著者の略歴−1934年、山形県生まれ。東京大学文学部卒業。産経新聞東京本社に入り、社会部で遊軍、宮内庁、文部省などを担当。1971(昭和46)年秋の昭和天皇・皇后の訪欧を同行取材した。その後、社会部次長、論説副委員長を務め、麗澤大学教授となる。現在は麓澤大学名誉教授。著書に『だれも教えなかったレポート・論文書き分け術』(SCC)などがある。 裕仁の教育をおこなうために、大正時代に設立された学校について、本書は詳細に書き記している。 1914年(大正3年)に、高輪に小さな学校ができた。 たった6人の生徒を抱えたこの学校は、当時の最高学府の教員をそろえていた。
東宮御学問所とよばれる学校は、大正天皇の跡継ぎである裕仁を教育するためだけに、臨時の学校として産声をあげた。 裕仁は学習院の初等科を卒業すると、多くの学友たちのように中等科には進学しなかった。 彼の教育のためだけにつくられた東宮御学問所に進学し、その後7年間の教育を受ける。 明治の元勲たちは、江戸時代に教育を受けている。 そのため、普通教育という概念をもっていなかった。 武士の教育が武士になるための、特別な教育であったように、天皇になる人間には天皇になるための教育を、施すことが正しいものと思えたのだろう。 この学校の発案者は、乃木秀典だという。 戦後育ちの人間は、人間は誰でも平等のはずだと考えている。 特別の人間を想定しにくい。とくに教育にあっては、同じ質の教育が行われるべきだと思っている。 そのため、東宮御学問所のような教育機関になじみにくい。 こうした意識は、均質化した近代のものであり、工業社会の大量生産そのものである。 現在でこそ、学校へ行かなくても良いと思うが、明治大正昭和と、学校神話はきわめて強く存在していた。 とすれば、大正時代に東宮御学問所をつくった体制派は、やはり優れていたとしか言いようがない。 太平洋戦争への道は、彼等によって敷かれていたのだ。
しかし、本書がもっとも力を注いだのは、倫理の教師を選定する過程である。 倫理の教師は、まず山川健次郎と狩野亨吉が候補にあがった。 山川は東大の総長であり、妥当な選任と思えたが、本人が固辞して実現しなかった。 狩野亨吉については首をかしげる。 狩野といえば、安藤昌益の「統道真伝」の発見者であり、天皇制とは結びつかない。 にもかかわらず選任されている。 しかし、狩野が拒否したので、これも実現しなかった。 3人目の人物として杉浦重剛が、検討の俎上にあがる。 結局、彼が受けたので、杉浦が倫理の教員となった。 その彼がおこなった教育は、当時の天皇制支配のイデオロギーそのものだった。 三種の神器と、五カ条の御誓文と、教育勅語と−杉浦が提示した三本柱の基本方針の特色は何か。次の三点を指摘することができる。 第一に、抽象的な観念でなく、具体的な事物をもって示したこと。第二に、それがすべて日本のものであること。いわば”純国産”ばかりである。そして第三に、すべて天皇にかかわるものであること。P211 たった6人の中学生を相手に、大の大人たちが必死で教育をした。 裕仁が優秀だったとは、どこにも書かれていない。 5人の学友たちより劣ったとしても、最初から血筋が違うのだ。 できの良さは問われない。 裕仁の愚かさは、その後の歴史を見れば、明らかだろう。 杉浦の熱心な教育の結果、裕仁は立派な帝王になったのだろうか。 (『日本の天皇政治』を書いた)デービッド・A・タイタスはいう。日本で政策策定の責任を負っていたのは天皇の輔弼者たちであって、「日本の天皇の場合、その政治的な働きと「人柄」との間にはほとんど関係がない」と。 彼の説は確かに真実を衝いている。だが、もしそうだとすれば、東宮御学問所で杉浦が、次代の天皇と国家への熱い思いを込めて説いた帝王倫理は、いったい何だったのであろう。杉浦の「倫理」だけでなく、白鳥の「歴史」も、他の教師たちの講義も、つまり英明にして仁愛の徳を備えた君主の育成という目的のために彼等が注いだ熱意と努力は、天皇個人にとってはともかく、国家と国民という立場からすれば全く無益で無意味なことだつたということになるのであろうか−。P169 と筆者は書いているが、結局、東宮御学問所での教育は失敗だったということだろう。 天皇制は莫大なお金をかけて維持してきたけれど、得るものはなかったのだ。 身分制に基づいた支配は、結局は高いものにつく。 筆者は、特別教育を否定するために、本書を書いたのではないであろう。 しかし、本書が語るものは、東宮御学問所の非生産性である。 (2009.2.18)
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