匠雅音の家族についてのブックレビュー     天皇の学校−昭和の帝王学と東宮御学問所|大竹秀一

天皇の学校
 昭和の帝王学と東宮御学問所
お奨度:

著者:大竹秀一(おおたけ しゅういち) ちくま文庫 2009年(1986年)¥950−

 著者の略歴−1934年、山形県生まれ。東京大学文学部卒業。産経新聞東京本社に入り、社会部で遊軍、宮内庁、文部省などを担当。1971(昭和46)年秋の昭和天皇・皇后の訪欧を同行取材した。その後、社会部次長、論説副委員長を務め、麗澤大学教授となる。現在は麓澤大学名誉教授。著書に『だれも教えなかったレポート・論文書き分け術』(SCC)などがある。
 裕仁の教育をおこなうために、大正時代に設立された学校について、本書は詳細に書き記している。
1914年(大正3年)に、高輪に小さな学校ができた。
たった6人の生徒を抱えたこの学校は、当時の最高学府の教員をそろえていた。
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 東宮御学問所とよばれる学校は、大正天皇の跡継ぎである裕仁を教育するためだけに、臨時の学校として産声をあげた。
裕仁は学習院の初等科を卒業すると、多くの学友たちのように中等科には進学しなかった。
彼の教育のためだけにつくられた東宮御学問所に進学し、その後7年間の教育を受ける。

 明治の元勲たちは、江戸時代に教育を受けている。
そのため、普通教育という概念をもっていなかった。
武士の教育が武士になるための、特別な教育であったように、天皇になる人間には天皇になるための教育を、施すことが正しいものと思えたのだろう。
この学校の発案者は、乃木秀典だという。

 戦後育ちの人間は、人間は誰でも平等のはずだと考えている。
特別の人間を想定しにくい。とくに教育にあっては、同じ質の教育が行われるべきだと思っている。
そのため、東宮御学問所のような教育機関になじみにくい。
こうした意識は、均質化した近代のものであり、工業社会の大量生産そのものである。

 現在でこそ、学校へ行かなくても良いと思うが、明治大正昭和と、学校神話はきわめて強く存在していた。
とすれば、大正時代に東宮御学問所をつくった体制派は、やはり優れていたとしか言いようがない。
太平洋戦争への道は、彼等によって敷かれていたのだ。

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 東宮御学問所では、倫理、国文、漢文、歴史、地理、地文、数学、理化学、博物、フランス語、習字、美術史、法制経済、武課、体操、馬術、軍事講話などが、講義されていたという。
しかし、本書がもっとも力を注いだのは、倫理の教師を選定する過程である。

 倫理の教師は、まず山川健次郎と狩野亨吉が候補にあがった。
山川は東大の総長であり、妥当な選任と思えたが、本人が固辞して実現しなかった。
狩野亨吉については首をかしげる。
狩野といえば、安藤昌益の「統道真伝」の発見者であり、天皇制とは結びつかない。
にもかかわらず選任されている。
しかし、狩野が拒否したので、これも実現しなかった。

 3人目の人物として杉浦重剛が、検討の俎上にあがる。
結局、彼が受けたので、杉浦が倫理の教員となった。
その彼がおこなった教育は、当時の天皇制支配のイデオロギーそのものだった。

 三種の神器と、五カ条の御誓文と、教育勅語と−杉浦が提示した三本柱の基本方針の特色は何か。次の三点を指摘することができる。
 第一に、抽象的な観念でなく、具体的な事物をもって示したこと。第二に、それがすべて日本のものであること。いわば”純国産”ばかりである。そして第三に、すべて天皇にかかわるものであること。P211


 たった6人の中学生を相手に、大の大人たちが必死で教育をした。
裕仁が優秀だったとは、どこにも書かれていない。
5人の学友たちより劣ったとしても、最初から血筋が違うのだ。
できの良さは問われない。
裕仁の愚かさは、その後の歴史を見れば、明らかだろう。

 杉浦の熱心な教育の結果、裕仁は立派な帝王になったのだろうか。

 (『日本の天皇政治』を書いた)デービッド・A・タイタスはいう。日本で政策策定の責任を負っていたのは天皇の輔弼者たちであって、「日本の天皇の場合、その政治的な働きと「人柄」との間にはほとんど関係がない」と。
 彼の説は確かに真実を衝いている。だが、もしそうだとすれば、東宮御学問所で杉浦が、次代の天皇と国家への熱い思いを込めて説いた帝王倫理は、いったい何だったのであろう。杉浦の「倫理」だけでなく、白鳥の「歴史」も、他の教師たちの講義も、つまり英明にして仁愛の徳を備えた君主の育成という目的のために彼等が注いだ熱意と努力は、天皇個人にとってはともかく、国家と国民という立場からすれば全く無益で無意味なことだつたということになるのであろうか−。P169


と筆者は書いているが、結局、東宮御学問所での教育は失敗だったということだろう。
天皇制は莫大なお金をかけて維持してきたけれど、得るものはなかったのだ。
身分制に基づいた支配は、結局は高いものにつく。

 筆者は、特別教育を否定するために、本書を書いたのではないであろう。
しかし、本書が語るものは、東宮御学問所の非生産性である。   (2009.2.18)
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参考:
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001年
ジェリー・オーツカ「天皇が神だったころ」アーティストハウス、2002
原武史「大正天皇」朝日新聞社、2000
大竹秀一「天皇の学校」ちくま文庫、2009
ハーバート・ビックス「昭和天皇」講談社学術文庫、2005
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
浅見雅男「皇族誕生」角川書店、2008
河原敏明「昭和の皇室をゆるがせた女性たち」講談社、2004
加納実紀代「天皇制とジェンダー」インパクト出版、2002
繁田信一「殴り合う貴族たち」角川文庫、2005
ベン・ヒルズ「プリンセス マサコ」第三書館、2007
小田部雄次「ミカドと女官」恒文社、2001
ケネス・ルオフ「国民の天皇」岩波現代文庫、2009
H・G・ポンティング「英国人写真家の見た明治日本」講談社、2005(1988)
A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998(1985)
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980
イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000
リチャード・ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993
ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986
アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003
渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
横山源之助「下層社会探訪集」現代教養文庫、1990

三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006


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