匠雅音の家族についてのブックレビュー     ヒト・クローン無法地帯−生殖医療がビジネスになった日|ローリー・B・アンドルーズ

ヒト・クローン無法地帯
生殖医療がビジネスになった日
お奨め度:

著者:ローリー・B・アンドルーズ−紀伊国屋書店、2000  ¥2、300−

著者の略歴−1978年、世界で最初の試験管ベビー、ルイーズ・ブラウンが誕生した年にイエール大学ロー・スクールを卒業。その後、体外受精・人工授精、借り腹などをめぐる数々の有名訴訟に関わる。WHOやNIHをはじめ、世界各国の政府機関に対し生殖医療ならびにクローン問題のアドバイザー、コンサルタントを務める。シカゴ・ケント法科大学教授、科学・法律・技術研究所所長。1997年、クリントン大統領に「人間クロ−ン研究禁止」を方向づける答申レポートを提出、そのレポートは米国政府の公式見解としてホームページに掲載される。
 不妊治療として出発した生殖医療は、クローン技術を生みだし、
人間の誕生を神の手から人間の手へと移し始めている。
わが国では精子バンクや、夫婦間以外の人工授精はまだ馴染みがない。
しかし、アメリカに限らず、医療技術の先進諸国では、すでに人工授精は非夫婦間どころか、
独身の女性にまで行われている。
ジョディ・フォスターが独身のままで妊娠し、出産したことは記憶に新しい。

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 本書は、タイトルに無法地帯と入れているが、生殖医療に反対するものではない。
むしろ、不妊に悩む人たちに子供を与える生殖医療には賛成の立場である。

 「私たちにも精子を提供してくれる精子バンクが欲しい」という独身女性たちの思いがついに結実したのは、1982年のことだ。異性愛者だが独身の女性や、レスビアンの女性に精子を提供することを主たる目的として、「カリフォルニア精子バンク」が設立されたのである。(中略)精液が届いたら、かかりつけの婦人科医院で、それを注入してもらえばいい。自分でやりたければ、七面鳥を焼く時に肉汁をかけるターキー・ペイスターを使って、自宅で注入を行うこともできる。P109

 筆者はこうした現象には否定的ではない。
むしろ、個人の自由な意志が実現される手段として、生殖医療が果たす役割を高く評価している。
筆者の調査によれば、他人の胚を妊娠する代理母にしても、誰かに強制されたりお金が目的で妊娠している人はいない。

 子供が欲しくてもできない人に、自分の身体を役立てたいという奉仕の気持ちから、女性は代理母を引き受けている。
代理母になる女性にカウンセリングをして、引渡を拒否する可能性をゼロにしている。
そのため、代理母になることを引き受けたが、
妊娠中に気が変わって生まれた子供を引き渡さなかった、ベビーM事件のようなケースはまれだという。

 しかし、親子関係の錯綜化や、新生児の安定した育児環境の確保など、
生殖医療がもたらす問題はさまざまにある。
筆者が強調するのは、医療技術の進化に社会の理念が、追いついていかないことである。

 動物での実験が少なく、人間には初めての適用例であっても、
現場の医者の一存で新たな医療がなされていく。
そこには何の法律の裏付けもなく、ただ利益の追求のために生殖医療が使われている。
そうした現状に、本書は警鐘をならしている。

 遺伝子学者のアンガス・クラークは、生殖技術や遺伝子技術が、「開発されるやいなや、その倫理的影響を考える暇もなく、すぐに臨床場面にもちこまれる」ことに、大きな懸念を抱いている。そして、医師たちの先走りを批判し、つぎのように述べる。「倫理上の問題に直面し、判断をくだすのは、患者とその家族たちだ。新技術を使うか使わないかの判断は、患者に任せるべきであり、けっして医師が、それを押しつけるべきではない」P280

 という意見が筆者の立場に近いだろう。
法的な規制のまったくないアメリカが、このまま生殖医療をすすめることには不安を抱いており、
法律学者としての筆者は、生命倫理にかんする法的な整備を訴えている。
胚の所有権や相続権、閉経後の女性への人工授精、
人体の一部を提供させるドナーを生むための体外受精、
生前検診、死んだ男性からの精子の採取などなど、問題はたくさんありそうである。

 しかし、クローン技術が誕生するに及んで、筆者は技術の進歩への賛同を控える。
それまでの肯定的な筆致から一転して、
はっきりと「クローン人間作成になぜ反対するか」という項目をたてて、その理由を述べている。

 生殖技術のほうは、不妊カップルが通常の生殖では達成できない要素を補うものだ。いっぽうクローン技術のほうは、死んだ人の子どもをつくったり、死んだ胎児を生き返らせたり、片親とまったく同じ遺伝子型をもつ子を複製したりといった技術なのである。前者は、すでにある患者のニーズを満たすためのものだが、後者は、人々のニーズをまったく新しくつくり出し、それを無理やり、生殖に関する女性の権利の範疇に押しこめようとするものなのだ。その上、クローン技術はどう見ても、女性の自由を増すものだとは思われない。だれのクローンをつくるべきかということになったら、そのリストには、「マイケル・ジョーダン、アルバート・アインシュタイン、ビル・ゲイツ……」といった具合に、男性の名前ばかりが並ぶだろうからだ。P305

 筆者は女性の見地からさかんに発言しているが、その複雑な立場には大いに共感した。
単に女性であるといった見方では、何の発言もできないことがよく判る。
わが国の女性フェミニストたちは生殖医療をどう考えているのだろうか。

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参考:
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松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005
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ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
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御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
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ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
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北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
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フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
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リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
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C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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