そして1845年、ウォールデン湖のほとりに自ら建てた小屋へ引きこもる。1847年にウォールデンからコンコードの街に帰り、いくつかの肉体労働をして生活費を得ながらも執筆を続けた。いちばんの親友は哲学者のエマーソンであり、そのことをあらわすかのように、ソローはエマーソンの墓のすぐわきで、いまも静かに眠り続けている。45歳で、1862年に没した。
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 1854年に本書はアメリカで出版されており、
すでに版権も切れたらしく、多くの訳本をみかける。
本書は、すでに古典中の古典といっていいかもしれない。
自然賛歌にかんする話がでてくるときは、必ずと言っていいほど本書が登場する。
しかし、本書を紹介する人たちは、実際に本書を読んでいるのだろうか、といささか疑わしいくもなる。
というのは、本書をささえる感覚は、今の我々からは相当に違和感があるからだ。

 当たり前だが、本書は自然人が書いたものではない。
自然人とは文字も知らずに、自然のなかに生活する人であって、
自然を対象化する資質をもたないはずである。
自然人とは少なくとも、狩猟か農耕を生業としているはずで、執筆と講演で口を糊しているわけがない。

 皮肉はともかくとして、彼は文明の発達した社会に、有閑階級として住んでいた。
気が向いたので、人里から1マイル離れた森にでかけたのだ。
そしてそこに自分で家を作り、2年2ヶ月ばかり住んだ。
その後は、また都市生活者に戻ったのである。
本書はその間の、自然観察記である。
本書でも感じるが、生のままの自然はない。
人間が働きかける対象としてしか、自然は存在しないのである。
では、本書の目次を下記に掲げる。


第1章 衣食住の基本問題
 1.生活をみつめなおす目
 2.さあ、まず着るものからはじめよう!   
 3.開拓者たちは、はじめ「穴」のなかで暮していた
 4.ぼくの家は湖のあたりの森のなか
 5.ぼくはどの農民よりも自由だった
 6.自然と同じょうにシンプルで健康に生きてみよう
第2章 住んだ場所とその目的
 気に入った土地をさがして住んでみること   
第3章 読書について
 本物の本を本当の精神で読むことは、高貴な修練だ
第4章 音について
 森にいるといろんな音がきこえてくる 
第5章 ひとりきりの時間
 ぼくは、ぼくだけの小字宙を持っている   
第6章 来訪者たち
 ぼくの家の訪問者たちを紹介しょう 
第7章 豆畑
 ぼくの豆畑の収支決算をしてみると…
第8章 近くの村
 村に出ると、とたんにうわさ話の洪水だ
第9章 ウォールデン潮
 1.ウォールデン湖はぼくの美術館、そして天然の井戸だった
 2.湖は鏡、そして太陽は光のダスターだ   
第10章 ベイカー農場
 ぼくらは毎日遠くから、新しい発見をもつて帰ってくるべきだ
第11章 より高い原理
 まず猟師、あるいは釣り人として森に入り、詩人なり博物学者となって出てゆくこと
第12章 隣人としての動物たち
 人なつっこいネズミや宝石のような鳥、そして戦争するアリたち
第13章 暖房について
 湖が凍りはじめるころ、ぼくの小屋の窓ぎわはまきの山
第14章 先住者と冬の訪問者
 1.森のなかを歩くと先住者たちの廃墟が点在している
 2.雪を踏みしめて、頭の長い農夫や詩人たちが訪ねてくれた
第15章 冬の動物
 フクロウが寂しげに鳴き、キツネは悪魔のように遠くで吠えた
第16章 冬の湖
 水の下で泳ぐ小ガマスは、黄金とエメラルドの魚だ
第17章 春
 潮の水が音をたてて溶けはじめると、造化の神が動きだす
第18章 結び
 こうしてぼくの森の生活が終わった

 かつての人間は、ゆっくりとした時間のなかに住んでいたとしれる。
そして、筆者が大変な知識人だということもわかる。
知識人とは、生活のために必要な仕事を優先させるのではなく、
無益な知的好奇心を満たすことが優先するのである。
そして、この時代は知識人でありながら、肉体労働にも従事した幸せがある。

 本書は単純な自然賛歌でもないし、自然の生活をすすめているのでもない。
本書からはむしろ孤独を愛し、
1人で知の世界に浸る有閑的な都市生活者の像が浮かんでくる。
とても羨ましい。
それが今まで古典として読みつがれてきた理由だろう。
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参考:
天野郁夫「学歴の社会史」平凡社、2005
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
佐藤秀夫「ノートや鉛筆が学校を変えた」平凡社、1988
ボール・ウイリス「ハマータウンの野郎ども」ちくま学芸文庫、1996
寺脇研「21世紀の学校はこうなる」新潮文庫、2001
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ユルク・イエッゲ「学校は工場ではない」みすず書房、1991
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
匠雅音「家考」学文社

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アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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