匠雅音の家族についてのブックレビュー    悦ばしき知識|フリードリッヒ・ニーチェ

悦ばしき知識 お奨度:☆☆

著者:フリードリッヒ・ニーチェ  筑摩学芸文庫、1993年  ¥1300−

著者の略歴−1844年プロイセンのレッケン村で牧師の長男として生まれる。早く に父を失い、母に育てられる。ワグナーと親交を結んだが、後に決裂。古典言語学から出発 し、バーゼル大学教授にあった。生前はほとんど省みられず、失意のままイタリアに行く。ヨーロッ パ文化とキリスト教への徹底した懐疑と批判を出発点とし、紳の死を宣告するとともに、永遠回 帰による生の肯定の最高形式を説いた。超人の理想を示し、未来の哲学を梼想する19世紀の 巨人的思想家。その謎に満ちたニーチェの哲学は現代思想の発火源として、現在もなお根源的な問いを われわれに投げかけている。1900年に精神病に倒れた。
 筆者のようにたくさんの著作を残している場合、本書だけを取り上げても、筆者の思想を語 ったことにはならない。
しかし、本書は筆者の成熟期への入り口で書かれたもので、それな りに重要な著作だろうと思う。
短い文章がたくさん並んだものなので、読みやすくもあ る。
そして、なによりも「神殺し」が明確にうたわれているのが、注目される。

 ボクが「母殺し」 をいうのも、筆者に大きくおっている。
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本書は、当時の道徳への根底的な懐疑がみなぎっている。
筆者は序文で次のように言っている。

 哲学はこれまで一般に肉体の解釈むしろ肉体の誤解にすぎなかったのではないか、と幾度もくりかえ し自分に問うてみた。これまで思想の歴史がそれによって導かれてきた最高の価値判断の背後には、個人の それであれ階級のそれであれ種族全体のそれであれいずれにせよ、とにかく肉体の事情につ いての誤解がひそんでいる。われわれは、形而上学のあの図々しい狂い沙汰の一切を、それ もとくに現存在の価値の問題に対するその答えをば、何はおいてま ずつねに特定の肉体の症候とみなすことができるのだ。P11

ここで肉体の意味するものが何で、肉体の反対は何なのかは、言うまでもないであろう。
筆者は哲学者であり、 最後まで哲学者であろうとした。
1880年代に書かれた本書に限らず、近代が成熟をはじめた時期とは、肉体から思考が離れはじめたときでもあった。

 今では、思考という観念の作業は、現実の世界とは切り離されても、成立すると認めるだろう。
仮想の世界の言語であっても、現実に切り込む力を持っているのは自明である。
それは機械言語の成立が証明する。
そして、より精確に言えば、言語は現実とは遠く離れていることも、肯定せざるを得ない。
リンゴというリンゴは存在せず、赤い果実というものが存在するだけである。
リンゴという 言葉と果実という現実は、ほとんど関係ないくらいに離れている。
しかし、筆者の活動期には 、肉体だけが考察の対象になった。
物と言葉は一致していると、当時はみなされていた。

  遠くから。−この山は、それが君臨する地帯全体を、あらゆ る風趣をもって魅惑的にし意味深いものにする。このことを百回も自分に言いきかしてい るうちに、われわれはこの山にえもいえぬ気持ちをいだき感謝の思いにおそわれて、この魅惑の贈り 主であるこの山そのものがこの地方で最も魅力ある存在に違いないと、思いこむよう になる−そこでわれわれはこの山に登り、そして幻滅を感ずる。P81

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 本書は短い文が並列的に並び、あるまとまりだけがあり、1冊の本として展開する 筋は強くない。
むしろ思考の軌跡といったものだ。
平凡な市井の人間が、毎日書いた日記の一 種といってもいい。
ただその書かれた内容が、恐ろしいのである。

 狂気の人間。−諸君はあの狂気の人間のことを耳にしな かったか、−白昼に堤燈をつけながら、市場へ馳かてきて、ひっきりなしに「おれ は神を捜している! おれは神を捜している!」と叫んだ人間のことを。−市場には折しも 、神を信じないひとびとが大勢群がっていたので、たちまち彼はひどい物笑いの種となった。 「神さまが行方知れずになったというのか?」とある者は言った。(中略)狂気の人間は彼らの 中にとびこみ、孔のあくほどひとりびとりを睨みつけた。「神がどこへ行ったかって?」、と彼 は叫んだ、「おれがお前たちに言ってやる! おれたちが神を殺したのだ−お前たちと おれがだ! おれたちはみな神の殺害者なのだ!P219

 本当に恐ろしい言葉である。
この文章を読むたびに、私は筆者の孤独 さがよく判る。
神を信じる者には孤独がない。
神は人間を救ってくれる。
しかし、 神を殺したことを自覚したとたん、真っ暗い闇の中に一人で立たされるのだ。
ここから人間 の自立が始まり、真の思考が始まった。
そして、筆者はその直後に、次のように言う。

  おれたち自身が神々にならねばならないのではないか? P220

 孤高の近代人が、ここに誕生した。
創造の神は孤独だった。
その神に代わるのだから、人間が孤独 になるのも当然である。
本書には、永遠回帰の記述も見られるが、私はそれには興味がない。
神を殺せば、永遠回帰するのは当然だし、また観念は永遠を生きなければならないのである。
哲学者である筆者は、次のようにも言っている。

 貞節は、女性の愛に内包されているものであって、女性の愛の本質 が把握されるところおのずから結果するものだ。男性の場合には、貞節は、その愛に伴っ て、まま現われることもあるにはあるが、それとて感謝とか趣味上の特異な好 みとかあるいはいわゆる親和力とかみらるべきものであって、もともと貞節は男性の愛の本質に属するものではない、P420

 肉体の解釈むしろ肉体の誤解にすぎなかったのではないか、といっている筆者だが、この時代は肉体から離れることができなかった。
だから、非力な女性を男性とは異質なものと見た。
すべての労働は 肉体によってなされた以上、男女が等価・等質であることが認識できなかった。
いまや っと肉体的な非力さが無化されたので、男女の等質性を前提に思考できるようになった。
電脳的機械文明 の開花が、社会的な男女差を消滅させた。
今や女性も自立する。
男性が神を殺し、父を殺したように、ここで女性は母を殺したのである。
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参考:
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I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
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永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
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増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
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青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
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ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
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G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
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田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
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小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
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黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
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エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
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リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
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オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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