匠雅音の家族についてのブックレビュー     墨東綺譚|永井荷風

墨東綺譚
(ボクの字はサンズイが付きます)
お奨め度:

著者:永井荷風(ながい かふう)−−岩波文庫、新潮文庫
新潮文庫、1993年 ¥324−

著者の略歴−1879〜1959、東京生まれ、東京外語大シナ語科中退。本名は壮吉、別名を断腸亭と名乗る。広津柳浪に師事し、清元、尺八、踊りをならう。福地桜痴の門下生となり、狂言作者をめざす。フランス文学に憧れ、1903年にアメリカにわたり、1907年にフランスにわたる。1908年7月に帰国し、作品を発表する。森鴎外の推薦により、1910年から慶応大学教授となり、三田文学を主宰する。6年間にわたり大学教授を勤めたが、多くの女性関係や茶屋遊び、結婚と離婚そして結婚などによって、みるべき小説を書かなかった。長いスランプに陥るが、老人期になって秀作を発表しだす。
 本書は、隅田川の東側つまり玉の井の風景を描いた随筆的な小説である。
墨東綺譚についても、永井荷風についても、とりたて今さら私がいうべきことはない。
そこで、手元にある2冊の文庫、岩波文庫と新潮文庫を比較しながら、
両文庫の解説をつかって本書の周りを回ってみたい。
そして、永井荷風的な生き方について、すこし考えてみたい。
なにしろ永井荷風は、私の最も好きな2人の作家のうちの1人なのである。
TAKUMI アマゾンで購入

 岩波文庫のほうには、木村荘八の手になる挿し絵が、沢山はいっている。
これはおそらく新聞連載となったときに、描かれたものだと想像する。
モノクロの挿し絵だが、文字ばかりより変化はある。
当時の様子がそこはかとなく伝わってくる。
と同時に、想像する楽しみがいくらか減ってしまう。
挿し絵はなかなかに難しい。
新聞連載されたあと、岩波書店から上梓されており、その時の表紙らしきものも岩波文庫には入っている。
岩波文庫の解説は、竹盛天雄氏が書いている。

 新潮文庫のほうは、岩波文庫より5年遅れで出版されている。
新潮文庫には解説を書いている秋庭太郎氏が、丁寧に注を付けている。
漢字が平仮名になっていたりするのを除けば、岩波文庫も新潮文庫もそれほどの違いはない。

広告
 1936年つまり昭和11年に書き始められた本書は、荷風が57才になっており、
すでに老境といっても良いだろう。
荷風は、親の期待するような生き方からはほど遠かった。
それを秋庭太郎は次のように書いている。

 明治初年、洋行帰りの内務省官吏久一郎の長男として生れた荷風は、小石川金富町の大きな屋敷で書生や女中たちにかしずかれて小学校中学校時代を過したが、中学在学中に小説『春の慣』…を試作した如く、はやくから文学に興味をもっていた。中学卒業時に吉原にあそび、美術学校へ入学を希望したが許されず、頑健な父と相違して病弱な荷風は気質的にも父と合わず反抗心を募らせた。あたかも荷風が外国語学校へ入学した時は、父が官界を去り日本郵船会社の任地上毎に在った留守中であったから、荷風に偏愛の情を寄せていた母恆の目を盗み、学校は怠け放題(以下略)p111

 これを読むと、秋庭氏の思惑を超えたものが伝わってくる。
洋行帰りの内務省官吏といえば、明治にあっては今日の大臣どころの偉さではなかったはずである。
荷風の父である永井久一郎氏は、きわめて優秀な人物であったに違いなく、
当時は大変な権勢を誇ったことだろう。
そして久一郎の発言は神の声のように家庭内に響いたと思う。
しかし、永井久一郎といっても、今や誰も知らない。

 秋庭氏の文を現代に置き換えると、荷風の生活はとてつもない問題児だったということになる。
明治時代の文学は、今でいえばロックかパンクだろう。
そして、吉原といえばソープか風俗だろう。
中学生の時代から風俗にかよう子供を想像できるだろうか。
父親とは度々ぶつかったに相違なく、
しかも成人してからも正業につかずに、父親に養育され続けている。
結婚と離婚を繰り返し、たしか性病にも冒された経験があるはずである。
それでも末は慶応大学教授である。

 永井荷風の逸脱は、才能があったから許されるのか。
彼に才能があったことは、彼が死んでから定まったことであり、
けっして生きているときには判らなかったはずである。
彼と同時代に生きた人は、彼をどう見たのだろうか。
今の子供は逸脱が許されないのか。
今の大人は逸脱が許されないのか。
広告
  感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか 生態人類学から見た文化の起源」ハヤカワ文庫、1997
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
匠雅音「家考」学文社

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる