匠雅音の家族についてのブックレビュー    近代日本と公衆衛生−都市社会史の試み|小林丈広

近代日本と公衆衛生
  都市社会史の試み
お奨度:

著者:小林丈広(こばやし たけひろ) 雄山閣出版、2001年 ¥2、800−

著者の略歴− 1961年静岡市生まれ。1986年金沢大学大学院修了。現在、京都市歴史資料館研究員。著書「明治維新と京都」臨川書店、「京都歴史と文化」第2巻共著、平凡社、「京都の部落史」第2巻共著、阿吽社、「近代天皇制とキリスト教」共著、人文書院、「清水寺史」第2巻共著、法蔵館ほか
 田舎は自然にあふれ、健康そのものであるのに対して、都市は不健康の象徴とされる。
確かに江戸時代には、都市は不衛生だった。
(ただし、ヨーロッパの都市よりは清潔だったという)
農村部で増えた人口を都市が吸収し、都市に移り住んだ人は早くに死んでいった。
そのため、都市の人口は増えなかった。
その傾向は明治になっても変わらず、都市は墓場とさえ言われた。
近代の初めでは、都市より農村部の寿命のほうが長かった。
この傾向は、ヨーロッパのほうがより酷かった。
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 明治の初めにコレラの大流行を見たが、伝染病はコレラだけではなかった。
衛生状態の悪さから、さまざまな病気が都市をおそった。
本書は、明治期の都市における衛生状態を、京都を中心にして記述したものである。
コレラの日本上陸は、1822年(文政5年)とされているが、死亡率の高さと伝染力の激しさで、人々は恐れおののいた。
当時は、コレラの治療法もわからなかったので、恐怖にさいなまれたことだろう。

 1879年におけるコレラの大流行では、京都府だけでも1、100人あまりの死者をだした。
そこでとられた対処方法が、「クワーランタイン」だった。
本来クワーランタインとは、港における検疫のための40日間の隔離を意味したが、京都では住宅の焼き払いを意味した。
つまり、コレラの発生した場所を、焼き払ってしまうという伝染病対策だったのである。
そして、コレラの発生した場所が、貧民街に多かったことから、部落差別の増長となって現れた。

 まずはじめに、部落住民とコレラとの関わりについて、「ケガレ」に関わる職能や公共的業務の一環としての役割が指摘されていることに言及しておきたい。
 コレラの流行をめぐっては、防疫活動に携わる巡査や医師、担当吏員の殉職ばかりが強調されてきたが、実際には病死体の運搬や埋葬、排泄物や吐鴻物の処分、病人の衣服や病家から出た塵芥の焼却など、 住民らが関与する業務にはより危険性がともなった。そこで、こうした業務には主として被差別部落の人々が携わったのではないかという説がある。 実際、1986年流行の際に多数の患者を出した南桑田郡保津村には『虎列拉病流行二付日並記』が残されており、死体の焼却や排泄物の処分、交通遮断の番人などに保津村内の旧「えた村」から人足を雇い入れたことが記されている。P102


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 近代化は、従来の農村型の対応を無効にする。
都市では人間の排泄物を自然が吸収しきれない。
しかし、近代化の当初は、農村的な生活様式をそのまま持ち込んだ。
そのため、都市への人口集中は、非衛生的な環境をうみだした。
それはわが国に限らない。
スラムが形成されているアジア諸国も、近代化を進める現在、同じ試練にあっている。
そこでは近代的な衛生観念の注入と同時に、治安対策としての側面も見逃すことはできない。

 1895年に向けての「公衆衛生キャンペーン」は、一定の危機感をあおりながら、紀念祭・博覧会に対する世論の関心を高め、他方で、都市の底辺に存在する一部の住民や地域に対する監視を強め、場合によっては排除すら企図した。しかし、そうした動きのなかで、より着実な衛生改善への取り組みも模索されていた。それは、急速な都市化の進展に対応した新しい「公共」のあり方にも関わるものであった。
 1890年代は、70〜80年代とは異なり、コレラだけではなく赤痢、腸チフスなど多種多様な伝染病が流行する。たとえば、94年における伝染病の患者は、京都府の場合、コレラが51人であるのに村し、赤痢が2085人、腸チフスが1005人に達した。そのうち、死者はコレラの12人に対して、赤痢640人、腸チフス256人といった有り様であった。いずれも、かつてのコレラほどの死亡率ではないものの、毎年繰り返し流行し、一定の人命を奪い去っていくところに特徴があった。そのため、防疫活動も、多様な伝染病に対応しながら、より恒久的な対策を求めるようになる。P140


 住民たちに危機意識が芽生えたときは、為政者側には治安対策の好機である。
強引な政策であっても、世論が後押しする。

 伝染病は、他の病気のように治療を患者の意志に任せておくと地域社会全体を危機に陥れる可能性のあるものとみなされた。また、防疫活動の中には、医療行為とはいえないものが多く、薬品の調達や衣食住の補給、塵芥の焼却、死体の埋葬などに多大な費用を要した。いわば、それらを含む伝染病対策の負担を行政や名望家層が担ったのである。コレラ防疫の過程で「貧民部落」という表象が浮上したのは、貧民集住地区が伝染病の温床になるという前提があったからである。P204


 いつの時代でも、社会的なしわ寄せは、貧乏人のところに集中する。
今日では、もはや大規模な伝染病は発生しない。
しかし、近代への過程は、貧乏人を切り捨てる形で、強行されたこともまた事実である。
貧乏人たちを切り捨ててきたので、現在の我々は健康な生活ができる。

 農耕社会は、生まれた人間の半分程度しか、成人になることはできなかった。
壮絶な人類の歴史は、現在でも世界中で戦われている。
ところで、現在では農村部で、成人病がはびこり始めた。
むしろ都市部より短命化し始めている。
自然にあふれた農村部のほうが、不健康になり始めたことは、
新たな時代に入ったことを意味しているのだろう。
    (2002.7.19)
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参考:
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御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

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松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
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