匠雅音の家族についてのブックレビュー     天皇が神だったころ|ジユリー・オーツカ

天皇が神だったころ お奨度:

著者:ジユリー・オーツカ  アーティストハウス、2002年¥1、400−

著者の略歴−カリフォルニア州パロ・アルト生まれ。日系人の両親をもつ日系3世としてロサンゼルスで育つ。イェール大学で美術を専攻して芸術家を志すが、30歳のときに作家に転向。1998年、キャロル・リード編によるBest of the Fiction Workshop Anthology '98に短篇が収録される。母方の家族の実体験を元にして生まれた本書『天皇が神だったころ』は長編デビュー作にあたり、全世界に先駆けて日本先行発売となった。二ユーヨーク在住。

 わが国の天皇に関して、外国からの発言が多くなってきた。
本書もアメリカの日系3世の体験をもとにした、小説仕立ての天皇批判である。
本書の読後感に限らず、天皇を頂くとことは本当に後進国の象徴としか思えない。
天皇といういう生まれつき上位という人間を、支配の頂点に置くことは、身分制以外の何ものでもない。
TAKUMI アマゾンで購入

 前近代とは血縁による身分制だったとは、何度も書いてきた。
身分制に支えられた天皇が現代社会に生きていることが、すでに信じられない。
太平洋戦争の戦争責任とか、そんなこと以前に裕仁などの正統性が、いまだに疑われないことが、わが国の後進性を象徴しているのだろう。

 本書は太平洋戦争が始まって、日系人が抑留収容所に拘束される。
その時の顛末を書いたものである。
戦争とは、常軌を逸しさせる。
わが国でも朝鮮人を酷使した。
また捕虜となった人々に、過酷な扱いをした。
だから、戦時に日系人が敵性外国人として、抑留収容所に拘束されたとしても、
それは当然のことだったろう、としか言いようがない。

 本書は押さえた筆致で、戦争中とその後の日系人たちの生活を、じっくりと描いている。
残酷な場面や虐待の場面はないが、それだけに読む者に、戦争のむごさを教えてくれる。
主人公はおそらく筆者の身内だと思われるが、個人的な体験としてではなく、
日系人が置かれた普遍的な状況として、この小説は書かれている。

 この物語があらわすのは、太平洋戦争に留まらないだろう。
9.11以降アラブ系の人たちは、アメリカでの生活が難しくなっているに違いない。
しかし、太平洋戦争の経験があるので、今のアメリカ政府はアラブ系と言うだけでは拘束しない。
日系は比較的純粋種が多かったので、拘束も簡単だったかも知れないが、
今後は混血が進んでいくと、人種での分別が困難になっていくだろう。
 
広告
 毎週のように新しい噂が流れた。
 男と女は別々の収容所に入れられる。不妊手術を受けさせられる。市民権を剥奪される。外洋に連れていかれて射殺される。無人島に置き去りにされる。日本に強制送還される。アメリカを離れることは一生許されない。アメリカ人捕虜が全員無事に戻るまで人質にされる。戦争が終わりしだい、身柄の保護のため中国人に引き渡される。P78


 流言飛語もとんだろう、裏切りもあったに違いない。
戦後ソ連に抑留された人たちの話も、同じように悲惨であるが、
この抑留収容所も悲惨であることには変わりない。
過酷な状況に置かれた時、人間たちはさまざまな様相を見せる。
本書が筆を押さえているだけに、人間の無情さといったものを、いっそう伝えてくる。

 父親が早いときにFBIに拘束され、一家とは別の場所に抑留される。
そのため、主人公たちは父親の思いを、夢一杯にふくらませて、抑留生活を耐えてくる。
そして、父親が解放されて、初めて駅で出会ったとき、あまりの変わり様に父親と認識できない。
この挿話が残酷さを、伝えてあまりある。

  ぼくらの父さんは−ぼくらが覚えている、そして戦争のあいだほとんど毎晩夢に見た父さんは−ハンサムで、達しかった。堂々として、動作は素早く、無駄がなかった。ぼくらのために絵を描くことが好きだった。唄うことも。笑うことも。だが、汽車で帰ってきた男は56という年齢よりずいぶん老けて見えた。白く光る入れ歯をはめ、頭髪は一本もなかった。体に腕を回すたびに、シャツを通して肋骨にふれた。ぼくらのために絵を描くこともなく、弱々しい、調子はずれの声で歌を唄うこともなかった。P146

 自分の責任はまったくないのに、状況が強いてくる息苦しさ。
生きにくさ。
戦争ではそれが極限にまで追いつめられる。
ユダヤ人やジプシーたちは、黙って殺されていった。

 家を離れていた数年問のことを、父さんはなにも話さなかった。たったの一言も。政治のことも、逮捕されたことも、歯を失ったいきさつについても。敵性外国人統制部隊の前で行なわれた忠誠審問についても。正確なところ、なんの罪に問われたのかも。破壊活動? 敵に秘密を売った? 政府の転覆を企てた? 父さんは告発どおりに有罪だったのだろうか? それとも無罪? (そもそもその場にいたのか?) ぼくらにはわからなかった。知りたくもなかった。父さんに尋ねもしなかった。ぼくらが望んでいたのは、世間に戻れた今となっては、ただ忘れることだけだった。P147

 忘れることは、傷の痛みを癒してくれる。
日本人は忘れることによって、自分の傷口をなめていく。
そして、かさぶたをそっと大切にして、
やがて時間が痛さを忘れさせてくれるまで、じっと耐えていく。
本書の登場人物たちも、忘れようとしてきた。
それは1970年頃にアメリカで、私が出会った日系人たちも同じだった。
彼らはアメリカにひっそりと生きていた。

 たった12万人だからだろうか。
ユダヤ人たちは、いまだに怨念のこもった視線を、ドイツはもちろん連合国にも投げかけ続けている。
本書を読みながら、アウシュビッツの話が何度も頭をよぎった。
 
(2003.1.10)

広告
  感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001年
ジェリー・オーツカ「天皇が神だったころ」アーティストハウス、2002
原武史「大正天皇」朝日新聞社、2000
大竹秀一「天皇の学校」ちくま文庫、2009
ハーバート・ビックス「昭和天皇」講談社学術文庫、2005
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
浅見雅男「皇族誕生」角川書店、2008
河原敏明「昭和の皇室をゆるがせた女性たち」講談社、2004
加納実紀代「天皇制とジェンダー」インパクト出版、2002
繁田信一「殴り合う貴族たち」角川文庫、2005
ベン・ヒルズ「プリンセス マサコ」第三書館、2007
小田部雄次「ミカドと女官」恒文社、2001
ケネス・ルオフ「国民の天皇」岩波現代文庫、2009
H・G・ポンティング「英国人写真家の見た明治日本」講談社、2005(1988)
A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998(1985)
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980
イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000
リチャード・ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993
ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986
アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003
渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
横山源之助「下層社会探訪集」現代教養文庫、1990

三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006


「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる