匠雅音の家族についてのブックレビュー   英国人写真家の見た明治日本−この世の楽園・日本|ハーバート・G・ポンティング

英国人写真家の見た明治日本
この世の楽園・日本
お奨度:

著者:ハーバート・G・ポンティング  2005年(1988年) 講談社  ¥1100−

 著者の略歴−1870年,イギリス生まれ。写真家.1910年スコット南極探検隊に参加し,写真と映像による記録を残す。著書に“The Great White South”などがある。1935年没。
 1900年(明治33年)頃に、我が国に滞在した写真家の書いた日本記である。
あまりにも我が国を絶賛、また絶賛で、いささか面はゆくて、このサイトに載せるのは止めようと思った。
しかし、読みすすむうちに、技術者らしき真摯な姿勢から、ボクのアジア旅行と共通点を感じたので、取り上げることにした。
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 当時の写真を撮るには、特殊な技術が必要で、今日のように簡単なものではなかった。
筆者は、南極探検隊にしたがって記録写真を撮ったり、我が国では日露戦争の従軍写真を撮っている。
そんな筆者が、合計3年にわたり、我が国で見聞したものを写した写真は、なかなかに鋭い目をしている。

 本書を読むと、すでにこの当時から、外国人旅行者が、我が国に来ていたことがわかる。
異文化に接するとき、自分の属する文化と無意識のうちに比較する。
比較自体は不可避のことだが、異文化人を違うがゆえに蔑視しがちである。
我が国の知識人からも、アジアに対しては蔑視や裏返った蔑視を感じるが、筆者からは蔑視を感じないのだ。
じつに公平に見ている。

 どんな社会に生きる人間も、その社会が強制してくる生き方から逃れることはできない。
たとえ、それがどんなに野蛮な習慣に見えようとも、個人はその社会から自由になることはできない。
外国人は社会と接するわけではなく、具体的な個人と接するとすれば、社会や文化を評価する目と、そこで生活する個人をみる目を持たなければならない。

 筆者は個人と社会の位相の違いを、とてもよく認識している。
そして、日本人の行動を、つねに自国やアメリカの同じ状況におきかえて、理解しようとしている。
たとえば、外国人の日本人警察官への行動を、アメリカでのアメリカ人警察官への行動に置きかえて論じるなど、よく判っていると思わせる。

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 富士山頂で出会った老婦人をみて、次のようにいっている。

 年寄りがたった一人で、岩だらけの歩きにくい道をゆっくり歩いていく姿があまりにも哀れだったので、私は強力の一人に命じて、彼女が無事火口を一周できるように助けてやり、行きたいと思う場所には、それぞれ案内するように言ってやった。この出来事は、しばらくの間そしてたびたび後になって、いろいろなことに思いを巡らす材料を与えてくれた。彼女の皺だらけの姿は、本当は気高い不屈の魂を包み隠す俗世間の衣に過ぎないのだ。彼女にとってこの苦労の多い旅は、方々の神仏にお参りして、できるだけ多くの功徳を受けようとする深い信心の表れであるが、私が心に思い浮かべたのは、ある他の国の宗教のことと、日本人を異教徒と見なしているその国の婦人たちのことであった。その国の婦人たちの中に、この老婆の年齢の半分しか年を取っていないとしても、こういう目的でこれだけの仕事に取り組もうとする者が一体何人いるだろうか?  P220

 ボクは同じような思いを、インドのガンジス河に身を沈めていた老女から感じた。
濁ったガンジスは不潔である。
犬といわず、人間といわず、あたりには大便が落ちているし、すぐ上流では人が焼かれている。
先進国の衛生観念から見たら、その水に身を沈め、その水で口をすすぐなんてことは、自殺に等しいことだ。

 しかし、老女はガンジスで至福の時間を過ごしている。
ガンジスにたどり着くことが、彼女の信仰だったのだ。
彼女はおそらく遠くから旅をしてきたのだろう。
社会の衛生状況と、個人の心的状況は、位相が違うのだ。
筆者はその違いをはっきり意識して、我が国を見ている。

 過去に婦人の地位がどうであったにせよ、また現在それがどうなっているにせよ、宿屋以外の所で−家庭でと言えないのは、私が日本の家庭生活の経験がないためで、この点で宿屋での生活とどれほど違いがあるかどうか分からないが−、家の中で婦人の演じる役割について、人々の見解が分かれることはない。彼女は独裁者だが、大変利口な独裁者である。彼女は自分が実際に支配しているように見えないところまで支配しているが、それを極めて巧妙に行っているので、夫は自分が手綱を握っていると思っている。そして可愛らしい妻が実際にはしっかり方向を定めていて、役女が導くままに従っているだけなのを知らないのだ。P238

と書いて、アリス・ベーコンの「明治日本の女たち」にも触れている。
現在から見れば、当たり前の話に読めるが、本書が書かれたのは、明治である。

 明治はまだ江戸の名残があったらしい。
そして、武士の精神が、軍人たちにも引き継がれていたようだ。
彼は児玉源太郎大将との接触で、彼のなかに西欧ですでに廃れた騎士道をみている。
太平洋戦争での日本軍人はどうなったであろうか。
日露戦争での、捕虜への丁重な扱いに、世界中が瞠目したことでも、軍人の質的な変化を物語る。

 我が国への近代の輸入が、どのようになされてきたか、再検証が必要だろう。
(2009.1.12)
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参考:
イザベラ・バード「日本奥地紀行」平凡社、2000
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」ハヤカワ文庫、1997
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、183
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
成松佐恵子「庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
山本昌代「江戸役者異聞」河出文庫、1993

ジャック・ラーキン「アメリカがまだ貧しかったころ」青土社、2000
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
イザベラ・バード「日本奥地紀行」平凡社、2000
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
成松佐恵子「庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
山本昌代「江戸役者異聞」河出文庫、1993


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