匠雅音の家族についてのブックレビュー 精神病棟の20年−付・分裂病の治癒史|松本昭夫

精神病棟の20年
付・分裂病の治癒史
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著者:松本昭夫(まつもと あきお)新潮文庫、2001年 ¥400−

著者の略歴−1935年、北海道上川郡比布町生れ。61年、早稲田大学文学 部仏文科卒。以降、病気のため職を転々とする。著書に「精神病棟の20年 その後」、自費 出版の詩集に「暗い春」「聖なるカオス」「実存と霊」がある。現在は無職、夫人と旭川に暮らす。
1956年(=昭和31年)、筆者は21歳の時に精神分裂病が発症した。
以降、約6年にわたり、7度の入退院をくりかえした。
そして、40歳を過ぎてから、病症が発現しなくなった。
精神分裂病の場合は、完治という言葉は使わず、寛解という言葉を使うらしい。
本書を執筆した1981年(=昭和56年)当時は、再婚して平穏な生活をおくっている。
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精神病棟の二十年


 筆者は大学受験に失敗し、浪人生活にはいる。
4浪となり、切迫感がではじめていた。
やや平常心を失いつつも、筆者には病識の自認はない。
工学部から文学部へと志望を変えて、早稲田の第2文学部に入学する。
この頃から、幻視や幻聴があらわれるが、なお精神病だとは思わない。
いや思いたくなかったのだろう。
 
 小さな障害未遂事件をおこして、筆者は逮捕される。
ここで精神病を疑われ、精神鑑定にまわされる。
そして、処置入院つまり強制的に入院させられた。1956年当時は、精神病に対する治療も未発達で、精神病院は刑務所に近かった。
つまり人間を拘束し、社会から隔離するものだった。
そこで行われていた治療も、野蛮な電気ショックやインシュリン治療だった。
50ベッドに、医者が1人という体制では、充分な治療は期待できない。

 畳が敷かれた部屋に連れて行かれた。3、4人の男が寝ている。その中の一人は、口にタオルをくわ えて、全身をガタガタと震わせている。その光景は私の限に異様に映った。
 次の男の番になった。タオルを口にしっかりとくわえさせてから、係員が器具の二つの端子を2、3秒間男の左右のこめかみに当てた。すると、男の身体が、一瞬硬直し、のけぞって失神した。それから全身をガタガタと震わせた。ちぎれそうにタオルをくわえた口から、激しい息遣いが聞えた。私の心は氷ったようになった。
 これが電気ショック療法だった。しかも、麻酔をすることもなく生のままかけていたのだった。それはまさに処刑場の光景だった。係員は冷酷な刑吏のように見えた。
 そのうちに、私の番になった。何か叫びだしたい恐怖を感じたが、今更逃げ出すことも出来ず、どうにでもなれといった捨て鉢な気持になって、床に身を横たえた。
 タオルを口一杯にかんだ。瞬間的に電流の走るのを感じたが、その後の意識はない。P36

 筆者の病症は、一時的に快方に向かう。
そこで退院するが、治療によって完治したとは思えない。
あるきっかけによって、発症する。
そして入院である。
しばらく入院生活が続き、また何かのきっかけで社会に戻る。

 私の精神疾患が、女性との関 わり合いの中から惹起していることに、人はあるいは不審の念を抱くかも知れない。
 <たかが女性の問題で、精神障害になるものだろうか?>と。
しかし、これがなるのである。それどころか、女性問題(広く異性問題)が、精神疾患の最大の原因であるというのが、私の考えである。
  とかく、精神障害者の父兄や世間一般では、精神疾患の原因を社会的な理由として判断する癖がついている。異性の問題で、それが発生するなどとは考えたがらない。我が国の現段階においては、そのように考えることは、世間体があるからである。
  俗に「色気違い」という言葉があるが、この言葉は確かに語呂は悪いけれども、私に言わせると、最も精神疾患の原因の根 本を突いている言葉であるように思われる。P58


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 精神病が脳のメカニズムの障害だと思われていた時代には、
電気ショックといった機械的な治療が主だった。
今日では、内服薬の発達により、口経薬の使用が普通になった。
それでも、精神病の原因は、現在でも不明である。
薬は治療の補助であり、薬によって治るのではない。
だから薬は症状をおさえるだけで、薬が精神病を治すとは言えない。 岩波明氏による巻末の解説には、次のように書かれている。
 
 精神分裂病は、生涯有病率(一生のうちにその疾患に罹患する割合)が約1パーセントという高 い頻度でみられる疾患である。これはすなわち、百人学生がいるクラスがあれば、その中で1人は精神分裂病を発症するということである。(中略)
 このように精神分裂病は決してまれではなく、むしろ「ありふれた」病気であるにもかかわらず、一 般の方々にはあまりなじみがあるとは言い難い。というよりも、「普通の」人々にとっては、精神分裂病は理 解不能な別世界のもので、自分とは関係のないものと認識されているように思われる。P227


私も自分とは関係ないと思っていた口だが、
筆者の生活が平常人であることに驚いている。
筆者は入退院を繰り返しているあいだにも、6人の女性と肉体関係をもち、
結婚・離婚そして安定してから再婚をしている。
ジゴロでもない男性が、6人もの女性と肉体関係をもてる。
これだけで平常人の証であろう。
精神病が発症すると、まず人間関係の破綻となって現れるだろうが、
すべての精神病が、特殊な生活を強いるものではないようだ。 本書は、分裂病の経験者が書いたものだ。
いわば管理されるほうから書かれているから、医者が書くものとは違っている。

 筆者の発言には、共感するものがたくさんある。
たとえば、患者の人権への配慮のなさ、食事のまずさ、自由の拘束、手紙の開封、カウンセリングの欠如、心のこもらない治療 などなど、精神病以外でもそう感じるから、とりわけひどいであろう。

 世の中には精神病院というものが存在する。医者は、精神障害者を治そうとしている。だが、私の考えでは、精神障害者というものは、いくら精神病院へ入院させ投薬などいろいろの加療を行っても、それだけでは決して治癒されるものではないのである。
 意識的に自分から欲して自助努力しなければ、それは決して治 らないのだ。しかも、その自助努力の裏になんらかの異性の<愛>がなければ、それは決して治らない。愛ひとつ、 病んだ心を治癒してくれるものは、これしかないと私には思われる。P179


 付録として、金子嗣郎という医者による<分裂病の治癒史>が掲載されている。
この文章がきわめて権威主義的で、患者をものとしてみている。
こんなに偉そうな人が診察する精神病院とは、さぞ非人間的なのだろう、と納得する。
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参考:
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005
榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973
ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994
ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002
松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002
佐藤早苗「アルツハイマーを知るために」新潮文庫 2007年
多田富雄「寡黙なる巨人」集英社、2007
熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001
正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974
北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997
アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004
御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992



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