著者の略歴−静岡県生まれ。1958年名古屋大学医学部卒業。73年、名古屋市で眼科医院開業。81年愛知視覚障害者援護促進協議会設立。84年文部省「色覚異常生徒のための教科書態様改善に関する調査研究委員会」委員。89年日本学校保健会学校環境衛生指導委員会委員。94年厚生省健康政策局「色盲問題に関する検討会」委員。91年日本医師会最高優功賞受賞。92年日本女医会吉岡弥生賞受賞。94年朝日社会福祉賞受賞。 誰でも小学校で、色盲の検査をやった記憶があるだろう。 学校保健法で義務づけられた健康診断のなかに、 色覚検査の項目があるので、全員が強制されている。 大小とり混ぜた円が、さまざまな色に塗られ、それで数字が表されている。 あの検査は石原式色覚検査と呼ぶのだが、あの検査で色覚異常と指摘されると、後の人生には大きな困難が待ち受ける。
健常者には、何でもないことのように感じるかも知れないが、色覚異常と烙印を押された者には大迷惑である。 人生の選択肢が、大きく制限されてしまう。 1957年につくられた東京医大式色覚検査表の職業適性欄には、次のように書かれており、現在でも改訂されていないという。 色覚異常を甲乙丙丁に分けています。 甲は色覚異常者が就くと人命にかかわる職業で、医師、歯科医師、薬剤師、看護婦など医療職、船長や運転士など運輸関係者が含まれています。車掌、踏切警手、操車係なども入っています。また航空機組立工、爆発物製造工、建設機械運転工、電気技術者というのもあります。 乙は重大な過失を起こすものとして小学校の教員、画家、テザイナー、印刷技師などが挙げられています。左官、照明係、映写技師、洋服の仕立屋まで、ここに分類されています。 丙は色覚異常者が就くと仕事に困難があるものとして、電気工、美容師、中学校教員などが挙げられております。 丁は色覚異常者でも可能な職業としてトンネルの「掘進夫」とか「道路工夫」など、P44 上記の指針に従って、それぞれの職場は採用者を選別した。 つまり、色盲の者は採用を見合わせたのである。 企業が採用しないので、大学は色盲者を入学選考からはずすした。 筆者たちの活躍によって、現在では受験制限は解除されたが、それは1995年だった。 大学が受験を認めなければ、高校は内申書を送らない。 つまるところは色盲の者は、職業が制限るという差別に見舞われてきた。 しかし、色盲だから職務が本当に遂行できないのだろうか。 筆者は外国の例を調べる。 すると医者にしても電気技術者にしても、色盲の者が普通に仕事をしている。 色盲者への就職制限は、わが国だけのことである。 わが国でも色盲の者が、交通事故を起こしているという話も聞かない。 色盲でもノーベル賞を受賞した人もいる。
色盲者は皮膚の色を見誤る恐れがあるので、皮膚科の医者には採用しない。 すべて、○○の恐れがあるので、採用しないという。 実際に事故があったから、採用しないのではない。 色盲者でも充分に仕事をしているのは、外国の例を見れば明らかである。 色盲者への差別の構造は、男女差別とまったく同じである。 女性は途中で辞めるかも知れないから、正社員としては採用しない。 女性は○○の恐れがあるので、正社員としては採用しないと言う。 どんなに能力があっても、色盲という理由で=女性という理由で採用されない。 色盲も女性であることも、当人の努力で変えることはできない。 いわば属性である。 属性によって、当人の希望が断念させられる。 こんな理不尽なことがあるだろうか。 採用を制限する企業は、明確な理由をもたない。 多くは色盲はダメという慣例によっている。 色盲の人間が本当に仕事に差し支えるなら、その仕事をさせてみて、採否を検討するべきだろう。 最初から門前払いというのは、差別そのものである。 筆者が次のように言うのは、説得力がある。 日本ではいままで多くの有能な色覚異常者を、その能力を試させる前の段階で、不適正な色覚検査だけで採用からもらし、大変大きな損失をしてきたと思います。 職務の内容からかけ離れた色覚検査によって、色覚異常と眼科医が珍断したその結果のみから、個人のもつ能力を否定的に判定して、人為的に社会的ハンディキャップをつくり上げ、色覚異常者を社会から排斥することは厳にいましむべきことであり、社会的にも多大な人材の損失をもたらしているのではないかと懸念します。P93 男女差別もまったく同様である。 女性であるという理由だけで、採用試験を受験させない。 また、職務の内容からかけ離れた試験によって、 個人のもつ能力を否定的に判定して、男性と同じ採用試験に並ばせない。 当人の能力ではない性別という属性が、採否の理由になる。 彼女はその仕事において、抜群の能力があるかも知れないが、 ただ女性であるという理由だけで仕事に就かせてもらえない。 個人間に能力の違いはある。 しかし、能力を確かめる前に、○○だからという理由で、試験さえ受けることができない。 これを差別といわずして何という。 差別は否定されるべきだが、本書は差別だから否定せよとは言わない。 能力のある人間が、その職能とは無関係の理由で、採用されないことの非生産性を言う。 能力のある人間を、死蔵することがもったいない。 生産に参加する方向なので、本書の展開は力強い。 差別が生まれる構造が同じなら、差別の解消も同じ構造である。 女性差別とは、専業主婦という非生産的な存在を認めるのではなく、 女性の能力が生産の現場で生かされないことである。 せっかくの能力が、生かせないことに腹が立つ。 肉体労働ならいざ知らず、頭脳労働では男女差はない。 あるのは個人差だけだ。にもかかわらず性別によって採否が決まるのは、能力の損失である。 だから男女差別に反対する。 フェミニズムは、生産労働に参加しない専業主婦を擁護するのではなく、 社会で働く女性を担い手としている。 非生産的な人間を保護するほど、フェミニズムはお人好しではない。 女性だからという理由で、男性とは違う制限のかかることが許せない。 色盲という理由で、健常者と違う対応が許せない。 フェミニズムは生産に参加させよという主張だから、明るく前向きで力強い。 色盲の人も同じである。 色盲の人の能力を死蔵することが、社会にとって損失なのだ。 女性の能力を死蔵するのと、事情はまったく同じである。 能力が発揮できないから、すべての差別はなくすべきなのだ。 それにしても、わが国のフェミニズムは、何をもって女性差別と考えているのだろうか。 我が国のフェミニズムは、もはや保守反動と化しており、差別を解消しようとする運動ではない。 (2003.4.11)
参考: ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003 松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005 榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973 ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000 沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998 ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994 ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999 小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999 櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002 松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981 ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988 小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002 熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001 正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002 加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974 北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997 アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004 御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007 赤松啓介「非常民の民俗文化」ちくま学芸文庫、2006 黒岩涙香「畜妾の実例」社会思想社、1992 酒井順子「少子」講談社文庫、2003 木下太志、浜野潔編著「人類史のなかの人口と家族」晃洋書房、2003 鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000 P・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき」草思社、2001 鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999 速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001 中山二基子「「老い」に備える」文春文庫 2008
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