匠雅音の家族についてのブックレビュー    たった5センチのハードル−誰も語らなかった身体障害者のセックス|熊篠慶彦

たった5センチのハードル
誰も語らなかった身体障害者のセックス
お奨度:

著者:熊篠慶彦(くましの よしひこ)−ワニブックス、2001年    ¥1500−

著者の略歴− 1969年神奈川県生まれ。2000年、「週刊宝石」障害者の性をテーマにした手記を発表。注目を浴びる。本作が、初めての著作となる。熊篠慶彦ホームページ"熊篠邸の地下
http://www.netlaputa.ne.jp/~k-nojo/CHIKA/index-3.html
 誰も語らなかった身体障害者のセックス、という副題がついているが、
身体障害者は身体の一部が不自由だというだけで、他の器官は正常に機能している。
とすれば性欲があるのは、まったく当然である。
それは男女を問わない。
本書の筆者は男性だが、同じ問題を女性側から描いた映画に「ヴァージン フライト」がある。
TAKUMI アマゾンで購入

 身体障害者というと、本書でも書いているとおり、バスケットボールやアーチェリー等に興じる爽やかイメージがある。
ちょっと考えてみれば、誰にでも性欲があることはすぐに判る。
それを表だって語ってこなかった。
筆者はそれを身体障害者だからというが、そうではない。
セックスそれ自体が猥褻なものと見られているから、
身体障害者に限らず誰のセックスも表だって語らなかっただけである。
性に関する猥褻感が薄れてきたので、多くの人が性に関して徐々に語りだした。

 実際のところ、身体障害者のセックスは大した問題ではない。
不自由な身体だから、異性の相手を見つけにくい問題はあるだろうが、
本人に魅力があれば恋人はできる。
この筆者も、本書の後半になるに従って、身体の障害より心の障害だと言い始める。

 もちろん、健常者が障害者にたいして、障害は何でもないというのは、傲慢のそしりを免れないだろう。
障害者たちがどこへでも出歩けるように、社会の垣根をなくす努力は不可欠である。
しかし、人が人に魅かれるのは、当人の個性にたいしてである。
いくらバリアーフリーになっても、魅力のない障害者がもていないことには変わりない。
身体の障害より、心の魅力である。
それは健常者も障害者も変わらない。

 身体障害者の性より陰湿な問題は、知的障害者の性である。
知的障害者にも性欲はある。
しかし、ある種の知的障害者には、性的なことを隠す常識がない。
思春期になれば体も大きくなり、保護者の手におえなくもなる。
本人がやっていることに自覚がないのだから、そうしたときに性欲に目覚めると、ことは厄介である。

 しかも、彼らには自分の行動や希望を訴える力もない。
そうでありながら、性欲はあるのだから、対応が困難である。
それは痴呆老人の性とも共通している。
痴呆になって善悪の区別がつかないようでありながら、性的な感心や性欲だけはあるのだ。
身体障害者は今後ますます解放され、自立していくであろう。
それにくらべて知的障害者は、ますます囲われて生きることを規制されていくであろう。

 こんなふうに当時の僕がアクティブになれた要因としては、クルマの免許を持っていたことが大きかったと思います。免許を取ろうと思ったのは高枚を出るときです。
 高校卒業の頃って誰でも意識が変わるじゃないですか。進学するか就職するかに関係なく、みんな大人になるって感じで。
 知らん顔してパチンコ行ったり、タバコ吸ったり、酒飲んだりはもちろんだけど、いろんなことにチャレンジしたくなりますよね。
 それは障害者だって同じなんですよ。特に僕なんか、障害者という身分に甘んじて地域の作業所で働くなんて、まっぴらごめんって感じでしたから。
 それで「社会生活を円滑にする」という名目で、病院の更生施設でクルマの免許をとりました。20歳のときです。
免許を取って、クルマに乗ると、驚くほど世界が広がりました。P31

広告
 当然のことが当然に書かれているに過ぎない。
ここから筆者にぜひ気づいて欲しいことがある。
車というのは、まごうことなき近代の産物である。
近代は人間を個人化したけれど、障害者の行動範囲をはるかに広くしたのも、近代なのだ。
本書のなかで、昔は障害者も健常者と同じように生きていた、と筆者はいう。
昔は良くて現代は過酷だという論調が、ときどき見え隠れする。

 しかし、そんなことはない。
生産活動に参加しにくかった障害者が、生きやすかった前近代などどこにもない。
近代とりわけコンピューターは、身体障害者の行動領域を広げた。
頭脳労働にシフトしてきたので、障害者はずっと生きやすくなった。
近代に入るときに、障害者差別が高まりはしたが、それとて一時的なものだった。

 小人プロレスとかが「見せ物的でけしからん! 差別意識を助長する」なんて言って抹殺されようとしてますよね。でも「差別」という言葉で、彼らが生きるための職業を奪っていいんでしょうか。なんで「見せ物」がいけないんだって思いますよ。彼らの生活の糧を奪う権利は、誰にもないじゃないですか。
 僕は障害者差別ということについては、すべからく障害者の側じゃなくて、健常者の側がフレームアップしているだけだと思ってます。こっち側じゃなくてそっち側が神経質になっちゃってる。
 当事者じゃない周囲の人間が圧力団体と化して「差別だ!」なんて抗議するのは、一人の障害者当人として、理解に苦しみます。P148


 これにはまったく賛成である。
差別か否かを決するのは、当事者であり実際に不利益を受けている人である。
当事者以外が、同調者として差別反対を支えるのは悪いわけではない。
しかし、在日韓国人問題にしても、売春婦の問題にしても、政治運動によって当人たちの希望はどこかへいってしまう。

 本書では、赤線復活とか売買春の合法化といった話題もだされている。
たしかに単純売春は肉体労働であり、売春従事者の自己決定権の問題だろう。
売春をする者たちが、自分の職業の権利を確立する。
それはおおいに応援したい。
しかし、男性の売春が問題になることはほとんどない以上、
売春は女性の労働権の問題であろう。
売春の権利は、女性たちが自力で獲得するべきものである。
男性たちはそれを側面援助できるに過ぎない。
筆者のように、男性が売春を合法化せよといって運動するのは、やはり行き過ぎだろう。
広告
 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005
榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973
ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994
ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002
松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002
佐藤早苗「アルツハイマーを知るために」新潮文庫 2007年
多田富雄「寡黙なる巨人」集英社、2007
熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001
正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974
北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997
アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004
御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる