匠雅音の家族についてのブックレビュー     「精神障害者」の解放と連帯|吉田おさみ

「精神障害者」の解放と連帯 お奨度:

著者:吉田おさみ   新泉社、1983年  ¥1500−

著者の略歴−
精神障害者というと、何をやらかすか判らない危険な人間、というイメージがある。
このイメージは完全に作られたものだろう。
精神障害を持った人たちの多くは、発症さえしなければ普通の生活をしている。
突発的な犯罪を犯す人のなかに、ときどき精神障害が発症している人がいて、
精神障害者は危険だといったイメージが作られてきた。
しかし、犯罪率は健常者より、むしろ精神障害者のほうが低い。
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「精神障害者」の解放と連帯

 肉体的な意味で、完全な健康体は存在しない。
近眼だとか、太っているとか、背が低いとか、多くの人はどこかしら必ず身体障害を持っている。
人間の身体には、平均的ということは言えても、完璧というモデルはない。
さまざまな逸脱を抱えながら、何とか生活をしている。
身体的な障害は、今日ではもはや逸脱とは見なされない。
車椅子の身体障害者であろうと、健常者と同じ扱いである。

 短気な人とか、潔癖な人、情にもろい人など、精神的意味でも完全な健康体は存在しない。
ましてや精神的に完璧な人などいるわけがない。
しかし、精神病といったレッテルが貼り付けられると、事情はたちまち一変し、精神病者は不完全な人間と見なされる。
身体障害者は入院を強制されないが、精神病者は入院を強制されるし、
一度入院の履歴を持つと、たとえ発症していなくても、平常の生活をするのがきわめて難しくなる。

 精神障害をかかえながら綴られた本書は、精神障害者の自立をめざした、壮大な宣言書である。精神障害との戦いを抱えながら、執筆された本書は悲痛な叫びに満ちている。

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 「健常者」社会のネガティブな狂気観は「精神障害者」自身の内奥にまで侵入し、「精神障害者」は自らの存在根拠を見出せないでいました。しかし、患者会に結集した「精神障害者」は次第に自らの位置と立場性を自覚し、自分たちを差別する「健常者」社会に立ちむかっていきました。
 患者会の活動状況は、それぞれの会によってさまざまですが、その大部分は政治的な戦闘組織ではなく、一般的には、定期的な例会、機関紙誌の発行、お互の助け合い、レクリエーション、集会やデモへの参加などが行われています。P39

 「精神障害者」が「病い」をかかえながら、またクスリをのみながら、きびしい差別のもとで、「健常者」べ−スの政治運動を担うことは容易ではありません。その意味では、政治運動と共に、日常社会の中で「精神障害者」のあり様をそのまま認めさせていく闘いが必要です。すなわち、「精神障害者」が「健常」になること、あるいは「健常者」なみになることが「精神障害者」解放では決してありません。いうならば、「精神障害」をなくすことによって差別をなくしていくという視点ではなく、「精神障害」をそのまま認めさせることこそが反差別だ、というわけです。P74


 精神障害をそのまま認めさせることが、精神障害者にとっての差別の解消だろうと思う。
しかし、それはきわめて難しい。
自力で生きることのできない者が、口を糊するのはどんな社会でも困難である。
筆者は近代が契約社会であり、生産力至上主義だから、精神障害者が差別されるという。
前近代では障害者と健常者は混在していたと言うが、それは間違っている。
 
 フーコーが、近代は人間という概念を作り出し、その概念に入らない者を排除したといった.
そのため、あたかも前近代はパラダイスのような錯覚を生みだした。
前近代では、王侯貴族のみが人間だったのであり、出自にもとづく身分差別が貫徹していた。
前近代は生産性が低かったので、近代以上に生きにくい世の中だったはずで、
生きる力のない人間は放っておかれた。
どんな社会も、生きるための資料を生みだす範囲内でしか、人間は生きることができない。

 狩猟採集に生きる未開社会を例にとって、1日に数時間だけ働いても生活ができる。
未開社会こそ、最小限の努力で生きることができる豊かな社会だ、
という論を筆者は展開するが、それはきわめて人口密度の低い地域での話である。
しかも、狩猟採集の社会では、乳幼児死亡率は極めて高く、平均寿命は30〜40歳であろう。
もし、狩猟採集社会に戻るのであれば、まず一番最初に死んでいくのは、身体障害者と精神障害者である。

 生産性が高い近代になったからこそ、見知らぬ他人を税金という形で養うことが可能になった。
近代は市民という屈強な男性が生みだしたので、当初は男性だけが権利の主体だった。
女性も外国人も黒人も障害者も人間ではなかった。
しかし、近代が成熟するにつれ、人間の範囲は徐々に広くなり、
人間の形をした者はすべて人間になった。
むしろ近代がすすんだからこそ、精神障害者も権利の主体になったのである。

 現在の世の中にも、さまざまな差別が存在するのは事実である。
しかし、差別は生産力に規定される側面があり、差別の解消は生産性を上げることによってしか可能ではない。
差別に苦しむ障害者たちは、前近代をパラダイスのように見立てて、
解放への希望としたいだろうが、前近代を美化するのは自滅の道である。
本書は精神障害を持つ筆者の、悲痛な叫びだとは思うが、基本的な歴史認識の部分で賛成できない。
(2003.4.11)
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参考:
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005
榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973
ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994
ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002
松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002
熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001
正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974
北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997
アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004
御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

赤松啓介「非常民の民俗文化」ちくま学芸文庫、2006
黒岩涙香「畜妾の実例」社会思想社、1992
酒井順子「少子」講談社文庫、2003
木下太志、浜野潔編著「人類史のなかの人口と家族」晃洋書房、2003
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
P・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき」草思社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
中山二基子「「老い」に備える」文春文庫 2008

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