匠雅音の家族についてのブックレビュー     風呂と湯の話|武田勝蔵

風呂と湯の話 お奨め度:

著者:武田勝蔵(たけだ かつぞう)−塙書店、1967 ¥850−

著者の略歴−1896年東京に生まれる。1920年慶応義塾大学史学科卒業。宮内省の編修官・事務官,東海大学文学部教授を経て武蔵工業大学名誉教授,慶応義塾塾史編纂所員。著書:「土御門天皇と遺蹟」(1巻) 「野史編者贈従四位飯田忠彦小伝」(1巻) 「明治十五年朝野事変と花房公使」(1巻)
 アジアを歩くとき、ホテル選びにはいつも悩まされる。
高級ホテルにこしたことはないが、財布と相談がつかない。
安いホテルもいいのだが、サービスや設備が悪い。
どちらをとるかである。
そんなある時、ホテルの値段に関して、1つのことに気づいた。
それは風呂、つまりバスタブのあるなしである。
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風呂と湯の話 (塙新書 (6))

 日本人の風呂好きは有名だし、今ではどこの家庭にも風呂がある。
そのため、風呂に入ることは、わけもないことだと思いがちである。
しかし、風呂に入るのはそう容易いことではなかった。
まず、風呂と湯の違いから。

 「風呂」といえば、蒸風呂の略称で、釜に湯を沸かし、その蒸気すなわち湯気を密閉の浴室内に送り込むもので、(中略)次に「湯」というのは洗湯とも書き、今日の一般家庭や公衆浴場(町湯、銭湯)と同じものである。P10

 ローマの大浴場もトルコの風呂も、蒸し風呂だった。
ふつうにいう風呂は、正確には風呂ではなく湯である。
もちろん、わが国の江戸時代、浮き世風呂もそうだった。
風呂には湯もあったが、今日のように明るくたっぷりとしたものではなかった。
それは簡単に想像がつく。
人間を入れるに足るほど大きな湯船に、
たっぷりとしたお湯をためることが困難だからである。
本書は引き続き次のようにいう。

 その最初はおそらく木製の湯槽(風呂桶)ではなく、大きな鉄の湯釜が浴槽で、これには、別の湯釜にどんどん湯を沸かし、この湯を浴槽の鉄釜に運び入れるとか、樋などを利用して流し込み、これに適当に水をそそいで湯の加減を見て入浴する方法と、釜の下から直接に薪をくべて、適当な温度の湯に沸かして入る今日の長州風呂・五右衛門風呂類型のものの二つに大別され、更に後世に至っては鉄砲風呂のように浴槽の中で湯を沸かす装置のものなども出来たのである。P11

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 いずれにせよ、人間の体を入れるほどに大量の湯を沸かすことは、大変なことだった想像がつく。
湯を沸かす装置も鉄製でなければならないし、薪も大量に必要だった。
毎日入浴するために薪をきっていれば、たちまちにして山の木は丸裸になってしまっただろう。
だから、入浴は贅沢なものだったのである。

 現在でも、アジアの暖かい地方へ行けば風呂に入らず、
川や池で身体を洗っている地域は多い。
そして、寒い地方の人はめったに風呂に入らないこともある。
チベット人は一生の間に一度も風呂に入らないという話は噂だとしても、
彼等の生活環境を考えてみれば、あながち嘘だとも言えない。
上記のような環境で、旅行者が風呂に入りたいといったらどうなるか。

 アジアの安宿にシャワーはあるが、水しかでない。
当然である。
水をためてシャワーにするのはそれほど難しくはないが、
それをお湯にするのは難しいのである。
その難しいことをやって欲しかったら、それに見あうお金をだす必要がある。
だから湯に入れるホテルは、必然的に高価になる。
大量の湯を沸かすのは、意外に大変なのである。

 わが国でも、毎日に風呂に入れるようになったのは、最近のことだ。
1960年以前の都市部では、銭湯に通うのは普通だったし、
銭湯のない地方では貰い湯が当たり前だった。
何軒かの家で日を決めて順に沸かし、その風呂に近くの家の人たちが交代で入るのである。
入浴を頻繁にするようになったので、皮膚病は激減したのである。
そんなことを考えながら本書を読むと、近代社会の恩恵が何だかよく判る。
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参考:
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信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004年
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
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エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004年 
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002


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